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Two of Us / sympathy ~ 共振 ~
私は昔、狐があまり好きになれませんでした...
いえ、、正直に言うととても恐れて嫌悪していました。
その頃の私が抱いていた狐の印象はこんな感じです。
狐は怪しくて、ずる賢くて、卑怯者。
妖力を使って人を騙して、取り憑いて災いをもたらす魔獣。
全く不可解で、触らぬ神に祟りなし。
お稲荷さんも狐狗狸さんもクワバラクワバラ...
しかし15年ほど前に私は突然目が覚めました。
狐に対する全ての悪しきイメージは嘘っぱちのでっち上げで、それは誰かが捏造した印象操作のプロパガンダであったと気がつきました。
そもそも狐は妖怪でも魔獣でもなく、他の動物たちと同じ美しい生き物であり、我々人間と同じこの星に生を受けたかけがえのない1種族であることは誰でも分かっていることです。
しかし子どもの頃から見続けた絵本やアニメ、ドラマや映画に登場する悪役キツネキャラによって繰り返される狐への偏見や誹謗中傷は、じわじわと私の無意識の中で根を張り、やがて大きな嫌悪感となって、大人になった私をその虚構の観念から抜けられないようにしました。
そんな私を目覚めさせてくれたのは、当時の私の幼い子どもたちでした。
子どもたちの無垢で純粋な輝きは、自然や動物の輝きととても似ているとよく思いました。
毎日、子どもたちが発する輝きを浴びているうちに、自分の中にもまだ子どもの頃の輝きが存在していることに気がつきました。
そしてその輝きを心に感じながら改めて現実を見直すと、この世界は全然違って見えたのでした。
人の世は今も昔も支配者が意図して作り上げた人工社会です。
歴史に名を残す支配者は、天をも畏れぬ強大なエネルギーを使って、天然・自然をあえて制限し、不自然なものにあえて過剰な価値を付け、飴と鞭を使いわけながら従順な大人たちを動かして、彼らに一番都合の良い社会を作りました。
支配者はまず大人を取り込み、大人たちに甘い飴をたくさん渡し、まさに文字の通りに大人しくさせます。
その目的はすべての子どもの純粋で無垢な輝きを消すためです。
なぜそんなことをするのか?
支配者が最も恐れる相手は、無力化した従順な大人たちでも、歯向かう少数派の大人たちでもありません。彼らの将来を脅かし、遂には彼らを倒すものたち、それはまさに今ここに輝く絶大無限の可能性を持つ子どもたちだけだからです。
まず支配者は最初に従順な大人たち・親たちを騙し、教育という名の社会適合システムの中に子どもたちを閉じ込めて、なるべく早く自然から遠ざけ、親からも遠ざけ、学校というコンクリート施設に隔離します。
十把一絡げに一方的に試され、評価され、判断分類される子どもたちは、問答無用の従順システムによって、競争社会に放り込まれ、勝者には優越感を敗者には劣等感を抱かされながら成長することになります。
無意識下で日々増長する他者との分離感が集団の中の孤独感を生み出し、やがて耐え難くなるころ、独り心を痛める子どもたちはつたない表現でSOSを発信します。
大人はそれを思春期・反抗期という安直な認識で流しますが、もしそのようなときにその子のために立ち止まり、目を見て話を聞き、時に抱きしめ、愛を伝え、その子がどれほど素晴らしい存在で在るかを繰り返し伝える手間をかけてあげたら、それは日々水を与えて育つ植物のように、枯れることなく幹を太くし、やがて美しい花と立派な実をつけるようになることは自然の摂理の一つです。
しかしそんな子どもの心を持ち続けている大人や親、まして先生などなかなかいません。(私の作品に共鳴してこんな長い文章を読んで下さっている奇特な貴方は、その数少ない子どもの心を持ち続けている大人だと思います🙏)
試練を与えられた子どもたちは、過ぎ去って今はもうどこにもない劣等感と優越感に翻弄され、慢性不安と孤独感からまだどこにもない未来を悲観し、今を楽しむこともなく、やがて終わりなき競争人生に疲れ切って自己嫌悪と虚無感に陥ったところでやっと考えます。
「自分はいったい何をしにこの世界に生まれて来たのだろう?」
