『疲労社会』と『活字のサーカス』
どうしてこんなに体が疲れているんだろう、と、オフなのに駅のそばの喫茶店で仕事をしながら思う。頭がなんとも重くなってきたところで、ChatGPTに「疲労を扱った哲学を教えて」と聞いてみたところ、アリストテレスやニーチェなどに並んで、ビョンチョル・ハンという名前が出てきた。初めて聞く名前だったので、またChatGPTのフェイク情報かと思いリサーチしたところ、実在するドイツの有名な哲学者。主著は『疲労社会』ということで、早速キンドルで購入。「やればできる!」「夢は叶う!」という無責任で「ポジティブ」なメッセージの乱立により、現代人は根本的に疲れているんだ、という内容の本らしいが、まだ全く読んでいないのでなんとも言えない。子供達にとっては当てはまるのかもしれないが、あまり自分には当てはまらない気もするが、チェックはしておこうと思う。
その後本屋に行き、文庫本コーナーをぶらぶらと散策。小学館文庫より再発行されたらしい椎名誠の『活字のサーカス』を購入。椎名誠は中学生の一時期、徹底的にハマりまくった。家にあった群ようこの本にまずはハマり、そこから本の雑誌社を知り、椎名誠に辿り着いた。怪しい探検隊シリーズはもちろんすべて読んだし、『哀愁の町に霧が降るのだ』などの一連の小説群も読み尽くした。おそらく初めて読んだSFも、椎名誠の『アドバード』。そこからフィリップ・K・ディックだったりロバート・A・ハインラインなどの海外ものに流れ、さらになぜかジャン・コクトーやレイモン・ラディゲなどのフランス系にまで広がった。
怪しい探検隊に描かれていた、大人なのに焚き火の周りで遊びまくるおっさんたちの姿に10代前半の頃はずいぶん憧れた。そして、新橋サラリーマン系の一連の小説に描かれていた、ちょっと疲れた仕事人の姿にも、なんとも魅力を感じていた。大人の色気は少しかすれた声だ、みたいなことを読書を通じて学んでいたような気がするのだが、それに比べると、常に明るく元気にポジティブに、笑顔であいさつをしましょう、的な、あるいは愛をもって地球に優しく、みたいな世界は、それはそれで否定するものでは全くないが、それ一辺倒になってしまうとずいぶんと子供っぽいものに見える。