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2024ふりかえり10


① 父逝く

2019年。
持病を持つ妻(私から見れば義母)は病院。自分は病院近くのマンションで一人暮らしていた父が、ついに「もう一人でいるのは限界」と口にした。

父たちの家は他府県にある。遠距離であった。なので頻繁には見に行けない。

それで私の住まう町の医療サービス付き老人施設に引き取った。2019年の歳末だった。
医療サービス付きを選んだのは、あとから義母を呼ぶためである。

義母を同時に引き取れなかったのは、当時、コロナ禍で病院間の移動制限がかかっていたからだ。

義母を父の施設に呼び寄せることができたのは、1年後(2020年)である。コロナがまだ完全収束しておらず、他府県からの移動は、綱渡りものであった。

5年が経った。
父と義母は、それぞれに緊急入院するなどいろいろな事件があったものの、二人は同じ屋根の下(施設)で平和に暮らしてきた。

義母の最期は緊急入院した病室となった。西向きの窓の外に、夕焼ける畝傍山が真っ赤に見えていたことを忘れない。2023年10月のことである。

1年後の2024年9月、父逝く。


実母は私が26歳の時に亡くなっていますので、もうふた親ともいません




② 退職

2024年10月、大阪の会社を退職しました。
人それぞれですが、無職になることが、自分としては嬉しかったです。

別に我慢できないほど仕事に苦労したわけでも、またやりがいが持てなかったわけでもありませんが、ともかく自由になれることが嬉しかったです。

その高揚感が、後々ぎゃふんという事故を誘発します(この記事の9個目の事件)

大いに反省(後述)


毎日、ラッシュ時の地下鉄御堂筋線を利用してました



③ 車中泊の旅(南紀熊野、山陰海岸、四国室戸)

前々から夢見ていた「車中泊の旅」をスタートしました。

車はそれ用の、軽四のスーパーハイトワゴンに買い換えました。
小さく非力ですが、経済性重視です。逆に小回りが利いていいとも。

 3月  南紀熊野方面 潮岬にて1泊
 5月  山陰海岸方面 浜坂にて1泊
11月  四国室戸方面 日和佐、東洋町にて2泊

だいぶ車中泊の経験を積んできたので、さらに遠くまでの旅程を組んでもよいかなと思う今日この頃。
ただし、車中泊3泊はきつそうなので、ホテル泊と組み合わせる案も選択肢の一つ。


3月  南紀熊野方面 潮岬にて1泊
5月  山陰海岸方面 浜坂にて1泊
11月 四国室戸方面 日和佐、東洋町にて2泊



④ ブログ(note)

note記事の初投稿は、2023年5年3月です。あれから1年10ヶ月になります。

とめもない記事を書いて、よく続いて来たもの。これもひとえに(読んでスキいただく)みなさまのおかげかと。

noteにはほんとに素晴らしい方がたくさんいて、もっともっと出会いたいと思う。世界が広がることも喜び、つながることも喜び。何よりも、知ることが喜び。


noteの前は某ブログ(終了)で大衆グルメばっかりリポートしてました



⑤ 「青麗」入会

黒田杏子先生の藍生俳句会に再入会したのは2021年1月。

先生に再入会を認めていただき、徐々に作句勘を取り戻しつつあった矢先、黒田先生は2023年3月13日急逝。先生が何よりも好きだった桜の咲く頃でした。

私のnoteのきっかけは、実はこの時の思いをnoteに書いたことに始まります。(マガジン「黒田杏子俳句」あり)

黒田杏子主宰なき藍生俳句会は、先生の方針として同人制をとっておられなかったので、解散しました。

しかし黒田先生を師系として、高田正子氏が、令和6年1月、新しく俳句会を立ち上げられました。それが「青麗俳句会」です。

すぐに私は「青麗」に入会申込をしました。

こうして会員に入れていただいた私は、隔月発行の俳句誌「青麗」への投句、同じく隔月のオンライン句会に参加しています。

思えば黒田先生から頂戴した最後の指導(2年前の手紙)が、俳句作りに関して「自分以下にならないこと」というものでした。

この言葉を実践していない後ろめたさが、いつも私の中にあって、しかしいつか襟を正そうという思いも同時に存在しています。

来年は、いや明日から、黒田先生の句や著作を味読反芻しつつ、「青麗」の高田主宰の新風にも教えられ、以下でもなく以上でもない自分、そんなありのままの作品を作っていけたらと思う。


