「いい子」っていいこと?
親の期待に応えようと「いい子」にすること。これって世間的に良いことであると言われるのかもしれない。それに対して疑問や問題点を呈していたい。(個人的な見解であり、個人差はあるでしょう)
自分で自分のことを選択できる?
親という家族であっても、親の意見と自分の意見は違う。考え方や感じ方、したいことは違う。しかし、親の期待を精一杯に答えようとする。
自分がなくなり、自分でしたいことが分からなくなる
親の考えが正しいとするあまり、自分の考えを殺し続け、自分の考えを持たない方がよい。そうすれば、波風立たず、親たちも喜んでくれる。
それを繰り返していくと、自分の好きなこと、したいことを失う。
自分のために生きるのではなく、親のために生きる。しかし、それに何も違和感も感じず、ふとした出来事にあったときに、生きぐるしさを感じるのだ。
怒られない選択、褒められる選択の先回りがうまくなる
典型的「いい子」と言われる子の特徴である。自分の意見を言うのではなく、自分の中に不満等をため込んでいく。本人は不満をため込んでいる自覚なんてないけれどね。いつしか自分で自分を決定できなくなり、自分の好きな物も分からない。進みたい道を選択できない。自己決定できなくなり、自己肯定感も下がる。
日本で行われた「差別体験授業」に関する記事を見て欲しい。ここでは性別による無意識な差別についてをメインとして書いているが、このような価値観の刷り込みが養育環境下で行われているのである。
自己決定ができないとどうなる?
自分のしたいことが分からなくなる。生きていることに意味を見いだせずつらくなる。本当に個人的な考えであるが、高校生ぐらいまでは「いい子」のままでうまく生活できる。だが高校3年生や大学または社会にでる段となると、「いい子」が上手くできなくなる。時期として青年期であり、アイデンティティをもとに自分の力を使って、自分で決定する力が必要とされるからだ。「いい子」には元となるその力が低いままなのだ。鍛える機会に恵まれていないのだ。そして自傷行為や自殺念慮、それに関係する行動が起こるのだと思う。
「いい子」でいようとしなくていい。自分の力を信じて大丈夫。
自分のために生きて欲しい。
相手と自分の考えが違ったとしても、同じ感情にならなくていいんだよ。
ただ、そういう考えがあるんだと知るだけでいいんだ「へぇ~そんな考えもあるんだね」ってさ。
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