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Bunkamura:渋谷系 part 2

あの頃、つまりは前世紀末のことだが、渋谷は輝いていた。当時の宇田川町は最高にクールな界隈で、最先端の文化が集う場所、憧れの対象だった。井の頭線の渋谷のホームに降り立ち、マークシティ側の改札口を出る。そこからエクセルシオールの方に向かって歩く。右手にリーガルと鎌倉シャツを見つつ、左手のファミリーマートとメガネのZoffを眺める。表に出ると現代アート的なモニュメント。突き当たりの横断歩道を渡り、クラブエイジアの方に向かって足を進める。ラブホテル街を足早に過ぎ去り、いまでは確かユーロスペースが左側には見えたと思うのだが、当時はそんなものはまだなかった。通りを抜けて信号を渡ると目の前には文化村がある。入り口にはスワロフスキーの小さな店舗、しばらく進むと正面に受付があり、その左にはギャラリー、奥にはラウンジ、右手に曲がりエスカレーターを降りるとミュージアムがある。ミュージアムの対面にはカフェのドゥマゴと、本屋のナディッフ。文化村の広場といえば、いまでもドゥマゴの緑色のテーブルと椅子が思い出される。

エレベーターに乗ると6階がル・シネマ。4階がオーチャード・ホールで、2階がシアター・コクーン。当時のル・シネマといえばパトリス・ルコントとウォン・カーウァイ。さらに、ベトナム映画の『夏至』も流行っていたものだ。一度、ル・シネマで女優の山本未来さんを見たことがあるが、たしか映画の『不夜城』が公開されてそれほど時が経っていない頃だったと思う、ずいぶんと美しい人だな、と感じたのを記憶している。

当時、渋谷でパーティー系のアルバイトをしていた。どんなイベントだったのかは思い出せないが、パーティー会場に飾る大きな花束をもって文化村通りを歩いていたとき、ドン・キホーテの前にたたずんでいたおそらくはロシア系の娼婦がその花束を見て歓声を上げた。なぜだかその光景を、今でも鮮明に記憶している。

バイトが終わるのはたいていテッペンを超えた深夜。終電に間に合うように足早に歩むそのかたわらの路上で、よくマジックマッシュルームが売られていた。一度は試したいと思いつつ、ついぞ試すことはなかったが、あのカオティックな情景というものも妙に懐かしい。

バイトの前によく寄っていたHMVの二階、真っ黒な匂いがするその空間でヒップホップの試聴をしたものだ。あるいは東急ハンズの前にあったDMR。ここでも大音量でレコードの試し聞きをしていた。北欧のラウンジミュージックやハウス系の音楽、あるいは、登場したばかりのUAやMISIA。

Q-FrontのTSUTAYAにも足しげく通った。たしか四階だった気がするのだが、ヨーロッパ系のかなりマニアックな映画をレンタルしまくった。セルゲイ・ボドロフやビクトル・エリセ、あるいは史上最低の映画としても名高いジョン・ウォーターズの『ピンク・フラミンゴ』。まだ見たことのない映画がこんなにもあるのか、という感動に震えながら、毎週数本の映画を借りまくった。

二十歳前後の自分がシュルレアルという言葉を知っていたのかどうかは定かではないが、当時の渋谷に感じていた魅力は確実にシュルレアリスティックだった。その後、夜の闇に溶け込む超現実を感じるのはセーヌ川左岸のパリでになるのだが。

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