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和歌浦散歩③(終章)「潮干満ちて隠ろひゆかば」


名勝和歌浦を詠んだ山部赤人の歌に、

  沖つ島荒磯の玉藻潮干満ちて隠ろひゆかば思ほえむかも
                     巻六(九一八)

というのがあります。「沖つ島の荒磯に生える玉藻は、やがて潮が満ちて隠れてしまったなら偲ばれるだろうなあ」という歌意だそうです。

この解釈のなかでちょっとひっかかる箇所がありました。山部赤人が「偲ぶ」とした対象はなんだったのだろうか、ということです。国語的には、潮が満ちて隠れてしまった「藻」の美しさを偲ぶ、ということでしょう。それだけでしょうか? 「藻」とは現物の「藻」だけを意味しているのでしょうか? 

妄想ですが、時の変化において隠れてしまって見えないけれども、とても大事な何か、といったメタファと考えられないでしょうか。

前置きはこのぐらいにします。
さっそく新和歌浦観光遊歩道(約900m)から見る建物群の今を、写真中心にお届けします。

今も立派なホテルの建物がでーんと見えますが、多くは廃業されているようです。

時代の変化により、和歌浦観光のブームは去った。ということでしょうか。

こんなにも美しい磯なのに。


結果として過剰な観光開発により情趣が烟ってしまった、ということがいわれているようです。そもそも全国的に温泉ブームが衰退したことや、他地方の観光地の隆盛もあったでしょう。和歌浦観光の衰退は複合的な要因によるものと考えられます。

いずれにしても、新和歌浦観光遊歩道の山手の景色の今は、このような写真のとおりです。

ここ↓は、けっこう綺麗な建物で、今も使われている感じでした。老人ホームのようです。

美しい造形美。海岸では白と青がよく映えますな。

ここは廃ホテルから海浜へ通じる階段です。むろん今は使用されていません。昔が偲ばれます。

ホテルではない何か(工場?)の建物の基礎でしょうか。
この壁は復元整備された感じしますね。

今回歩いた新和歌浦観光遊歩道は、平成30年度から整備工事(復旧整備?)が進められ、今年の5月、全面開通しました。これにより、これまで近付けなかった和歌浦の荒磯景観を愛でることができるようになりました。

ふと目にとまったモニュメント。こんな文字がペイントされてました。

「KAWARANAI MONO」

さあ、どうなんでしょう? この世に変わらないものなんてあるんでしょうか?

正面に見えるのは片男波(かたおなみ)海水浴場です。総延長1,200mの人工海浜で、近代的なサービス施設も充実しているので、今日もたいそう賑わっていますね。

栄枯盛衰ではないですが、形あるものや世相は、時代ととも変わるのが自然だと思います。和歌浦の廃ホテルと、殷賑を極める片男波海水浴場の対比が鮮やかに目に残りました。

しかしどこかに「KAWARANAI MONO」が隠されているはずです。だから、また来ようと思いました。和歌浦の変わらないものをもっと偲びたいから。

おしまい

(行った日:2023.8.12)