『疲労社会』と燃え尽き症候群
ビョンチョル・ハンの『疲労社会』を読み始める。哲学的にはそれほど深遠でないにも関わらず、読んでいてグサグサと刺さってくるのは、私自身が深く疲労しているからなのだろう。
フーコーやアレント、アガンベンを引き合いに出しながら、自らの能力を最大限に発揮して人生を切り開いていくことが求められるこの時代に生きる現代人の疲労を描いていく本書、ヨーロッパ20カ国以上で刊行されベストセラーになった、というのもうなずける。
それは現代の日本においても当てはまる。特に職業がらいまを生きる子供達を見ていて強く感じるのだが、「〜をしてはいけない」という禁止条項によってみんな疲弊しているのではない。「将来の夢は何?」「あなたには無限の可能性がある」「夢は願い続けていけば叶う」「You can do it !」、こんな言葉を呪いのように浴びせられる毎日を送る中で、その夢とやらを見つけられない自分に劣等性を感じ、やがて顔から表情がなくなる。
そしてそれは大人にとっても同じ。人生100年時代。自分の人生を積極的にデザインする時代がやってきた。マルチステージのキャリアデザインが求められる時代において、アートにもつながる感性こそが人生を切り開く。ゼロトゥーワンのマインドセットを持とう。アントレプレナーシップこそがキーワード。コンフォートゾーンを抜け出して、アウェイでチャレンジを続けることで人生はどこまででも豊かになる。だからこそ、リカレント教育のためのインフラ整備が必要。自分のアセットを吟味し、自分自身に投資を行い、リスクヘッジを考えながらも人的なネットワークを活かして確実にリターンを得ていく。最終的には行動の量。まずは一歩を踏み出すことで目の前の景色が変わっていく。そんな紋切り型の文句がはびこるなかで、ただただ疲労だけが蓄積していく。
燃え尽き症候群(バーンアウト)の特徴として、次のような症状が挙げられる。
1:情緒的消耗感
2:脱人格化
3:個人的達成の低下
そして、その兆候としては次のようなものがある。
・やる気が起きない
・朝起きられない
・酒の量が増える
・人との関わりを避ける
・会社に行きたくない
朝おきるたびに魂を殺し、生きる屍体として玄関を出ていく日々に一旦埋没してしまうと、そこから浮上するのは難しくなる。外界からの刺激にただただ反応するだけの自動機械になることも、ビジネスをしていく上では必要だったりもする。血の通った肉体を守るためにも、痛点を消失させたかさぶたとしての時間を保持するということも必要なのかもしれない。心を真空にすること。ギリシアの作家、ニコス・カザンザキスの墓碑銘より、「私は何も望まない、何も恐れない、私は自由だ」。