失敗という経験を「失敗談」として発信する覚悟
今日、お会いした方にこんな質問を頂きました。
「失敗談って見せ方を間違えれば
ダメなところを見せて終わりですよね。
それをどうやったら魅力ある
コンテンツとして発信できるんですか?」
すごくいい質問だなと思いましたし
関心を持っていただけた事自体
めちゃくちゃうれしかったのですが
この問の答えを言語化すべく
あらためて考えてみました。
さて、そもそも「失敗談」とは何なのか?
失敗=主観で捉えた一つの事象・経験
失敗談=「失敗」から得た学びや気付きの発信
だと私は考えていて
自らの経験を「失敗」と認め
そこから気付きや学びを得て、次の改善に活かそうとする意図
あるいは実際に活かそうとしているアクション
のところまで昇華させていないと
失敗は失敗談として語れない
と思うのです。
だからこそ、
特にインパクトの大きな失敗を
「失敗談」として語るためには、
その経験を必ず次に活かすのだという
ある種の覚悟がいるし
それを表現し、伝える側にも
同じだけの覚悟が求められる
と思っています。
さて、失敗談を前向きに
魅力あるコンテンツとして語るには
事象と感情
客観と主観
をきっちり分ける必要があって
特に嵐の渦中にあると
当事者はネガティブな感情に
引きずられてしまうので
感情のままに発信すると
誰にとっても良くない影響を与える
内容になってしまいがちですね。
ネガティブな感情が悪いのではなく
いったん事象から切り離した上で
全体を俯瞰して
学んだこと、気づいたこと
改善のために動いたこと
あるいは、まだ動けていないにしても
どう変えていきたいのか
「失敗した時点」の感情に囚われず
「失敗から学んだ先」の時間軸を起点に語る
ようにすれば、失敗談は
その人の挑戦を表す魅力的な共感コンテンツとして
機能しはじめます。
ただ、まあそうは言っても
失敗談の発信は、当事者だとやっぱり大変で
その頃の経験を振り返ってみれば
過去の古傷がじくじく痛む
(結果、当時のネガティブな面が
発信にも強くよく出過ぎる)
なんてこともよくある話で。
だからこそ、外野目線から
発信を支え、より伝わるかたちにして
その方の経験や想いを届けていく
そんな私達の仕事が
必要とされるのだと思っています。
私自身が過去に経験してきた
全ての失敗や痛みが
誰かの発信を支え
挑戦を助ける力になるのなら
やっぱり何もムダではなく
全てが必要なことだった
と胸を張れますね。
自分の過去の失敗すべてに
いつだって感謝できるように
自らの心やあり様を
整えていきたいなと思う次第です。
さて、とりあえず
2023年もあと1週間弱。
今年の年末は想定外が多く
なかなかハードなのですが
何もかもが学びで、経験で
未来に繋がっていく
そして、来年の今頃には
今目の前の失敗も「失敗談」として
ネタに変えていけることでしょう。
写真は先日の忘年会で頼んだメガウーロン茶。
想像以上にメガサイズだったので注文が届いた瞬間
「あ、やらかした…」
と思いました。
がんばって飲み切りましたが、体が冷えて、寒かった…
こういう軽い失敗だと、深く考えなくても
ネタになるのでいいですね(笑)
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