とある学び講座の事前課題メモ
とある対話促進ツールでの事前学習メモです。
■VUCAワールドにおける組織が抱える潜在課題
Volatility 変動生
Uncertainty 不確実性
Complexity 複雑性
Ambiguity 曖昧性
変動で不確実で複雑で曖昧で
認知の限界を超えた積木崩しの群発
全知全能なんてなくて、私たちは限知限能
「想定外」「記録的」「甚大な影響」
みたいなことが、もはや日常になる世界
『VUCAワールドにより、課題の難易度や問題の緊急性が高くなる』
特定の人への業務の偏る
→協働の質が下がる
→業績に影響が出る
→成果プレッシャーが高くなる
→特定の人への業務の偏り
そうなると尊敬と信頼などの関係性の質が下がる
→言い訳と自己正当化
→他責化と犠牲者感が増える
→相互支援文化が損なわれる
→モチベーション低下
→チームワークの質が下がる
悪循環でハイパフォーマーが潰れたり辞めてしまう
リモートワーク化して、働き方が多様であればあるほど、一緒に働いている人がどんな心持ちで仕事をしているかが見えづらくなる
→職場感度が下がる
→相互支援文化が作りづらかったり、
リーダーシップフォロワーシップが下がる
→チームワークの質が下がる
取り敢えず自分の与えられた仕事やれば良いよねとなる
→自分の仕事ではない感覚 他人事化
→責任範囲が狭くなる モラル低くなる
→トラブル多発ループ
→上層部の焦り
→施策の近視眼性向上 振り回される
→成果への焦り 不正処理〜不祥事
相互支援文化は、組織のセーフティネットだったりしたが、機能しなくなる
■クネヴィンフレームワークについて
デイビッド スノードンが作った
置かれている状況によってどう対応を変えるべきかを示すフレームワーク
《秩序系》
・自明 Simple 感知→分類→対処
因果関係が分かりやすく対処しやすい
・煩雑 Complicated 感知→分析→対処
分析して因果関係を解明できれば対処可能
《非秩序系》
・複雑 Complex 探索→感知→対処
トライ&エラーが必要。事前準備不可。
セイフフェイル(安全な失敗)を上手に
・カオス Chaotic行動→感知→対処
因果関係が分からず、解きほぐせない
津波 分析するよりその場から即逃げよ
どれでもない
・無秩序 Disorder
何も分からないという状態
状況は、時の推移で移り変わる可能性もある
コロナは、無秩序から始まり、段々と解明、軽傷化されていくに従って対処が変わっていった
■パフォーマンスパイプラインについて
水道管のイメージ
人が持つポテンシャルをパフォーマンスへと結びつくのかを解明
意欲モチベーションが高ければそれだけでパフォーマンスが出るというわけではないということを示す
状況・課題
★1.認知構造モデル 認知がズレたらダメ!
2.意欲モチベーション
3.能力(知識・スキル)
★4.コミットメントに一貫した行動
➡︎価値・成果
認知構造:「何をどのように」捉え、意味づけているのかによって、行動の種類が変わる
組織の成長の段階や状況に応じて、認知構造を変えていく必要がある
物事の捉え方によって、結果が変わってくる
行動:「何をやるのかやらないのか」というコミットメントのある選択と行動が、現実に違いをつくる
■タスクアセスメントについて〜エンパワーメント研究について〜
権限移譲しただけでは、成果が上がらない
30年以上前の論文 古典
どんな風にその仕事を捉え、認知したかによって成果が決まる
日本では、X理論Y理論で議論が止まっていることが多い
同じ仕事でモチベーション高く取り組める人と、取り組めない人がいる
それは、その仕事をどう認知しているかによる
その認知を四つの変数に分ける
自己効力感 自分が成果に貢献できるか?
影響感 その仕事の意味、効果の影響度合い
自己決定感 どれ位、自分で選択できたか?
有意味感 自分の個人的価値観に合うか?
