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私が母親への違和感、憎しみを超えて、大好きになるまで。

私は母が大好き。
大好き過ぎて泣けてしまうくらい大好きなんです。

でも最初からそうだったわけではありませんでした。
嫌いだったわけでもありません。
ぼんやりとした違和感を持ちながら長~く長~くその違和感をそのままにしてきました。48年も。

今、私はコミュニケーションの学びに取り組んでいるのですが、手紙と称して母の事をレポートにまとめました。
せっかくだからシェアします。
お母さんが大好きだけど…、って方に届きますように。



私には86歳になる母親がいるのですが認知症で記憶を司る海馬という脳の組織がほとんどないようです。
今、施設に入所しています。

昨日母親に面会に行ったのですが
私は母親が大好きで大好きで
大好き過ぎて泣けてしまいます。
昨日も母親に、こんなに娘達(姉も母親大好き)に愛されてる人、なかなかいないよ(母をを喜ばせるために盛ってますが)なんてポロポロ泣きながら言ってました。
母親はあら!そうなの?!なんて笑っていましたが…。

泣ける程大好きだと思えるようになったのはここ半年位です。

私は長いこと母親の事が大好きだと認識していました。

でもその割には、困った時に母親に相談することはありませんでした。
そして尊敬する人は?と聞かれたときに、母親と答える事に違和感を持っていました。
そんな自分をそのままにしながら生きていました。

5年前、子供が不安定になったことがきっかけで自分の事に疑いを持ちました。
私は人を愛せてる?と。
そしてそこを突き詰めたくて手探りで調べている時、
母親がとんでもない親だった、ということが判明しました。

愛着障害という本に書いてあったひどい親と同じことを私の母親がしていたことが分かったのです。

衝撃でした。

しばらくして怒りに変わり、ワナワナ震えました。
許さないと思いました。
途端に母親に会いに行かなくなりました。

でも、認知症に片足を突っ込んだような危うくなっている親を姉だけに世話させる訳にはいかなかったので、
必要最低限の関わりをしていました。

こんな母親に育てられたら
私が愛するのが下手なのは当然だ。
この思いは私のなかでくすぶり続けました。

ところが
渋々母親と一緒の時間を過ごすうちに、私にある関心が湧いてきました。

こんな母親はどうやって作られたんだろう?

私は知りたいと思いました。

母親に根掘り葉掘り生い立ちを聞きました。
母親はそのうち認知症が進行して
まともな話が出来なくなるだろうから急がなきゃって思いました。

母親はそんな質問攻めな私の事を
「一体どうしちゃったの?」と笑っていましたが
私の質問に答えてくれました。

母の話から想像出来る母の生い立ちは、決して貧しくはなかったけれど、愛たっぷりとはかけ離れていたのだと分かりました。
母も又、おばあちゃんから充分な愛を受け取ってこれなかったのだ、と。

そこで私が気がついたのは
私が愛することが下手なのは、誰も悪くなかったということでした。
私が悪いのでも、母が悪いのでもない。
愛するのが下手な家系であり、血が原因だということでした。

それが分かったら、分かった自分が改善するしかありません。
私はこの愛するのが下手な家系を私の代で終わりにすると決めました。

そこから私はまず子供達を愛すると決めて
まずは子供達の欲求を全てきいてあげるという行動を始めました。

でもすぐ行き詰まりました。
私の子供は四人でフルの仕事もしていたので体力的にすぐ限界が来たのです。

限界だー、としなだれた私の頭の上から声がしました。(謎ですが)
まずは自分から、と。

そこから、方向転換して自分を愛する事を始めました。
これもスマホで検索しながら手探りで。

そうしたら、歯車が全て噛み合うかのようにうまく行き始めたのでした。

自分を愛すれば愛するほど自分が喜ぶのが分かり
それが自然に人を愛することに広がって行きました。

そうしたら、私がどれだけ母親の事が大好きなのかも、しみるように分かってきました。

今までも大好きだった母なのに。
でも今までは母親が大好きでも泣けませんでした。
今は大好きで泣けちゃうんです。
そんな自分に変われてよかったと思っています。

哲学者、池田晶子さんの本で
分かるとはすなわち愛する事と同じと学びました。

私が母親の生い立ちを知りたくなったのは、まさしく母親を愛しているからなんだと分かり本当に嬉しくなりました。

分かろうとするのは愛しているから。
これが腑におちてから私は誰かを分かろうとする時には、
私、愛してんだなっと嬉しくなっています。

どんどん分かろうとする行為をしていきたいと思っています。

最近思っているのは、
母は私を愛してくれていたと思っています。
ただ、愛の伝え方に問題があり、私にはホント伝わっていなかった。
でもそんな母は、私を生かしてくれました。食べ物を与えてくれました。
私がいいこと悪いこと様々な経験が出来ているのは生きているからこそだと思うと
生かしてくれた母の愛にやはり泣ける私でした。

後もう1つ。
今、会話がほぼつながらない母親と
施設の回りを散歩したりするのですが
母は、何か文字を見つけると必ず声に出して読み上げます。英語さえも。

そんな母をみていると
母も生き方によっては向学心高く
知的に生きる事ができたのではないかな、と思うんです。
でも母はそれを選ばなかった。

昭和12年生まれという男尊女卑の時代のせいかもしれません。
兄弟にお前はダメな子認定を貼られて
私なんて、と思っていたのかもしれません。

そんな母を見ていると
母も自分に気がついたら人生が変わっていて認知症にならなかったのかもしれない
なんてちょっと悔しく思います。

もう母親の年齢、状態だと
人生をやり直せる可能性はかなり低い。

だから、これからも母親には沢山好き好き言って喜ばせていくつもりです。

そして私は、母の分も沢山学んで
自分が光ることで母を幸せにしたいと考えています。

長々となってしまいましたが
読んで頂きありがとうございます💕
役にたちますように✨


2023年11月18日土曜日
縁あって登壇させていただく機会をいただきました☺️
初登壇
応援していただきたい💕
よろしくお願いします💓


幸せなママがいっぱいの世界を見たい!子育て・妊娠・出産アドバイザーただのかおるです!


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幸せな自分、幸せなお母さん、幸せな世界に向かって | stand.fm「本当の笑顔をしているママや女性がいっぱいの世界を見たい」 子育て、自分育て、妊娠出産アドバイザータダノカオルです。 カルさんと呼んで下さい。 私は助産師という仕事を20年以上しています。 そして思い通りに全くならない4人の子供の育児を楽しくしている母親でもあります。 こう書くと順風満帆のようにみえますが…。 私の人生はなかなか心穏やかにはいられ…

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