自己肯定感の後ろ向き分析
Note第二作目は、前回と違うトークテーマを選んだ。前回のCOVID-19の話題で多くのイイねやフォローいただいたことが、文章を書くモチベーションに繋がっているのは間違いないので、まずたくさんの反響をいただき、御礼を言いたい。過去に、mixiやFBで文章をここ15年ほど定期的には書いてきたが、あくまで身内に対するちょっとした報告・話題提供程度であり、顔の見えない読み手を対象にしっかりとした文章を書くのは医学雑誌ぐらいしか無く、自分は決して書き手のプロでは無い。そこら辺もご容赦いただきたい。
今回のトピックを選んだきっかけは、自分が、子育てをしている後輩医者や、友人奥さんたち多方面から、「どうやって自己肯定感が育まれたのか」ということをたびたび聞かれるからである。自己肯定感は、能力でも経験でもなく、「感」が付いているからには今も保たれている感覚、であるはず。となると、今の自分には自己肯定がにじみ出ているからよく聞かれるのかな、と少し恥ずかしくも思える。
おそらく、自己肯定感を育むという話題は、お子さんを持っている親御さんが興味があるような話だと思うが、自分の場合はほんの一例であり、しかも時代背景も住んでいる場所も違う状況では当てはまらない話も多くあると思うので、あくまでエビデンスレベルの低いケースレポートとして見てもらえたらと思う。
なお、個人の経緯などはいいから、結論を早く!という方は、最後の、分析する、の項目だけ読んでいただければと思う。
なお、このテーマを話すにあたり、少し自分のバックグラウンドに踏み込んだ。では、以下に目次をあげる。
子供時代
関西のとある町の非医者家庭に長男として生まれた。結果的に、上と下に挟まれた三人兄妹の真ん中で、特別に超が付くほど教育熱心な家庭でもネグレクトでも無い平凡な家庭だと思うが、親は公立学校の教師でもあり、家の中でもいろんな雑学的な話を日々聞くことはできた。ジグソーパズルをするのが大好きな子供で、良く家族でタイマーかけて競い合っていた思い出がある。こっちは親相手に真剣に争ったし、親もうまく負けてくれた(本人は気づいてない)。親の愛情を受けて育ったのは間違いなく人生にプラスに働いているが、過干渉でない程よい愛情だったのは、うちの親の、また三人兄妹のいいところだったのかもしれない。おかげで親、兄妹ともにいまだに仲が良い。
小学生時代に、習い事はスポーツに公文式と、色々させてもらったが、まぁごく平凡じゃ無いかなと思う。どれも数年間やったけれども結局やめた。スポーツ教室も地域の大会で表彰されるところまで行ったが、ハマり過ぎるのを危惧してか親に辞めさせられた。小6に上がるときにスポーツを辞めさせられた時は反発したようにも思うが、一つの習い事に固執しなかったのは、自分にとっては結果的に良かったのかなと思う。当時一緒にやっていた友人は結局、地域でそのスポーツが強い中高に行き国体に出たと言っていた。親にコントロールされずに、自分の目の前のことにピュアに突き進んでいたら、自分も得意なスポーツの道に進んでいたかもしれないし、もちろんオリンピック選手などにはならずに終わってしまった可能性は高い。まぁスポーツをする意義として日本や世界のトップレベルになることが全てでは無いのだろうが、親の手綱引きは自分にとっては影響を与えたことの一つだと思う。ただ、親は自分を医者にさせようと育てたようなことは一切ない。自分以外の兄妹は皆、公立中学を経て自分の好きな高校を受験して非医療系の仕事に就いた。自分は小学校の卒業アルバムでも「医者になる」とでかでかと書いているが、小児喘息があったこともあり、医者になって自分の病気を治すんだというモチベーションだったように記憶している。余談だが意外に小児喘息を既往に持っている医者の友人は多い。
習い事の中でその後の人生に最も大きく影響を与えたのは、公文式であった。小2ぐらいから始めて、国語と算数(と途中から英語)をやっていたように思うが、特に算数は自分にはまり、どんどん先のカリキュラムに進むことができた。なんせクリアカットに答があるというのが非常に自学で勉強しやすい教科であり、詳細は覚えていないが小学生のうちに高校数学をやっていたように記憶している。公文式では科目別に、学習がかなり先まで進んでいる子供たちの順位が冊子化されて表彰されるシステムがあり(今のシステムは全く知らない)、これがまた子供心にやる気を鼓舞してくれた。ここでは計算力と集中力を養えたのかなと思っている。周りの友達は私立中学を受験した子もいたが、自分は家庭の方針もあり中学受験はしていない。しかし興味があり、算数に限って、受験の問題集を1冊だけ買ってもらい実際解いてみたりしたことはあった。この時期決して自己肯定感が特別強い子供では無いとは思うのだが、手をあげて発言したりはあったので何かしらの積極性はあったのかもしれない。地域の公立中学に入り、成績は5段階評価の5が多くてまぁ良い方だったけれども、飛び抜けていたのかというとそこまででは無いと思う。公立中学の中では上の方ぐらい。