■VUCAワールドに求められる能力
レクティカという成人発達理論に基づいたアセスメントに定評がある非営利団体
(教育を対象にしているが、CIAやFBIや一般企業も採用)
リーダーシップの意思決定能力のアセスメントにおける能力定義
優れたリーダーとは?
『適切に複雑な思考をする」
1.明晰に考えられ、伝えられる
・論陣を張る 筋道立てる
・明快に主張する
・論理的にアイデアをつなげる
・説得力のある主張をする
2.優れたVUCAスキルを持っている
激動の状況の中で自分とは異なる他者と協働していくための要素
・視点調整スキル
様々なの視点に立ってどんな擦り合わせが必要なのか
・意思決定スキル
複雑性の状態や予測不可能性がある中で意思決定できる能力
・文脈思考
発した言葉の裏に様々に隠れた文脈を多面的に捉えられる
・協働能力
様々な人がいる中でどんな風に協働していくか
VUCAとは、全知全能ではない私達にとって、認知する限界、個人の能力の限界を超えた状態にいかに対処するかという状態なので
➡︎他者との協働が欠かせない
激動の中で先行きが不透明な中でも前進していく
予測不可能性があるという状態をどう捉えて意思決定していくか
■「創造すること」と「問題処理」の違い
ビーターセンゲさんの言葉
リフレクションというSOLという団体が発表している誌面の中での言葉
「創造すること」と「問題処理」の根本的な違いは明白である。
問題を処理する場合、私達は『望んでいないこと』を取り除こうとする。
一方、想像する場合は、『本当に大切だしていること』を存在させようとする。
これ以上に根本的な違いはほとんどない。
ピーター・M・センゲ
マサチューセッツ工科大学上級講師
「学習する組織」提唱者
存在させようとする という処
「望んでいないこと」
旅行をするときに気になる車の不具合
タイヤの空気圧、ガソリン、ボディのかすり傷、シートの汚れ
→全部対応しなきゃいけないわけではない
「本当に大切にしたいことは?」
安全快適な旅、楽しく旅をする、家族の絆を深くする、記憶に残る出来事にしたい等
→ただの旅行の準備ではない。
無駄なことを省いて本当に大切にしたいことを、存在させようとするためにリソースを使おうとする、何かあったときに、それを真ん中に置いておくことが大切
組織になると、もっと本当に大切なものが見えづらくなる
営業と製造の現場で、大切にしようとしているものが違っていたり、
振り返ってみると、なんであんなことしてしまったのだろうと思うことがある
会議の量 望んでないことの解決のためと、本当に大切にしたいことのため、夫々にかけている時間 ➡︎殆どの時間を望んでいないことの「問題解決」に費やしていることが多い
往々にして本末転倒なことが起きりうる
一人一人が自分の人生に対して、本当に大切なことを存在させようとするというように、いかに生きれているか
チームや組織が、どんな困難な課題を抱えたとしても、その不快感から、すぐに望んでいないことを取り除こうという風になる誘惑を手放して、本当に大切なことを存在させようとする創造のプロセスを可能にすることに取り組んでいきたいと考えている
■組織における発達段階
フレデリックラルー「ティール組織」
子供が成長するように、大人も歳を重ねていくにつれて発達していくのだという話
ある発達段階に達した人は、どんな組織を作る傾向があるのかということを解説
こうしたらティール組織になるというものではないし、そういう組織を作れる人が必ずしもその段階の組織をつくるとも限らない
次の段階は、前の段階の特徴を掴んで越えて含んでいる。前の段階をアンチテーゼにしているとも言える
・レッド段階 狼の群れ
力による支配、短期的思考
➡︎レッドの限界 お互いが争いすぎてしまう
・アンバー段階 軍隊組織
争いを治める
法と秩序《ヒエラルキー)でコントロール
➡︎アンバーの限界 一律に管理されると我慢ならない
・オレンジ段階
理想を実現させるために組織を機械仕掛けに見てイノベーションをかけるためにPDCAサイクルを回していく
