戦闘モードな母親 『シズコさん』佐野洋子/著

ああこれは、戦闘モードな母親の話だな、と思った。

読書会で紹介された本をその場でお借りした。
佐野洋子さんのあの有名な絵本『100万回生きたねこ』は私も持っていていく数回読んだ。

ところで、あの絵本はよく知っていると言われるお方にうかがいたい。
「百万回」とか「いきた」とか「猫」としないで「100万回生きたねこ」と間違いなく書けますかしら。

私などはついつい『100万回死んだ猫』と言い間違えたりします。
だって本の中は「しにました」の繰り返しで、どこにも「生きた」と書いてないのだから。

絵本にどういう意味が込められているかは作者のみ知ることで(本人すら知り得ないかも⁈)また受け取るものは百人百葉、今ここに私の感想を記しはしないが、作者が『シズコさん』に書いているような、実の母親との葛藤を抱えていらっしゃったとは知らなかった。

他にもエッセイなど書かれているので知っている方は知っていたのかもしれない。

しかし絵本は私小説ではないのだからあんまり関係ないかな。

ところで、このシズコさん、こういう人を私は「戦闘モードな母親」と呼ぶ。
いや、今さっき考えました(笑)

作中佐野さん自身が書かれている箇所を引用する。

 母が私との関係を高校の担任に、「嫉妬でしょうか」と云った時、私は見当違いの事を何云ってるのだろうと思った。
 そして、わかった。もしかしたら本当だったのだ。私は父にそっくりだったのだ。母の嫌なところをとことんつめてつめまくった。逃げ場を残すという事に思い至らなかった。
ー中略ー
 そして、父は決してあからさまにはしなかったが、私に実力以上のものを期待していて、私をある種の分身の様に思っていたのではないか。
 父は口が悪かったから褒められた記憶は一度もなかったが、私は父に愛されている事はわかった。
 父は自分と資質が全くちがう人間を妻に選んだのは正解だったと思うし、夫婦としての組み合わせとして、よい組み合わせの夫婦だったと思う。
 母は本当に私に嫉妬していたのだ。

佐野洋子『シズコさん』227頁〜228頁より


シズコさんは結婚相手は絶対帝大卒を有言実行してお父君と結婚された経緯がある。

配偶者としてはこの上ない頭脳でも、同性の我が娘(息子なら自慢だろうが幼くして亡くしている)では鼻につくのである。

もし美貌こそ人生最大の価値であるという考え方なら、毒林檎を食べさせる魔女の如く、娘を疎んだことだろう。

こういう、常に戦闘モードな母親(役割や性別はとりあえず置いて)というのは普通にいるものなのだ。

極論をあえて言えば、人が二人いたら片方は戦闘モード全開である。

そういう性質を一般的には「負けず嫌い」とか「勝ち気」と表するが私はそれに反対である。

単なる人のタイプに、優劣や好悪の感情を付け加えた言葉を使わない方が面倒な事にならずに済むんじゃないかと思う。

常に戦闘モード全開の、この場合母親は、自分の正しさを疑わない。
家庭という閉鎖的な空間で、子どもという弱者を相手にモード全開である。

戦闘モード型vs戦闘モード型であれば火花が散るのはやむを得ない。
戦いの火蓋は寝ても覚めても切られている。
家庭は戦場である。

立場の弱い子どもは押しつぶされぺしゃんこになる。
戦闘モード全開の母親は出来の良い子どもを褒めないどころか、自らの価値を高めるために貶める。
何をしてもケチばかりつける作戦である。
そうしていないと自分が押しつぶされてしまうのだ。

一方、非戦闘型には受容タイプと受諾タイプがいて、前者は軽く受け流しうまくやっていく、後者は理解して(諦めて)従う。

兄弟姉妹で戦闘モード母の接遇が異なるのはこれ故である。

シズコさんはどうやら、認知症にかかり戦闘モードが解除されたようである。

脳のどこか、闘う機能がやられちゃったんだろうと私は思った。


※戦闘モードなカエルの画像は 上の森 シハさんよりお借りしています。
ありがとうございます♪

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