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マーチは響く〜祝典行進曲

中学の入学式の校歌斉唱、指揮棒を振る部長に一目惚れしてブラバンに入りました。

与えられたパートはクラリネット。
ところがあまりに不器用で下手くそで、リードを歯で噛んでは割ってばかりいるので、パーカッションに変えさせられました。

リズム隊が実は音感が良い、なんて言うのは凄い演奏をするチームに限ることで、続けるならパーカス以外やれないね、と言うところだったと思います。

それでも文化祭で、ビートルズの『ヘイ・ジュード』を演奏したときは幸せでした。
終わりの方、半音階で上がっていくところ、頑張って練習しました。

指揮者に憧れたのもありますが、小学生の頃から自宅でホーム・クラシック・ミュージックのレコードを聴いていたので、教科書に出てくる曲はたいてい馴染みがありました。

とりわけ好きだったのはマーチ、行進曲でした。

高校でも、今更運動部でやれることもなく、二年生部員の熱心な勧誘に、軽い気持ちで入部しました。

ところが母校の吹奏楽部は、県大会で金を受賞するほどの名門だったのです。
聞いてないよ…

入部した翌日から朝練開始、授業の終了ベルがなるや否や部室に駆け込み、部員と指導にみえるOB人数分の譜面台を並べて、楽譜をセットします。全体練習開始までわずか15分しかありませんでした。

練習後は、旧校舎の空き教室に立ち並ばされて二年生からの説教、二年生は女子部員のみなので手を挙げられるようなことはありませんでしたが、恐ろしさのあまり泣き出す子もいました。

新しい楽譜が来たり、楽器に合わせて調を書き換える必要がある時には、授業中教科書で隠しながら手書きでコピーしました。
先生気づいていただろうなあ…

私はやっぱり木管楽器はダメでしたが、同じ一年生の女子と共に欠員が出ていたユーフォニウムのパートになりました。
トロンボーンやチューバのパートの先輩が教えてくださいました。

そんな不安定なパートにも関わらず、その年の課題曲に、ユーフォニウムのソロが数小節あったものですから、さあ、大変!
連日OBが通ってきての猛特訓でした。
相方の子は寿司屋の娘で、マイ・楽器を買ってもらっていました。
私はハゲハゲの古い楽器を使っていましたが、OBが銀色のピカピカの自分の楽器を使わせてくださり、とても嬉しかった!

夏休みは信濃追分にある、OBの通う大学の合宿所に泊まり込みました。
朝も昼も夜も、吹奏楽一色の日々でした。

そうして迎えたコンクールは、銀賞に終わりました。
金賞を目指していた先輩がたも同期も、一様に打ちひしがれて泣いていました。
でも、私は嬉しかった。
やれるだけのことはやったし、堂々と演奏できた。
コンクールを終えた高校生部員の悲喜交々な川越線の車内で、一人ニヤニヤと満足感に浸っていました。

結局二年生の夏休み前に退部してしまうのですが、その後この強烈かつ歓喜な体験をすることは二度となかったので、かけがいのない思い出になっています。

最も好きだったマーチは團 伊玖磨  作曲 『祝典行進曲』
とにかく、演奏していて気持ちがよかった!
美しいマーチです。


※ユーフォニウムの画像は和田のりあきさんよりお借りしています。
ありがとうございます♪





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