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【日記】セーラー服を想う日


今更、セーラー服おじさんが変態だのなんだの言われてるらしい。


地方民の僕でも聞いたことくらいはあったのだが、先日東京旅行に行った際偶然すれ違って「あの人だ!!」ってなった。

…といっても、あの年齢層のおじさまがセーラー服着てるインパクト (別に文句は言ってない。ただ珍しいだけだ。) が強すぎて顔を覚えてないから、同じファッションスタイルの別人である可能性は捨てられないが。


日本において男性がセーラー服を着ることの是非は、昨今のジェンダーフリー志向とも相まって活発に議論されているところだ。

別に僕自身はセーラー服着たいなと思ったことはないが… (そもそも似合わないし。)

例えばいわゆる性別違和があって、自分以外の「女の子」はセーラー服を着ているのに自分だけ学ラン…みたいな疎外感を抱えながら生きている人々も少なからずいるだろう。


…一応言っておくが、
僕はこの記事で誰かの肩を持ったり批判したりする意図はない。

僕が言いたいのは一つだけ。

「セーラー服は女性が着るものであって、男性が着ることは異常あるいは変態的である」という主張を元に他者を揶揄することに歴史的蓋然性は全くない

これだけだ。


セーラー服が広く世に知られるようになったのは19世紀イギリス海軍の制服として使用され始めたことがきっかけだそうだ。

※一応それ以前にも英国王室の王子に子供服としてセーラー服を着せる流れがあったらしい。

セーラー (sailor) という名前が示す通り、『帆船乗り』たちが甲板上で作業しやすいようにと考案されたものを英海軍が制式採用したことで現在のような形のセーラー服が誕生した。


だから、そもそもセーラー服は『女性が着るもの』として作られたわけではない。

何なら男女比率で言ったらゴリゴリ男の方が着る服なのである。

※ただ、当初のセーラー服では男性はスカートではなくズボンを着用していたので、そこはまた別の話ではある。


ではなぜ海軍制服が女性に浸透していったのか、
Wikipediaには以下のように記述されている。

19世紀のフランスでは女性のファッションとしてセーラー服が着られるようになり、その後ボーイッシュ・ブームの一環としてヨーロッパ各国やアメリカで女性のファッションとして流行した。

Wikipedia『セーラー服』より引用


なんとこの時点では、セーラー服とはボーイッシュなファッションだったのだ。


すなわち、セーラー服は議論を待つまでもなく既に一度性別の壁を超えている。

にも関わらず現代、

着用者のほとんどを女性が占めているという理由で男性が着ることを変態呼ばわりするのであれば、

むくつけき海の男たちのファッションを取り入れた19世紀当時の先進的で自由な女性たちも同じ批判を受けて然るべきではないか。

この黎明期の流れを踏まえて言えば、セーラー服とはむしろジェンダーフリーの先駆けであったはずなのに、今や自分の個性をファッションで表現したいと願う男性に対する呪いと化している現状は余りにも皮肉だ。

冒頭の話に戻るが、

今回話題になったセーラー服おじさんに対して「見苦しい」とか「不快」などといった心無いコメントも散見された。

そういう人たちを上記のような理屈でもって批判し返すことは簡単だけれど、
彼らも彼らなりのロジックがあって『嫌い』を抱えているはずだ。

例えそれが根拠の薄弱なものであったとしても。

理由のない『好き』はありえるが、
理由のない『嫌い』はありえないと僕は思っている。

前者は既に存在しているものが存在し続けてほしいという願望なのに対して、
後者は既に存在しているものが存在しないでほしいという現状否定の願望だからだ。


何かが嫌いだと感じた時、手放しに叩くのではなく自分の中の何がその価値観を支えているのか確かめることが必要だなと改めて感じた日であった。


…さて。

ここまで語ってきてアレだけど、
僕は学ランの方が好きです。

着るのも見るのも。

セーラー服、薄いんだよねアレ。

僕は男女問わずボリューミーであればあるほど可愛いと思っているので、より重厚感を増す学ランの方が見応えがあるというか…

コレは理由のある『好き』。

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