しかし答えはどこにも見つかりません。
常識と世間体と分別と協調性と遠慮という大人的観念の下にある、臆病と卑屈と自己嫌悪と自己否定という長き人工社会適合教育で植え付けられた心理が邪魔をして、かつての純粋で無垢な美しい輝きは、分厚く積もった埃の下にすっかり埋もれて見当たりません。
ましてやそれがこの世界の支配者による謀反者撲滅計画であることなども気がつくはずもありません。
*
でもきっと大丈夫。
まだ全然大丈夫。
私は我が子の輝きに救われ、自分の中にかつてあった同じ輝きを取り戻したとき、この他人による後付けの価値観が崩れてゆくと同時に、目が覚めたように狐も全く怖くなくなり、その愛らしさと面白さと楽しさと美しさに初めて感動しました。
そしてあぁ自分は長い間すっかり洗脳されていたんだなぁと何かが抜け落ちたようにスッキリした私は、なるほど大人になってからでもまだ色々と大丈夫なんだとも思ったりしました。
子どもの頃に持っていた純粋で無垢な輝きは、大人になった今でも誰の心にもまだ必ず残っていて、その輝きをもう一度使えばきっと誰でも目の前の世界を今ここから変えられると思うようになりました。
輝き?
使い方?
そんな心配はいりません。
誰でもわかるし、持っているし、
感じるだけで、その輝きを簡単に使えます。
なぜなら大人はみんな初めは子どもだったのですから。
ただ子どもの頃を思い出せばいいだけです。
何が好きで、何が嫌で、
何が楽しくて、何に憧れて、そして...
どんな人間になりたかったのかを
その気づきは原因となり、様々な縁を引き寄せて、やがて結果が生じる。
気負うことなくリラックスして「子どもの自分」と向き合えば、誰もがその因縁果の普遍的な宇宙法則の流れに乗って、目の前の世界を今ここから素敵に変えていくことができます。
*
ただただ素直に
子どもの心を取り戻して
勇気を出して
馬鹿になって
毎日少しづつ
子どもの頃の自分が憧れた大人を演じてみると、加速度的に私の世界は変わりました。
誰かに偽善者と思われても言われても気にしない強さが必要です。
最初は自分の中で自分を偽善者と罵る声がするかもしれません。
それはチクチクと胸に刺さる小さな針のよう
冷たい目をした大人の自分が
輝きを放ちながら再び芽生えつつある
子どもの自分を揉み消そうとする
馬鹿馬鹿しい!世界はそんなに単純じゃない
偽善者のようなことはするなと
くりかえしくりかえし嫌な声がする
しかし何度も何度も偽善を繰り返すと、いつのまにか偽は消えます。
自分を責める声も消えてしまって、古い世界を越えたと気がつく時がきます。
そして子どもの頃のように何もかもが気にならなくなり
ただただ常に心の中の輝きから溢れるエネルギーを感じます。
それは目が覚めるような幸福感です。
かつての自分が見失っていた疑問
「自分はいったい何をしにこの世界に生まれて来たのだろう?」
その答えはきっとその先にちゃんとあるように思います。
*
このTwo of Us (私たち2人)シリーズでは
それぞれが今ここで見出した純粋で無垢なこころの輝きの象徴を2匹の狐に喩えて描いてみました。
それぞれに目覚めた狐が二人
もう誰にも何にも惑わされることなく、
偏見も劣等感も優越感も捨てた二人
ただお互いを認めて一緒に輝ける二人
たまにはぶつかることもあるけれど、
それはお互いを真剣に愛しているから
まずは他者との関係性の最小単位の2人から、
互いの違いを認めて、それぞれの輝きを膨らませていけば、きっとこの世界はいつか本当の楽園になると私は信じています。
それは今年かもしれないし千年先かもしれないけれど、目覚めた大人たちがいつか必ず子どもたちや動物たちの輝きを第一に重んじる世界を作るようになると確信しています。
Two of Us 「私たち2人」シリーズは、長年狐を嫌悪してしまった個人的な反省と、関係修復を祈念して捧げる「こころの狐たち」へのオマージュ作品です。
長文を最後まで読んでいただき本当にありがとうございました。
合掌
✨🙏✨
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