罪を憎んで人を憎まず、か。
少し前に老婆の日常茶飯事さんのレビューを読ませていただき興味を惹かれた映画『マミー』を観た。
ローバさん、いつもありがとうございます♪
私の住む町では上映されそうにないので、上京スケジュールに組み込んで渋谷のシアター・イメージフォーラムへ。
羽田から、少し遠回りになるけれど表参道駅に出て青山通りを渋谷方面に歩いた。
7月に上京した時の日曜日の新宿界隈の混雑ぶりを思い出して、JR渋谷駅や渋谷の街中を歩く気になれなかったのだ。
青山通りを歩くのはかれこれ二十年ぶり、さほど変わってないように感じた。
むしろ古びたように思う。
まあこんな時代なので。
青山学院大学を過ぎてスターバックスの隣にある、テーブルが三つしかないカフェで腹ごしらえを。
現金で支払おうとしたらキャッシュレス決済のみだと言われ、戸惑うペリカン、じゃなくておばさん。
すぐ近くのシアター・イメージフォーラムは、なんとなくかつての名画座のような風情。
さて『マミー』
これは…(※ネタバレにご注意ください)
ある意味別の真実が暴かれた!
ナレーションで読み上げられる、ちゃらけた感じの容疑者の手紙からは真実の訴えが読み取れない。
この手紙から、夫の証言から態度から、何を感じ取れというのか…
軽い、あまりにも軽すぎる。
"心"というものが見えない。
容疑者はいったいどのような供述をしていたのだろう。
たとえば夫ともう一人の知人男性らと仕組んでいた幾多の悪事について詳らかにしたのか?
冤罪が確定されたら、この三人は別の犯罪容疑者とならないのかしら?
???マークが頭に飛び交う。
とはいえどんなに罪深くとも因果応報であってはならない。
バチは太鼓にしか当たらねえ!は、私の信条なのだ。
冤罪を立証するためにはもっともっとやらなくちゃならないことが山積だろう。
映画に描かれたのは砂粒程度の情報なのだ。
その上で、この三人にきっちり落とし前をつけてもらいたい。
どうか優しい長男が幸せになりますように…
考えてみれば、感情に訴えかけお涙頂戴に仕立て上げるドキュメンタリーこそ、冤罪を疑わない心情と隣り合わせなのかもしれない。
憎むべきは、許されざるのは人ではなく罪なのだから。
追記:死刑囚ですが法律用語ではない容疑者としました。