うつ病生活備忘録

・まず初めに
弱者に厳しい国、日本。
精神疾患等で就業不可と認定された人は、退職しても失業手当はすぐには貰えません。
自立支援制度という治療費を支援してくれる制度もありますが、教えてくれない病院もありますし、自分から申請しないと適用されません。
政府広報に生活困窮者向けの緊急小口貸付を実施していると書いていますが、申請窓口で貸し渋りを受けます。
いつ治るか分からないまま治療を続けながら、貯金が減っていく恐怖に耐えなければなりません。私は就業可能と認定されるまでに3年かかり、社会人時代の貯金は底をつきました。
病人・障害者・老人は死ねと言わんばかりの実態ばかり。
このNote記事では、私の経験と、あの時ああすればよかったかも〜というポイントを書いていきます。

うつ病事例研究:私の場合

私は大学卒業後、新卒でIT系の会社に就職しました。全く別方面の学部からITの分野に飛び込んだ為、社内研修やOJTでは大変苦労しました。
また、配属された部署の関係で、自宅から1時間半かけて通勤する事となった為、訳もわからないままがむしゃらに仕事に取り組んでは帰りの電車で気絶するように眠る日々を過ごしていました。
また、そういった生活の結果、22時ごろには気絶して夜中の3〜4時に目を覚ましてしまうという状態に陥りました。今思い返せば、これは中途覚醒タイプの不眠症でした。

マニュアルを見ながら作業をする業務が多く、私は細かい注意点などをよく読み飛ばす事がありました。最初は、「新入社員だからミスするのは仕方ないだろう。これからしっかり覚えていくように。」と許されていたのですが、メモを取り、指差し呼称をし、事前に危険予知のシートの作成も行い、作業上の注意点などを電子マニュアルから印刷し…などなど如何にミスを無くすかに注力したにも関わらず、その準備自体を事務所に置き忘れたりする事がありました。
さすがにこれは自分でもおかしいと思い、一度地元の心療内科を受診しました。結果、「あなたはADHDのような注意機能の欠陥はなく、ただの疲れすぎです。よく休んでください。」と言い渡されるだけでした。それでは私はただミスが多いポンコツ人間ってコト…!?とかなり衝撃を受けました。
ここで問題点が出てきます。
・休んで下さいと言われても、疲れが取れない。
・疲れが取れない以上、ミスが減らせない。

この2点で悪循環の無限ループの出来上がりです。

ここで、これ以上は仕事が続けられないと思い、会社の人事課に辞めたいと相談しました。たしか2年目の冬の事でした。
人事課からの返答は、「いきなり辞めるという究極の選択をするのではなく、別の部署で環境を変えてみて、改善するか試してみてはどうか?」というものでした。
私はその提案に乗り、異動処分を待つ事となりました…
・職場での扱いが非常に雑になる
人事部からこのような状態にあると聞かされたマネージャークラスの社員たちは、こいつはいずれうちから居なくなる人間なんだからそんなに丁重に扱わなくていいや!という変化が見られました。
仕事は見て学べ、自分で探せ、という如何にも昭和的・体育会的な風土のある会社だった為、元から2年目になった途端に何の導きも無く放り出された感じはありましたが、これが更に加速して、「お前はいつまで事務所にいる気だ!早く仕事を取ってきて現場へと出ていけ!」と、怒鳴り散らされる事が増えました。
今思えば、この時に受けた罵声などは音声で保存すれば良かったと思いました。
新人の時には参加していなかった休日出勤にも駆り出されるようになり、そこでもまた、自分で仕事を探せと言われ、その仕事全体がどのような流れで何をしているのか把握したく観察していると、「ボーっと突っ立って見てんじゃねえぞ!」と理不尽な攻撃を受ける始末でした。それも異動するまでの我慢…と思い半年ほどの期間我慢していましたが、その間にもミスが減らない件は改善の見込みが無く怒られては悩む毎日でした。

さて、異動が決まり別の県へ引っ越す事が決まりました。そちらの部署では、また違った苦痛を味わうことになるのでした。

・部署ごとの違い
基本的にやる事は変わらないのですが、ところ変われば方法も変わるようで、事務処理の手順や安全確認の基準などで以前は正しいとされていた事が、今の支店では間違いとされる事が多々ありました。そこの差異について間違いを指摘された際に、「前の支店ではこうやれと教わったのでそうしています。」と伝えても、「そんなもん知らねえよ!オメエが間違ってるって話をしてんだよ!」とキレ散らかされ、とりつく島もありませんでした。
このキレる上司を仮にAとします。Aは私の教育係となり、関わる機会が多くありました。
その中でもパワーポイント資料の作成や見積書など何か文章を書くような仕事を任される事がそこそこありました。例えば、Aから資料に「あいうえお」とひらがなでタイトルを打ち込んでおくように!と金曜の定時5分前に指示出しをされたとします。私はそれを受けて残業して月曜の朝イチにお見せできるよう資料作成をします。そして見せてみると、「お前なんでひらがなであいうえおって書いてんの?カタカナにしとけつったよね?」と、何故かこちらがミスした事にされて詰められるのでした。

・適応障害になった
このように痴呆症の如き適当な指示を出されては間違いだと詰められる日々を1ヶ月も過ごすと、適応障害を発症しました。
中途覚醒タイプの不眠症・仕事のミスが減らない悩み・溜まる一方の疲労・理不尽な罵倒・引っ越しのストレスの合わせ技で完全に限界を突破しました。
医師から休職しなさい。と指示を受け、翌日課長に診断書を渡すと、3日後くらいに支店長、課長、自分の3人で個人面談をする事になりました。そこでけっこう衝撃的な発言を受けました。
そういう事(精神疾患)を理由に休むと、査定や将来のキャリアに響くから、ね?(だから休職なんかさせねえぞ?)」との事です。
今だからわかる事ですが、人体の専門家の医者が休めと言っているのに休ませるどころかもっと頑張れと言ってくる上司がいる会社は異常です。一刻も早く逃げて下さい。
しかし、当時の私は勤続年数も少なく、そのまま辞めると将来の再就職に影響が出るかもしれない…と悩み、経歴に傷がつく事を恐れた結果ここで逃げる事が出来ず、ズルズルと続けてしまいました。
・うつ病へ悪化、そして退職へ
適応障害ということは、つまり健康からは程遠い訳ですが、そんな中無理をして夜勤だの、日月火水木金土の7連勤だの、休日出勤だのをやっているうちに、もう何をやっているのかほとんど分からないままギリギリ受け答えが出来ているだけ、みたいな状態にまで弱ってしまいました。
ある日、そんな生きてるんだか死んでるだか分からない状態で車を運転していた時、カーナビの指示を聞いていたにも関わらず、道を間違えてしまい、逆走してトラックと正面衝突未遂を起こしてしまいました。このまま働いていては、自分が倒れるだけならまだしも(良くはない)、人様にも大迷惑をかけるような事故を起こす可能性があると判断した結果、その翌週に辞める決心がつきました。ちょうどその頃、通っていた精神科からも「あなたはもう適応障害の次元の話ではないです。うつ病レベルまで悪化しています。」と言われていた事もあって、心の中で一つ区切りがつきました。
・教訓
理解もない、余裕もない職場で働きながら精神疾患の完治など夢のまた夢です。皆さんにおかれましては、睡眠・休養を第一にして下さい。一度割れた器は二度と元の形には戻りません。修繕して騙し騙しやっていくしかありません。


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