新学習指導要領を見て思ったこと。
新学習指導要領って言葉は聞いたことがありましたが、4月からひっそり開始されていたのですね。これについてのポイントは私のような人間がまとめるのもおこがましいので、
これをみて思った&自分に置き換えて悲しくなった話です。
今までの知識偏重詰め込み型から、その知識をどう活かすのか、自分ごととしてどう料理していくのか、そもそも何故これを学ぶのか子供たちが考えて学び、言語化していくスタイルに変化することで、好奇心が強く、得たことから新たなものを生み出す力が強い子供が育っていくんだと思います。
変化が激しすぎる現代で、一つのやり方に固執するのではなく、あらゆる引き出しを総動員して活かしていくことが必要だと思います。また学び続けることが必須となってくると思うので、このスタイルに変えていくことは変化を生き抜く人材を作る上で適してるなと感じました。
ただそんなこれからの子どもたちを羨ましくもあるのです。こういう話題をみると必ず感じるのが自分の成育歴のひどさ。
機能不全家庭で毒親育ちで、典型的なアダルトチルドレンである私は過去は変えられないと何度思ってもやはりこの呪縛から解き放たれきることはないのだなと。
今回この新学習指導要領をみて思ったのは、私もせめて学校でこの教育を受けられてたらなと。はい、そんなこといっても叶わないし、それ自体が他責なのでここだけにしますが、まー本当勉強したことが記憶にほぼ残ってないのですよ。
理由は簡単。脅されながら意味もわからずたまひたすら自分の身を守るために、そのばその場のテスト範囲を丸暗記してテストにのぞんでたんです。
本来テストは学びをアウトプットする場だと思うのですが、あれ理解できてなくてもひたすら死ぬ気で詰め込めばその時はかけるんですよね答え。
それでいつもテストの成績よかったですよ。何も理解してなかったけど。
親は何故学ぶのか、学びをどう活かすのか、教えてくれることはなく、点数が悪いと恥ずかしい、消えてくれというスタンスだけで勉強を強要し続けました。問題がわからないと暴力をふるわれるので、結局理解できないままその問題の解き方を丸暗記してなんとか凌ぐというやり方で過ごしました。
塾もいかせてもらえず、本当何のためにこんな苦行を強いられているのかわからず、ボロボロな中学時代。点数がよくても褒められることはなく、むしろ学校で褒められるのが気にくわないのか、常に私の人間性まで全否定されてました。
そんなもんだから高校にいったら、本当に無理になり勉強一切しなくなりました。それなりの名前の高校だったのと、そもそも親が賢いわけではないので高校の勉強について口出しする知識もないのか何も言われなくなり、本当に何も学んでない高校時代でした。
そして当たり前に大学行く意味がわからないので働きたいといったら、また消えろ甘えだふざけんなのオンパレード。
大学にいく理由は大学くらいでてないと恥ずかしい。のみ。
完全に諦めた私はとりあえず暗記をはじめ、
なんとかそれなりの名前の大学には入りましたが、本当に辛かった。意味も感じられないモチベーションもゼロのままでやったことはただのトラウマでしかありません。
大学入ったとき本当モチベーションなかったので、基本授業は名前書いて退出か寝てるか、単位ギリギリでひたすら遊んでました。
働きたいという気持ちは強かったので、就活は自分の力で本気で頑張りましたが、そんな自分の行動に意味も意志も持たない人間中身がなくてなくて仕方ない。
たまたま拾ってくれた今の会社に感謝です。
働くのは楽しく、必死に働いていれば数年後親から言われた言葉。
「そんな頑張って働かなくていい。専業主婦にでもなればいいじゃん。」
あきれて物が言えないというレベルじゃなかった。専業主婦目指させるならもっと違う導き方あったでしょ。本当自分たちが自慢したいがだけに大学名や高校名を押し付けられてた身にもなってくれ。
空気のように生きるしかなかった、すべてが記憶から残らない、何も自分ごとになっていない私を作り上げた罪を理解してほしい。そう思いますが、諦めてます。
諦めたらそこで試合終了といいますが、この試合にでることで私はやっと育てつつある、普通の人の心や生活に支障を出してしまう。だから諦めるのです。
でもそのかわり、ちゃんと今の自分を大事に、日々学び直しです。本当に何も知らないし馬鹿だけど、自主的に好きなことを規制されず学べるのが楽しい。学んだことを少しでも言語化できたとき、心に残ったとき嬉しい。30超えるまでそれができてない大人は致命的だと思うけど、今からでも努力は報われると思っています。
私も得たものを自分がどう活かすか、そしてそもそも何故それを得るのか、自由に考えてよい環境をやっと手に入れられたので、しっかり考えて生きていく。