米国大学教員から見た日本の英語教育について English Education in Japan
今日は短くします(笑)。
「留学希望が少しでもあるならば、TOEFLかIELTS。TOEIC は不可」
まずは、日本人で留学希望が少しでもある方にはっきり言います。米国大学はTOEICスコア受け付けません。TOEFLかIELTSのスコアを取ってください。世界からの留学希望者でTOEICのスコアでも良いですかと聞いてくるのは、世界で2か国のみ。韓国と日本。駄目です。交渉不可。日本の大学で事務方からいい加減なアドバイスを受けて、一生懸命TOEICの勉強をして、いざ留学準備を初めてから米国大学の条件を見て、せっかくの機会を台無しにされたというかわいそうな日本人学生のケースを何回見た事か。
「会話やプレゼン能力は世界中から来る留学生でも最低レベル:しかし留学後の能力向上は早い」
わたしが勝手なことを言うよりは、まずはデータを見ながら話しましょう。データを見たら「やはりそうか」と当方は思いました。(情報源:https://www.prepscholar.com/toefl/blog/what-is-the-average-toefl-score/)
まず、母国語別のTOEFL平均スコアです。
リスト中堂々の最低点。正確には読解力Readingと書く能力Writingではアラビア語を母国語とする人達より少し上で最低点は回避したものの、Listening(聞取り能力)とSpeaking(喋る能力)で断トツのビリだったのが尾を引いて総合点でリスト最下位となっています。国別のリストはもう少しながくなりますが、それも見てみましょう。
サウジアラビアのせいで、日本は最下位は免れていますが、今のサウジアラビアは当方勤務先大学にも数十名単位で留学生を派遣しており、5-10年後には、7点あげて日本に追いつき追い越す勢いがあります。当方が最初の修士号を取ったのはもう30年前ですが、その時は中韓台湾当たりの留学生は、質問も理解できず、自分の発言も出来ないレベルの学生が多かった印象がありますが、特に中韓の学生は20年前頃から急速に英語力が上昇した印象があります。
これだけ見ると、日本人の希望が無くなりそうですが、過去20年に米国大学で数十名の日本人留学生を見てきた印象では、米国に来て真剣に英語を英語学校で勉強しだすと、TOEFLスコアは急速に上がって正規プログラム入学可能な点数(当大学だとTOEFL550、OBTで81)に到達し、正規の学士・修士プログラムに一旦入学すると、平均成績(GPA: Grade Point Averages)で見ると米国人学生を上回る上位者の成績を収めている実績があるので、人物のとしての能力は日本人学生は相対的に高いというか、一旦米国大学の勉強方法や努力水準が分かると、急速に環境に順応し、潜在力が顕在化するという特性があるように見えます。ではどうすれば良いのか?
「日本の英語教育の課題と改善方向性試案」
当方は英語教育で博士号取ったわけではないのですが、20年間米国の二つの大学の正規博士教員として世界中の留学生と米国人学生を見てきたので感じる点があります。
(1)「英語を学ぶ」から「英語で(知識を)学ぶ」に早期転換要
日本人学生は英語をまるで数学や物理、化学のように一つの科目として学ぶうモデルで中高6年勉強し、大学入学後も当初2年間はまだ英語を目的として学ぶというモデルだけで8年過ごします。しかも英語教員の多くは海外在住経験の少ない日本人教員なので、Listening, Speaking, を訓練する機会が少ない訳です。ALTはその日本人の弱みを補強するには役立っているはずですが、「英語を学ぶ」という基本モデルを8年も引きずるべきかは世界の留学生の能力と比較すると疑問です。では、どうすれば、世界に通じる英語能力養成できるのか? 基本的に「教員が英語を」教えるというモデルから、「学生が英語で学ぶ」というモデルに変えれば良いのです。
(2)大学授業:英語で専門知識を学ぶ環境作り
日本語だけで生活している人達の一部には、英語を勉強するとその分日本語や日本文化習得が疎かになるという事を言う人が居られるようですが、まず現実として日本人英語能力は世界レベルで最低水準だという客観的な証拠がありますので、現状体制維持の正当化のいかなる議論も無意味です。例えば、英語得点が英語母国語の人達平均より高い(え?笑)インド人、フィンランド人やドイツ人が自国の文化や言語習得に崩壊しているのかを考えれば、その理論は成り立たない訳です。
ではどうするか、一番簡単なのは、英語で行う専門授業を増やす事でしょう。繰り返しますが、英語の授業ではなく、英語での専門授業です。大学学部全体をこのモデルにした学部もあれば、大学全体でこれをしている日本の大学が既に少しありますが、770ほどある全体からすれば、まだ少数です。
