「シスター・キャリー」を読んで。不倫で身を崩し、落ちぶれていく男に体が震える。これで120年前の小説なのか。
下巻の中盤まで読んで、本をテーブルに伏せ置き、私は、身震いした。恐ろしすぎる!
アメリカ文学の代表作「シスター・キャリー」上下巻
「シスター・キャリー(著・ドライサー/ 訳・村山淳彦)」は、1900年にアメリカで出版されたリアリズム小説である。当時、性道徳に問題があるとされ、出版後すぐに発禁。そのショックでドライサーは神経症を病み、第二作が発表されるまで十年余りかかったという。
表のあらすじ|成功物語
タイトル通り、主役は「キャリー」と言う名の、綺麗で魅力的な若い女性である。片田舎から出てきたばかりの彼女は、大都会・シカゴに魅了された貧しい女工であったが、次第にその魅力から頭角を現し、ニューヨークで女優として大成功する。
裏のあらすじ|没落物語
そう、主役はキャリーだ。でも、上巻の最後辺りからだんだんと、この小説の本当の主人公は、キャリーと不倫をしているハーストウッドに思えてくるのだ。
ハーストウッドの衝撃の前では、美しく才能あふれるキャリーも脇に咲く可憐な花にしか見えなくなってくる。40代、支配人の仕事も順調、仲間はみな金持ちで有名人、これからも安泰だったはずのハーストウッドが、不倫がバレたのを機に転がり落ちるさまは、既視感しかない!
これが120年前に書かれたものとは。予言書だろうか!人はなぜ、この予言書をもってしても、同じことを繰り返しているのだろう。
この小説に書かれていること全てが、既視感なのである。あるあるしかない。知っているこの感覚。聞いたことある友達のうわさ話で。見たことあるワイドショーで! 私には、大都会ニューヨークが、SNSにも見えてくる。世界中のあらゆる人々の集まり。
ハーストウッドの没落する過程
※以下、ネタバレです。
不倫がばれる⇒キャリーと逃げる⇒何とか新しい仕事始める⇒運悪く失職⇒仕事が見つからない⇒自分の価値の賞味期限に直面⇒惨め⇒家に引きこもる⇒キャリーに疎まれる⇒貯金が尽きてくる⇒ もっと悲惨になっていく…
若さの可能性と中年の取り返しのできない失敗(過ち)。悪いのはハーストウッドだけど、その顛末に、中年の私は、心の底から震え上がった。天と地がすごすぎる。
シスター・キャリーは、社会派の小説である
一方で、描かれていることは、非常に多面的で、消費文化や、富裕層と貧困層の格差、ジェンダーの問題など様々で、今でも重要なテーマが揃っている。単なる不倫ものでは決してないのだ (それっぽく書いてしまって申し訳ない。そう思わず、幅広い人に読んでもらいたい) 。現代の私が違和感なく120年前のアメリカ文学を読めているのは、だからである。現代人の感覚・価値観、社会問題は、このときから始まっていたと言える。
この小説を読んで、どの登場人物に共感するかは、人それぞれなのだ。
たとえあるあるでも…
もしかしたら、ストーリーに目新しさは感じ無いかもしれない。なんせあるあるだから。でも、だからといって、悲しさや虚しさは、その人だけのものである。私にとってこの小説の魅力は、あの子の本音が少し知れたような気がするところであった。
シスター・キャリーを読んで(2)/ 今度はキャリーについて書きました。↓
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