「青麗」の「青」は「藍」に通じる



⑥ 飛鳥検定(初級合格)

考古学に関心を持ったきっかけは、そのシーズンになると毎年タケノコをもってきてくれるオジさんの影響である。
そのオジさんに連れられ、初めて遺跡・遺物を探訪したのは、高砂の「石の宝殿」であった。

以来、つかず離れず、古代史や古墳などに関心を持ち続けていたところ、なんの因果か、平成の初め、奈良(中和地域)に定住することになった。

中和地域は、山の辺の道や明日香村など古代史ファン垂涎の地であり、当然私もより深く、その色に染まっていった次第である。

そして、昨年の秋頃だったか「第一回 飛鳥・藤原まるごと博物館 検定初級編」が開催されることを知り、さっそく受検申込みをした。

2024年2月、おそるおそる初級編を受検した。
結果は、70問中正答56問であった。正答率70%以上(正答49問)で合格した。

この特典は、合格認定証(免許証サイズ)を見せると高松塚古墳壁画館の入場がタダになる。それぐらい。

ラクラク初級編合格したので、これなら次のステップも、と本年12月、中級編に挑戦した。

合否結果は来年1月発表であるが、自己採点したら、100問中正答51問。不合格だ。

中級編になると一夜漬けは、あかんです。

むろん来年、再挑戦!


個人的には「飛鳥・藤原」が世界遺産登録される数年後にらみで勉強している(大それた計画はないが)



⑦ 孫(無事に1歳の誕生日を迎える)

2023年、他府県で独立世帯を営む次男に長男が生まれた。私には初孫。

生まれたときは、遺伝性を疑う深刻な病気が心配され、ジィもおろおろした。
病院にて検査を何回かやり、親には細かい指導があったようである。

2024年1月。孫は1歳の誕生日を迎えた。発熱頻度が高いように思われるものの、無事育っている。よかよか。


肖像権配慮(けっこう男前ですよ)



⑧ がん転移なく(経過観察中)

2017年(7年前)、がんが見つかり全摘手術した。成功。
しかし5年後、再燃。ホルモン治療開始。

約1年治療した結果、異常見られないので、経過観察に移行。
それから3ヶ月ごとに検査に行くが、この1年、いまのところ問題なし。

このまま異常なしが続いてほしい。

ふりかえれば、手術してから7年。
告知当時、すぐに死ぬのではないかと夜も寝れなかったが、こうして今も生かされている。

もうすこし生かしてもらって、この記事のあと書くであろう「2025やりたいこと10」をやらしてほしいもの、と願っている。


病院の検査結果が良かったら帰りにうなぎを食べることにしている(うなぎ食べたい)



⑨ 交通事故(自損事故)

「自由人になってほぼ3ヶ月半。
この間、父が急逝し、あっというまに49日。

さらに自由になって、それで浮かれて調子に乗って、実は10日程前に道路縁石と接触(自損事故)しました。

怪我はありませんが、車修理などにン十万円かかります(5万円免責の保険使います)。修理の仕上がる正月明けまでは代車生活です。

そんなこともあって、生活態度を少し反省しまして、これからはインドア方面にも真面目に取り組み、あるいは浮かれポンチ(妻曰く)なアウトドアから若干力点を移動し、地道にこつこつ、落ち着いて活動しようと思っております。ここに宣言します。←でっきるかな~?」
(過去記事引用)



修理にン十万。保険入っているので5万円の負担で済む



⑩ ジム通い


9月、スポーツジムに行き始めました。

4ヶ月経ちますが、続いています。
月10~15回ぐらい。一時間ほどマシンのお世話になっています。

体重は3キロぐらい落ちました。
先日、山の辺の道を21キロほど歩きましたが、さほどしんどくありませんでした。ジム効果でしょうか。


「2025やりたいこと10」(来年書く予定記事)のため、まずは基礎体力。
ということで、来年もスポーツジムは続けたいと思います。

ちなみに、妻も一ヶ月遅れでジムに通いだしました。あほ夫婦です。


スポーツジムに行くきっかけの一つは某エッセイスト(女性)がやり始めたからというのは内緒



こうして見ると、2024年は、自分的には、けっこう激動の年だったような。


2025は静かに潜航し、着実に前へ進む年にしたい。


2024.12.30