改訂版!ふいになつかしい曲を聞くと、なぜグッとくるのか④最終回|なつかしさの仕組み
同タイトル③から引き継いで、以下のテーマを考察します!
今日のテーマ
今日のキーワード
前回は、なつかしさが起こる仕組みを紹介しました。しかし、なぜ「グッとくるのか」、なぜ「鮮明なシーンが思い起こされるのか」は、その説明だけでは分かりにくい。
そこで、調べていくうちに以下のワードを見つけました。
▼ MEAM(音楽が喚起する自伝的記憶)
ウィキペディアでは、以下のよう定義されています。「音楽で記憶が甦る」って、多くの人は体験から感じていると思いますが、少しずつその詳細が明らかになってきているんですね!
以下の論文の中では、MEAMsとなつかしさ感情との関連についても言及されています。(なつかしさ感情は自伝的記憶により喚起されることは、前回記載しました)。
これらの参考文献を読んでいくと、どうやら下記のことが言えそうです。
▼ 音楽と感情と記憶、そしてアイデンティティ
私たちがアイデンティティを形成する際に、音楽は、社会的にも個人的にも身近な存在としてあり、自分が自分であることの本質に強く結びついている。
また、個人の記憶の形成段階で、その音楽(曲)を聴いていた時の感情的な体験、特にそれが強い感情体験だった場合、記憶の鮮やかさを高め、長期記憶として残りやすい。感情は、音楽と記憶のつながりを強める意味で重要な役割を果たしている。
つまり、昔、聴いたことがある曲なら何でも「なつかしさ感情」を刺激するわけでは無く、本人にとって、無意識だとしても、その曲がアイデンティティの形成や記憶の形成(感情体験)と結びついていると、記憶を思い出す「手がかり」としてトリガーとなるのではないか。
▼ 強い感情(情動)はなぜ生まれるのか?
次に、「グッとくる」と表現した「強い感情(情動)」は、なぜ起こるのでしょうか?
MEAMのウィキペディアでは、以下のような文章がありました。
不本意な自伝的記憶とは「ふいに浮かんだ記憶」という意味です。その方が、意識的に思い出すよりも早く、且つ、強い感情が生まれると述べられています。
▼ 感動となつかしさ感情は似ている!
一方で、私は、以下の文章に着目しました。
強いなつかしさは「感動」に近い。では、感動とはどの様な時に喚起されるのか、調べることにしました。
すると、なつかしさ感情と感動には、そもそも類似性があるのではないかと気付きました。
以下の論文を参考にして考察します。
この論文の中では、感動は複数の感情と密接な関係があると述べられています。
この「グッとくる」シリーズの①で、なつかしさ感情とは「複数の感情が入り混じった、喜怒哀楽だけでは分けられない複雑な気持ち」と説明しました。なんだか似ている気がしませんか?
さらに、感動を経験した際に含まれる感情の種類が4つあげられています。
それを踏まえて、シリーズ①で書いた「なつかしい」に共通している感情を思い出して下さい。
特に「グッとくる」なつかしさ感情は、胸をつかまれるような感覚を伴っています。かつての自分や仲間、特定の人物に対する「愛しい気持ち」や「大切な気持ち」を感じながら、一方で、もう戻れないという「悲しさ」「寂しさ」「焦がれる気持ち」も含まれてきます。
とすると、「喜び」や「驚き」「尊敬」よりも、②「悲しみ」に近い感情状態と考えられます。
▼ 悲しみを伴った感動の特徴
論文では、以下の特徴が見出されています。
悲しいだけではなく、どこかポジティブな側面も含まれる
第三者の立場(観客として)で見ている
1に関しては、映画をイメージして下さい。感動するストーリーは、悲しい出来事だけで終わらず、最終的には達成できたり、あるいは新たな希望が提示されてエンディングを迎えます。悲しいだけの映画もありますが、いわゆる感動ものとは異なるかもしれません。
2は、観客という第三者なので、ある意味、精神的に感動する余裕があるわけです。
▼ やはり、似てませんか?
「グッとくるなつかしさ」が喚起された時、その記憶に対して「切なさや寂しさ」がある一方で、どこか「幸福感」も感じてはいないでしょうか。胸がギューッとなりながらも、一抹の甘さも心のどこかにある様な気がします。
また、私たちが自伝的記憶を思い出している時の状態を、メンタル・タイムトラベルと呼びます。旅人となって、あの頃を第三者的に眺めているのです。これは過去の出来事で、今は別の場所にいることを私たちは知っています。
これらのことから、なつかしさ感情は感動体験と近い体験であると想像できます。そして、この時、ドーパミン量が増加していると考えられるのです。
▼ 最後に、「時間の終わり」について
私たちは、なぜこんなにも過去を思って切ない気持ちになるのでしょう。
それは、「私たちの時間には終わりがあること」を知っているからではないでしょうか。
逆説的になりますが、だから、戻らないあの時間は、私たちにとって大切で幸福であった、と「なつかしく」感じるのでしょう。
ここまで、長文、読んで下さり、ありがとうございました!