世の中に、アンバーとオレンジの組織の中間位の会社が多い
➡︎オレンジの限界 目指す目標を論理展開していくが、とにかく結果が出れば良いという結果史上主義になる、環境を壊すなど負の外部性などが生まれたりする
・グリーン段階
一人一人や生態系も含めて尊重される
家族の絆のようなそしき運営
居心地が良いので、この会社が好きという人が出てくる
➡︎グリーン段階の限界 多様性を尊重しすぎて物事が進まなくなったりすることも起こり得る
・ティール段階
何が本当に大切なのかを捉えて取捨選択したり、生命体的に自立分散的な自分自身で進化していける
信頼で結びついていて、自立分散的に活動している
■ 信奉理論と使用理論
シンプルにいうと、言っていることとやっていることが違うよねという状態
信じているだけのことと、実際にやっていること
信奉理論
言っていることの背景は信じている
使用理論
内面奥深くにある前提が隠れていたり、自分自身で自覚しているものも自覚していないものもあるが、やらかしてしまう背景にあるもの
理念がお飾りになってしまったりするのは、信奉理論と使用理論がずれてしまってる状態
そして、両者が一致している方が力強いものになる
■評論家姿勢から当事者意識への転換プロセス
色々な企業との関わりの中で、当事者意識の問題が大きく取り上げられることが多い
自分の範囲しかやっていなかったり、全体を見ようとしない等
浮き彫りになって見えてしまうことがある
他人事になっていること
状況が厳しくなっている時に、
気の利いた動きをしてくれない
起死回生の一手を打ってくれない
先手を打って考えてくれない
と見えるので、のちの展開が容易に見えてしまうことで、
当事者意識や危機意識がないと責めたくなる気持ちはよくわかる
ところが、当事者意識という言葉に混乱がある
当事者意識と責任感というところについて、ごっちゃになってしまうことがある
当事者意識がないことについて、その人の道徳性や人間性の問題かのように見えてしまい、その人を責めてしまうということが起きてしまいがち
ここに対して、違いを明確にしておくことが大事
責任感とは、辞書によると
自分の仕事や行為についての責任を果たそうという気持ち(大辞泉)
責任を果たすことがポイントだとすると、自分の責任範囲の仕事をきっちりこなすいう
社長の意思決定が及ぼす影響の大きさについて、そこには責任を感じている。従業員の家族を守らねばという責任感がありえる
当事者意識とは
その事柄に直接関係していること
言い換えると、自分が問題の片棒を担いでいるのかもしれないという観点に立って状況を観察しつつ次なる一手を打つ姿勢
責任感はあるけど、当事者意識はないということが起こり得る
親が子供を心配する
子供が不登校になってなってしまったとき
なんとか解決してあげたい
但しその責任感の内側では、問題が解決しないことが多い
色々なことをしてなんとかしてあげようとする
そこに当事者意識がなかったりする
そういうことをすればするほど、子供の自尊心を失っていくということがおきえているのだということが見えていなかったりする
当事者意識というのは、その課題に直接関係しているということをどれくらい自分が自覚できるか
親である自分に問題があると思うケースもあるが、
実際にどう問題になっているのかが見えていないケースが結構多かったりする
それは何故がというと
人間には、自分のことが見えないという、盲点になりやすい
部下がやる気を出してくれない
懇切丁寧に最初は対応していても結局変わらないとなると、
世代の問題や個性に当て嵌めたりするというケースがあったりするが
実際には、上司の方が部下に対して、侮辱したような雰囲気で物事を教えてしまっていたり
優秀な部下に対しては丁重に扱うけど、そうではないとぞんざいに扱うみたいなものが見て取れるが故に、部下の側はやる気を失っているということもあり得る
責任感は道徳の問題であるのに対して、
当事者意識というのは、誰もが抱える認知の限界を超えていくいうチャレンジをしているかどうか