中2の終わり頃に、親と勉強のことで大げんかした。大して勉強もしてないのに偉そうな口聞くなとか、なんかそんな内容だったんじゃないかと思うが、腹が立ってじゃあやってやるわ、と思い、ストップウォッチで勉強している時間を計りながら親に見えるところでひたすら意地で勉強した日々が1週間ぐらい続いた。その後、関西では有名な進学塾に入れられた。月例テストがあり、フランチャイズ全体の順位が張り出されるんだけれども、最初に受けた入塾テストは800人中の60位だった。上には上がいるんだなぁ、、、と自分的にはビックリした(周りを舐めてる感があったので、多少自己肯定感は高まっていたのかもしれない)。結局、中3の一年間は人生で一番勉強した一年間だった。中3以降で親に勉強しなさいと言われたことは一度もない。週6ぐらいでその進学塾に行き、毎日宿題とテストに追われていた。普通の公立中学だったので、授業中にも登下校中にも本を開き塾の宿題していたので、まぁ普通に他の生徒にはひかれていたと思う。この時も自己肯定感は決して強くは無かったのではないかなと思う。でも、成績は伸びて行き、予定していた地元の県の1番の進学校よりも、さらに上を受けて見ないか?という塾のすすめもあり、誰もが知るような進学校を受験し、真ん中ぐらいで合格した。もちろん飛び上がるぐらい嬉しかったけど、そこを目指してずっと頑張ってきたわけではなかったので、達成感で満たされたわけではなく、むしろこれからやっていけるのかの心配が勝った。正直、初めての受験で決まった私立進学校への入学が楽しみでもあり不安でもあった。勉強する癖がつきすぎていたため、野球でプロのピッチャーが登板後に軽くキャッチボールをして肩をクールダウンさせるときのように、自分も合格後に勉強をやめなかった。合格発表から高校進学まで2ヶ月弱あったので、独学で赤チャートの数IA、数IIBを終わらせてしまった。おそらくこれまでのエピソードで一番変態的ではあるが、勉強癖は抜けずにうまく進学校に進んだ。
進学校時代
県をまたぎ片道1時間半をかけて通学していた。家が遠かったし、中高一貫校の高校からの入学ということもあり部活には入らなかった。
入学当初、中学の全国模試などで上位に名前を見たような人たちが同じ教室にいてビビっていたが、勉強を先に進めていた自分は思ったよりも学力が下ではなかった。高校入学とともに新たに某有名塾に入塾したが、高校から入学した子たち用のカリキュラムではこの子は満足できないと講師に判断され、数週目には別クラスに移された。半年後のクラス分けテスト結果で一番上のクラスに編入した。学校でも塾でも友達が増え、カード麻雀したり、下ネタ話したりワイワイ遊びながら健全な男子校生活を過ごした。男子校だったので、恋愛事情はさっぱりだが、塾の方では女の子に好きになられたり別の子を好きになったりもあり甘酸っぱい思い出が色々あるが、軸としては勉強が中心の生活だった。高2からは英語数学に加えて物理化学も始まり週4塾に行く生活になった。ここまで書いてわかるように、自分の人生を語る上で「数学」という教科は大きく関わっていて、数学を軸に自分の自己肯定感は育まれていった。通っていた進学高校では、数学ができるやつは一目置かれるところがあり、「正解するか」よりも「いかに問題を美しく解くか」を美学とする変態の集団みたいな所があり、数学ができるやつは尊敬の眼差しを勝ち取ることができる、やや特殊な環境であった。いわゆる選択圧である。そのような環境で数学力を純粋培養することに成功した自分は、高校入学後もメキメキと学力をつけるとともに、その特殊環境において自己肯定感を養えるようになっていった。進学校において、学校や全国模試の成績であったり、数学ができるというのは非常にわかりやすく数値化される指標であり、仮にいかに社会不適合であっても一定の価値を持つのである。これは、例えば野球界において、甲子園常連高校のエースが周囲からもチヤホヤされ、全国でも名を知られるのと同じくらいの価値があるのではないかと思う。
塾でも学校でもそれなりに評価されてきた学力は数学を中心に爆進した。高2の秋に初めて受けた、志望大学名のついた大手予備校の全国模試では、数学に関しては高3生・浪人生を抑えて、全国20位・偏差値85ぐらいだったし、そのような評価が、自分のこれまでの勉強の仕方に自信を与えてくれた。高3の夏の志望大学の全国模試で医学部全国1位だったことも大きく自信をつけることができた。その後も大きく崩れることなく、無事志望大学医学部に入学することができた。もちろん勉強においては自信を持ってはいたが、決して驕り高ぶり過ぎているわけではない。高校には自分よりも優秀なやつはいたし、特に普段からつるんでる高校・塾のクラスが一緒だった友人たちは、自分よりもさらに優秀とされる大学へ進学し、その後も30代で大学医学部の教授になったりした奴なんかもいる。周りにいろんな凄いなと思える友人がいたのは、自分の出身校のすごくよかった所だと思うし、いまだに出身校OBの方達との集まりがあったりもして縦横のいい関係を築く事ができている。
