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大谷崎ゆかりの京都を歩く


おうみのひとさんのnoteで、谷崎潤一郎の『猫と庄造と二人のおんな』の読書感想文を読ませていただき、ああそういえば、大谷崎(谷崎潤一郎)ゆかりの地を訪ねたことがあったな、と思いだしました。

6年前(2018年)の、ちょうど今頃(12月暮れ)の某blogへの投稿記事ですが、ずいぶん歩いたなあというなつかしさもあって、一部改稿のうえnoteに再掲します。



[歩いたコース]

京阪出町柳駅→高野川→下鴨神社(加茂御祖神社)→後の潺湲亭(現石村亭)→今出川通り→白沙村荘(橋本関雪記念館)→北白川の家→哲学の道(琵琶湖疎水)→アトリエ・ド・カフェ(現GREEN TERRACE)→法然院・谷崎の墓→白川通り・丸太町通り→京阪神宮丸太町駅



出町柳駅をスタート。高野川に架かる河合橋を渡ります。橋の名は、高野川と賀茂川が出合う地なのでつけられたのでしょう。ちなみに両川合流後は鴨川と呼ばれ南流し宇治川(淀川)に合流します。

北方向に鞍馬や貴船の山が見えます。うっすら白いものは雪です。

橋下の川原の水陸移行帯では、シラサギやアオサギやカラスが、採餌および水浴び(カラス)してました。


下鴨神社。正式には「加茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)」という。古代豪族加茂(賀茂、鴨)氏の氏神をまつる山城一の宮。前掲の両川にはさまれた糺の森にあります。5月の「葵祭」で有名ですね。

なお、写真左の屋敷は、「旧三井家下鴨別邸」です。公開されてます。今日はやめますが、時間作って必見かな。(410円)



下鴨神社お参りした後、糺の森の東隣にある「後の潺湲亭(せんかんてい)」へ。「潺湲」というのは、ちょろちょろ流れる川の水の音らしい。

ここは谷崎潤一郎が昭和24〜29年まで住んだ家です。(現「石村亭(せきそんてい)」)



非公開なので家の外観だけ。



見えませんねえ。



ちょこっと庭が見えました。笑

現石村亭の名前は、谷崎が家を譲る時(昭和31年)、自ら「潺湲亭では堅すぎる。庭に石が多いから『石村亭』がよかろう」と付けたという。(日新電機HPより)

そういえば、ちょっと覗いた限りでも、庭石ずいぶんありそうです。



次に、今出川通りをテクテクと「白沙村荘(はくさそんそう)」へ。ここは日本画壇巨匠・橋本関雪のアトリエ兼住居だったところで、現在は橋本関雪記念館になっています。年末ですので閉館中でした。

後に、谷崎の妻・松子のつれ子の妻になる渡辺千萬子さんは、橋本関雪の孫として、この白沙村荘で育ち、生活の中で知らず知らずにも美意識や矜持を身に付けていかれたのだと思います。



哲学の道。琵琶湖疏水です。水量はいつもより少ない。



「北白川の家」は哲学の道あるいは白沙村荘から歩いて20分ぐらいでしょうか。北白川仕伏町。渡辺千萬子夫妻が後の潺湲亭から昭和30年に引っ越して来た家です。(谷崎は前年すでに熱海に引っ越している。)

白川に架かる、現在の御殿橋。地元の人に聞いても、昔住んでいた渡辺家のことはご存知なかった。



グーグル地図たよりにようやくそれとおぼしき場所まで来たが、特定には至らず。このあたりで間違いないでしょうということにする。

そこから京都盆地を見下ろすと、今は住宅が密集してますが、当時(昭和30年代)はお花畑が広がり、遠くには愛宕山や船岡山が望めたとか。仏壇用の花売りに行く白川女の里でしたから。



道を引き返し、哲学の道(琵琶湖疏水)に戻って、さらに南へ。

…ありました。「アトリエ・ド・カフェ」。ここはたぶん当時の建物。今は名前変わってましたが。琵琶湖疎水に面しています。(年末年始休業中)

来年コーヒー飲みに来よ。



すぐ近くが法然院。法然院に谷崎の墓があります。



谷崎自ら選んだ場所に、自ら選んだ鞍馬石に、自ら書いた「寂」の字。しだれ桜も植えられてあります。

「寂」には深い意味がありますね。凡人にははかりかねるところありますが。



散歩はもう終わりです。

この日最初に訪ねた「後の潺湲亭」の生垣に白椿?がひっそりと咲いておりました。花や葉が濡れているのは、小雪がちらついて、すぐに溶けたからです。

寒い年の暮の文学散歩。24954歩でした。



下鴨神社の鳥居あたりにて見かけた猫。こんな風に、近寄ってきてくれました。

これほど人懐っこい猫を見たことがありません。

…谷崎は猫好きだったようですね。



おしまい


※ヘッダー画像は後日(2020年9月)撮影した鴨川です