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市場価値よりほっこり力

転職サイトに登録してみたり、個別相談を受けてみたりと、ちょっと活動をしてみたのだけれど、なんともどうも違和感を感じる。労働市場において商品としての自分の価値をどのようにすれば上げることができるのか、ということに汲々とする、というのもどうなのか。血みどろのレッドオーシャンの中で疲弊していくだけのような気がする。受験勉強においては偏差値を、そして社会に出てからは市場価値という名の数字をひたすら追いかけるだけの生活、というのもなんとも虚しい。偏差値にしたって、結局は受験業界が作ったマーケティングのツールなわけで、つまりすべての大学を数字によって序列化し、少しでも数字の高い大学に行きたければ予備校に行こう、さらには浪人しよう、という商業戦略にすぎない。基本的にマーケティングには、現状に対する不満をいかに醸成できるか、という要素もあるわけで、そういったマーケティングに踊らされて疲弊するということ、あるいは現状に対する抱く必要のない不満をためていくというのは良くない。

未来に対するしたたかな戦略は持ちながらも、基本的にはいまの自分がいかに上機嫌でいられるか、ということに真剣に向き合った方が良いのではないか。自分が笑えば周りが笑い、周りが笑うので自分も笑う、という、ささやかかもしれないけれど心地の良い環境を確実に広げていくことに注力したほうがほっこりする。未来の自分のあるべき姿から逆算していまという時を過ごす、という視点ももちろん必要なのだけれど、同時に未来のためにいまを犠牲にし続ける、というのも悲しい。いまという時をそのままに味わう、という観点も必要。世界に触れて感動したほうが良いよね。

「キャリアデザイン」という言葉に固執しすぎると、未来の可能性を狭める。そこには自己が変容する可能性もなければ、セレンディピティ(偶然の出会い)もない。一歩を踏み出すためのざっくりとして目標はあってしかるべきかもしれないが、同時にいまの自分には想像もつかない世界を見ている未来の自分がいる、いまの自分とは全く異なる価値観を持つ未来の自分がいる、という可能性をキープしておかないと、世界は狭まる。結局、自己教育力とは、自分を他者に変容させ続ける勇気と行動のこと。

なんだかんだ、結局は義理と人情と健康よね、ということをよく話すのですが、まぁそいうことなのだと思う。豊かな生活を支えてくれる基盤はお金だけではないわけで、お金以外の資産もしっかりとメンテナンスしておかないと足元をすくわれる。東京は今日、雪が降るみたいです。暖かくして過ごしましょう。

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