幡野広志さんの「ぼくたちが選べなかったことを、選びなおすために。」を読みました。
こんにちは。
とくちゃんです。
幡野広志さんの、
「ぼくたちが選びたかったことを、選びなおすために。」
を読みました。
幡野さんは、糸井重里さんのTwitter経由で知りました。
ツイートの文章や、
時々書かれている悩み相談の文章を読んでいるうちに、
共感することが多く、
今回、新刊が出た、と書かれていたのをみて、
本屋さんで買いました。
以下、本の内容も含みますので、
そのつもりでお読みください。
また、以下は幡野さんのご意見というよりも、
幡野さんの本を読んでの、
ぼく自身の感想です。
なので、この感想についての責任は、ぼくにあります。
安楽死の話が出てきます。
最初、安楽死については、
ぼくは反対の立場だったので、
「ちょっとどうかな」
と思いつつ、
読んでいました。
どんな人生も、最後まで全うすべき、
と思っていたからです。
ですが、
読み進めるにつれ、
「安楽死という選択肢を、
患者に選択できるようにした方が、いいのでは?」
と思うようになりました。
ぼくも、わかっていませんでしたが、
安楽死は、単なる自殺とは異なり、
「安楽死の要件」
があり、それを満たす必要がある。
そして、なにより、
幡野さんの文章を読んでいて、
共感したのが、
安楽死は、
「死に方を選ぶ」
というよりも、
「生き方を選ぶ」
ものだということ。
親をはじめとする、家族の希望を優先するのではなく、
患者自身の希望を優先するものであること。
それであれば、
全く同意できるな、
と思いました。
そして、
なによりこの本で、
ぼく自身が、共感したのは、
「ありたい自分を選ぶこと」
という点です。
そこは、
やはり自分自身の、
今までの生い立ちと結びつきます。
今まで、ぼく自身は、
「親の期待に沿うこと」
に注力してきたように思います。
それによって、
悩んできました。
また、
「出来る人」
でもあったため、
期待されたことは、
ある程度はなんとか出来てしまう。
その反面、
ものすごいストレスを感じていました。
それで、
「息抜き」
として、現実逃避することをしてきました。
ある時期から、
それがどうにも耐えられなくなり、
そこから好きなことをするのを、
自分に許すようになり、
徐々に変化をしてきしたが、
まだまだ根本は変わっていません。
「いい子」
「いい夫」
「いい父」
「いい社会人」
いずれも、
「親が」安心するためのもの。
親の期待に生きている。
それらは、
「愛されたい」
という気持ちから、
来ています。
しかし、
そうした親の期待に沿わなかったとして、
愛されていないか?
というと、
そうでもない。
もともと愛されている、
ということに気づき始めると、
そうした親の期待に沿うかどうかで、
愛されるかどうかを気にするのは、
関係ない。
そう感じるようになってきました。
ぼくは、
両親のことは、好きだし、愛しているので、
絶縁することは、考えていません。
でも、
自分の人生を生きることを、
選ぶ。
それが、
代償を支払うものであれば、
代償を支払おう、
と決めています。
やはり、
ぼくは、自分の人生を生きる。
この本を読んで、
改めてそう感じました。
健康な人も、そうでない人も、
家族とのあり方、
自分の生き方を見直すきっかけになる本だと感じます。
ぜひ、
読んでみてください。