【日記】小豆洗いに思い馳せる日
お米を研いでいた。
ショリショリショリショリ…
…そういえば、小豆洗いという妖怪がいたな。
ショリショリと音を立てて、夜道で小豆を洗うだけの妖怪。
最近よく聞いている『ゆる民俗学ラジオ』で知ったのだが、
小豆洗いはいつも無害な存在というわけではないらしい。
小豆洗おか、人取って喰おか。
なんだその2択。
何を軸に考えたらこの二者が競ることがあるんだ。
小豆と人に共通する要素…
…あ、タンパク質だ。
動物性と植物性、
人の肉と畑の肉。
どちらのタンパク質を摂ったもんかな、と思案しているのかもしれない。
以前、鉄分について調べたことを思い出した。
鉄分にはヘム鉄と非ヘム鉄というものがあるらしい。
ヘム鉄は肉や魚に多く含まれており、
非ヘム鉄はほうれん草や小松菜のような植物に含まれている。
ヘム鉄の方が人体への吸収率が高いそうだ。
タンパク質も動物性の方がいいとかあるのかな。
じゃあ人取って喰ったほうがいいな。(短絡的思考)
…よく考えたらアイツ、
『小豆洗おか、人取って喰おか』という2択にずっと苛まれているんじゃないか。
ただ小豆を洗うだけなら家でやれって話だし。
じゃあなんで夜道でやってるかって言ったら、
人取って喰うには夜道がいいからだろう。
つまり小豆洗いの頭の中では、
2つの考えがちょうど50:50で対立している。
小豆洗いは抗っているのだ、自らの食人衝動に。
だから植物性のタンパク質で腹を満たそうと思いつつも、
足は狩場である夜道に向かってしまう。
その二面性こそが、小豆洗いの本質なのかもしれない。
これは立派な民俗学的新説では…?!