元々、明治維新後の帝国大学は、外国人お雇い先生が多く、ちょんまげを切り、刀を捨てた若者はまず、語学を必死に手段として勉強し、出来るだけ早急に専門科目講義を原語で勉強していた訳です。明治時代の人に出来たことが令和時代の若者に出来ない訳はないです。昭和生まれの先生や管理職が邪魔をしなければ出来るはずです。当方は、実は日本の複数の大学で英語での専門授業を教えている経験がありますので、日本人学生に英語で授業する事は、学生側には皆様が想像するより問題ない事はよく把握しています。
(3)議論・プレゼンテーション能力即強化可能な授業
米国大学での経験から言って、議論やプレゼンテーション能力に相対的な弱みのある日本人学生を短期間で鍛え上げる方法を提案します。それは英語で議論やプレゼンテーションをさせ合う方法です。日本では恐らくこの形式での授業は無いでしょう。どうすればよいか。
議論が二分するような、議論や国際紛争について敢えて、学生二グループを指名し、両側の意見を皆の前で資料プレゼンテーションし、その後ほかの学生の前で議論させて、どちらの議論が説得力あるかを競わせるのです。当然、全部英語のみ。日本語禁止。途中でグループの立場をスワップします。
例えば、竹島の領有権、北方領土問題、尖閣諸島領有権、のような日本の国際問題、そして国内だと外国人による旅館や土地買収の是非、憲法9条問題、原発操業の是非、IR開発の是非等、日本が当事者でない国際紛争ならば、パレスチナ問題、カシミール領有権問題、ロシアのウクライナクリミア半島一方的併合、ナゴルノカラバク領有権問題等、意見が二分されているような話題を敢えて課題とし、1チーム3~5名としてこれらを両側からプレゼンテーションして、議論させる訓練です。
FacebookのようなSNSは世界を繋ぐというビジョンで導入されたわけですが、最近の調査では、極端な意見を持つグループが同じような急進的な意見の仲間を繋いで、故にグループ内意見が急進化して、排他的となったグループを超えた意見の異なる人達との交流が進んでおらず、社会の分断化を進めてしまったという結果が出ています(WSJ紙)。すると、意見の異なる人ときちんと議論をして、相手の立場をより理解して自分の意見を修正したり、第三者に自分の意見を表明するという訓練がなされていない可能性が高い訳です。
例えば、竹島問題ならば、学生チームAは日本、学生チームBは韓国としてまずは10分ずつお互いの立場をプレゼンし、その後皆の前で公開議論、その後チームA とBで日韓を逆の立場にして、プレゼン後、皆の前で公開議論。全部英語のみ。これを各チームに別の課題で行わせ、傍聴学生は、簡単な評価書を毎回各チーム評価として提出する。相手の立場で相手が勝つためにはどういう理論構成でどういう議論をするべきかの練習をすると、自分の立場の防御にはとても役立つし、自分の弱みも見えてくる訳です。これを英語で行う訓練をしたら、プレゼンテーション能力・議論能力そして副次的に「英語は手段に過ぎない、世界で勝負するには自分の知識量を積み増す事の方がはるかに重要だ」という意識が確立されるはずです。そのレベルの面白さを知ってしまった学生は、放置していてもどんどん自分で英語で知識源を探して知識を自主的に吸収する癖がついています。
「英語での専門授業を増やす日本の大学側メリット」
今回は深入りしませんが、日本に770ほど大学があるならば、100-200大学は英語で授業をする方向性に大学経営戦略を転換しても、世界の英語高等教育市場規模*は十分にあります。(*世界で日本語を第二外国語として勉強する人の数は約3百万人、英語は1,500百万人、市場規模500倍です。)日本語で授業と言う自ら課した制約条件を取り去ることで、少子化で縮小する日本人高卒生パイを取り合うビジネスモデルから決別し、人口も可処分所得も増える東・東南アジアの成長率が自分のビジネスに好影響を与えるビジネスモデルに転換出来ます。
米国大学からみると、日本に留学希望する米国人学生は相応に居るのですが、日本の大学で英語での授業が不足しているので、日米両側にメリットのある交換留学の枠組みが使えないという問題があります。日本の大学で「英語での専門授業」(「英語の授業」ではないですよ、念のため)が増えると、気軽に授業料相互免除で留学できる日本人学生向けの枠が増えますので、大学経営側の方にはご検討頂くと良いと思います。(終)Bye for now.
(写真1:国連のワークショップにて主任講師、集合写真。写真2:勤務先キャンパスにて。写真3:勤務先学生寮:プール付、リゾートホテルのような外観)