馳せる
夏の隅田川をゆうらりと進む屋形船。
連日連夜、呑めや歌えやの大宴会。
18歳になった私は、その日初めてお酌のお仕事をしたのでした。今でいうところのコンパニオンです。コンパニオンという言葉すらこの頃はあまり聞かなくなりましたけれどね。
取りどりのお酒と男たちが入り乱れる中に、そのガラスの瓢箪はありました。うるわしく凛と立つ瓢箪。その佇まいは、自ら夏の夜風を涼しく吹いているようでした。
青いガラスの表面にてらてらと映る裸電球と夜の川面。
膨らんだ胴越しに見える歪んだ枝豆。
気がつけばお酌そっちのけで見惚れていました。あの瓢箪に触れてみたいという気持ちが、煌々と心の内に湧き立つのを感じました。
そして、生まれて初めてお酒を飲んだのでした。
ほんとうはお酌する側ですから呑んではいけないのですが、私が瓢箪をあまりにまじまじと見ていたものですから、わるい大人がコップに注いで渡してきた日本酒を酒だとも気付かず飲んでしまっていたようです。程なくして、頭がぼうっと浮いているような感じになりました。それからなんだか楽しくなってきて、賑やかな声がだんだん遠くなっていきました。
気がついたときに目の前にあったのは無機質なグレーのタイル天井でした。デカルトだったら今、座標を発見しただろうななんてぼんやり考えていたところで、
「あら、起きたわ。」
と声がしました。
「もうまったく困ったわよ。」
声の主はベテランの先輩。ようやく自分が事務所にいることに気がつきました。硬い赤褐色のベンチで仰向けになっている私に、「あんた昨晩客にしこたま酒を飲まされて、ヘラヘラ笑いながら倒れてたわよ」と教えてくれました。
今日はもう帰るよう言われ帰路につき、明け方の線路沿いを歩きながら、金輪際お酒は飲むまいと固く決意しました。
そもそもなぜ飲まされたんだっけ。
空を仰ぎながら細切れになった記憶をたどりました。
ハゲ散らかったおじさんの赤ら顔…
残された柿ピーのピーの部分…
膨張した枝豆…
……あ、瓢箪。
瓢箪だった。
あれに夢中で、それでお酒を…。
それから、凛としたあの瓢箪の姿が頭の中で徐々に復元されていきました。何であんなに美しいと思ったんだろう。周りの雑多なものとも不思議と調和していて、妙なくらい綺麗だった。始発電車に追い越されながら、霧がかった頭で思い出していました。
後日、仲間のコンパニオンに聞いて回りましたが、不思議なことに硝子の瓢箪を見た人は誰も居ませんでした。狐につままれたような、夢のような気持ちです。
気がつけばあれから40年が経ちます。なんだかんだでお酒も飲むようになりました。ふつうの瓢箪さえもうすっかり見かけなくなりました。
でもね、いまでも思うのです。いつかあの瓢箪に出会えたら、心ゆくまで眺めたい。金平糖でも詰めたい、と。
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