土曜の朝の音楽と愛と幻想のファシズム
何かの雑誌の特別号だったと思うが、『土曜の朝と日曜の夜の音楽』という一冊は本当にセンスが良くて、ここで紹介された音楽をYouTube musicでよく聴いている。キース・ジャレットやらグレン・グールドやら、ジョニ・ミッチェルからブライアン・イーノまで、酒に合う音楽のオンパレード。5年くらい前に当時住んでいたの四谷見附のそばのコンビニで買った一冊。おすすめです。
ということで、ミック・ジャガーのソロアルバムを聴きながら、ちなみにこのアルバムは前述の『土曜の朝と〜』で紹介されていたわけではなくて、今から15年くらい前に見た「世界の車窓から」で流れていて知った音楽なのだが、この文章を書いている。
相変わらず村上龍の『愛と幻想のファシズム』を読んでいる。まもなくエンディング。1987年に書かれたこの本、そこに描かれている日本の姿は、先日読み終えたばかりの島田雅彦の新作、『パンとサーカス』に描かれている現在の日本と大きくは変わらない。そこにあるのは閉塞感とあきらめ、疲労、希望の欠如、大きな物語の喪失。
あの頃から何が変わったのか。1989年に中国では天安門事件が起き、ドイツではベルリンの壁が崩壊した。冷戦が終結し、それまで西と東に分かれていた世界が一つになり資本主義の市場が倍増、ビジネスのチャンスが二倍になると同時に、ライバルも二倍になった。1990年には日本のネットワークがインターネットに接続され、それが一般家庭に普及するのが1995年、ウィンドウズ95の登場によってのこと。これにより、グローバル化の波が一気に押し寄せる。世界のどこにいたとしても時差なく同じ情報を受信し、あるいは発信できるようになり、世界は一つの巨大なマーケットとなる。フリードマンの言う「フラット化する世界」はこの頃から始まる。
ちなみに、1995年は阪神淡路大震災が起きた年でもある。年初の出来事で当時はネットもなかったため、関東に住む人間にとっては関西で一体なにが起きたのか、その情報が入ってくるまでに一定の時間が必要だった。2001年が9.11、そして2007年にはアメリカでiPhoneが発売される。日本で発売されるのが翌年の2008年、その後のスマホの普及により、ほぼすべての国民がネットにつながるデバイスを手にすることとなる。たしか2011年のことだったと思うが、ドイツ政府が第四次産業革命を提唱、それからはビックデータ、深層学習、IoT、シェアリングエコノミー、ブロックチェーン、仮想通貨、DAO、そして生成AIと、矢継ぎ早に「世界を変える」イノベーションが連発される。そんな中、日本は一体なにか変わったのだろうか。
村上龍の小説を読んでいていつも感じるのは、圧倒的なエネルギーの塊であり、生きる意志であり、その意志がない限りは人は死ぬ、ということ。そして、エネルギーとは広義の意味での情報である、ということ。宮台真司はみなぎる力を磨耗させる人物を「クズ」と呼び、内田樹は根本的な生命力を削ぎ落とす言説のことを「呪い」と呼ぶ、と私には思われるのだが、腹の底からの生命力を呼び覚ますような情報、あるいは物語をどこまで復権できるのか、というあたりにここからの活路はあるのではないか。それがファシズムに陥る危険性もある、と言うことも言及した上で。