医学生・医者・研究者時代
晴れて自分の行きたかった大学に進学できた自分はとうとう続けて来た勉強をやめてしまう。自分の経験から考えると、小学生のうちに「有名中学校・高校」合格を目標に頑張ってくると、おそらく燃え尽きてしまうので、教育上、目標は先に持っていくのは重要では無いかなと思う。目標大学合格をモチベーションに過ごしてきた自分は、大学入学後、酒、女の誘惑に非常に弱い大学生時代を過ごした(絶対楽しいやつ)。
この段階で培われたのは、勉強以外の価値観である。これまでは、数学を軸に勉学というわかりやすいレールを突き進み、結果を残すことで自分の自尊心を育んできたが、大学に入った段階で学歴についてとやかく褒めてくれる外の人(でもこれも定期的にある)を除いては、基本皆同じ環境の友人ばかりである。改めて別のところに自分の価値を見出す必要があった。
この時期に自分の自己肯定感を高めたのは主に二点で、わかりやすくゆうと仕事とプライベートだ。仕事の方は、大学入学とともに自分が育ててもらった塾で数学講師を始めた。自分の特技を自分の仕事に置き換えることで、その特殊能力をうまく昇華させることができた。学生ではありえないぐらいの給与で、自分の仕事の価値を社会的に十分認めてもらっているという「承認」を得る事ができた。最終的にはその塾で「数学科代表」という一番上の立場に立つことにもなった。20代前半の人間がなかなか社会で味わえない経験をし、これは自分の人生にも多少の影響を与えているであろうと思う。プライベートは恋愛や大学の部活動や何やかやあるが、やはり大学で一生モノの友人たちに出会えた事が大きかったのでは無いかなと思う。自分はできた人間では決して無いが、安心できる友人たちと他愛もない話をしたり、ケラケラ笑いながら過ごす時間がいまだに持てる幸せは、高校生以前に自分の努力してきたものが認められたある一定の世界での自己肯定感から、一次元が二次元・三次元に広がりを持たせたような自己肯定感を生み出している。
その後、医者になり、研修医としてひよっこの医者人生が始まるわけだが、もちろん知らないことも多く、いろんなところで失敗を重ねたりする中でも大きく自己肯定感が崩れることはなかった。専門科が決まり、より必要とされる中で社会に埋まっていく、1ピースとして必要とされる心地よさはあったし、社会における存在意義的なところで自分の存在に価値を覚えることはあったろう。研究者となった今も、世の中に知らないことはまだまだ数限りなしで打ちひしがれることはあるが、職業を変えてもアメリカに来ても自己肯定感が大きく変化したことはない。
自分の経験談の最後に、もう一点。今の時点で最も重要なことの一つは良き伴侶と出会えたことだろうと思う。奥さんはいつも自分の味方であり、自分のことを心から受け入れてくれている。これも自分の精神安定に寄与する重要なファクターであることは間違いないが、気恥ずかしいしいつ奥さんがこの文章に気づくかはわからないので、さらっとだけここに触れておく。
分析する
最後まで書いてみてわかったこと。自分の場合は、まず大前提として親をはじめとする家族からの愛情がベースにあり、受け入れられやすい良い環境で育ったこと(自己肯定感を育む環境の確立)。何者でもない中学・高校生ぐらいの若い頃から、まずは一つの小さな分野を突き詰めていくこと、そしてそれを同学年だけの狭いコミュニティにでも良いから評価されることによって、努力によって構築できるピュアな自己肯定感を育む事ができた(一次元的な自己肯定感の育み)。大学に入り、社会と接する中でベースとなる自己肯定感を平面もしくは立体的に広げていくことによって自分の自己肯定感は崩れにくく、自分にしっかりと根付いたのだと思う(自己肯定感の多面化)。医者になって以降のことはかなり軽くしか触れていないが、それは自分にとっての自己肯定感という観点からはあまり重要でなかったように思うから。すでに大学時代に社会に出ていたからかもしれない。初期の頃に培われた努力に付随する学歴などを人は見て判断するのかもしれないが、それ以上にその後に培った多面的な自己肯定感の広がりが自分の中での肯定感の安定性を構築したのだと思う。とはいえ、自己肯定感は数値化されるものでもなければ、絶対的に存在し、保証されるものでもない。自分にとって他者からの「肯定」を継続的に受けることにより、安定して存在するものなのかなと思う(家族など身近で絶対的な肯定者の存在)。