心理機能競合論

対立関係にある心理機能のペア(Te-Fi、Ne-Siなど)は、一方の正の作用がもう一方の負の作用を生むという連動があり、多くの場合はこの間のバランスを取ることに困難が生じると思う。特に第2~3機能間はジレンマを抱えやすく、青年期~成人期にかけては悩みのタネになると思う。

ただあくまでバランスなのであって、本人の器量次第で両立は可能で(というより両立させようとする試みこそが心理的成長と言える)、反対の心理機能を持つ人間とタッグを組むことによって補完もできるだろう(真逆のタイプだと難しいが)。本稿で述べる「競合」というのは、その両立や補完が(多くの場合)不可能である心理機能のペアを指す。論理式で言うと排他的論理和(XOR)が適合する。

以下が競合のペアである。

Te(外向的思考) - Fe(外向的感情)
Ti(内向的思考) - Fi(内向的感情)
Se(外向的感覚) - Ne(外向的直観)
Si(内向的感覚) - Ni(内向的直観)

Te - Fe(社会規範)

どちらもテリトリー形成に関りがある機能である。Teが資本主義的ヒエラルキーで資源が上位者にあてがわれるのに対し、Feは民主主義的に資源を分配しようとする福祉的な面がある。上層モラルと下層モラルとも言える。基本どちらか一方が採用され、採用していない心理機能にアンチの立場をとっていることがよくある。

ただINTPは比較的Feにもアンチ傾向かもしれない。

運悪く地位や資本に恵まれなかったNTJが生存戦略として疑似的にFeを運用していることがある(ただこれは女性限定である)。

Ti - Fi(価値への懐疑と付与)

TPは懐疑的な面が強く、無批判に何かを受け入れることをしないが、FPは対象に積極的に価値を与え、批判そのものを好まない。しかしこの価値の付与はまったく論理的ではないため、TPは納得しない。

個人の感情という面でも、TPは感情を殺すことが容易にできるが、FPはできない。それはもうアイデンティティの喪失だろう。

ちなみにFJも感情型ではあるが、「周囲に合わせる」という意味で自分の感情を殺しており、ここでTPとシンクロが可能。TJは感情を殺すに殺しきれず、FPとシンクロ。

また、NTPが言う「好き」というのは、人間の滑稽さをあざ笑うブラックユーモアの類であり、FP系が言う「好き」とはまったく趣が異なっている。

Te-Feほど意見の対立は見られないと思う。これはこの心理機能を優位に持つ人間が相対主義傾向の強いPで、「人は人自分は自分」と考えるからだと思う。

Se - Ne(行動と理論?)

ルール的にこの2つがペアになるはずなのだが、自分にとってどちらも弱い機能なのであまりうまく説明できない。実行型であるSPに対し、NPはそもそも実行を必要としていない、という感じだろうか(NPは言語を操作しているだけで満足感を感じているように思う)。

以前あるINTPが「Seを信用できない」と言っていて、ほう…となった。感覚としてよく理解できない。

Si - Ni(事実と虚構)

基本に立ち返ればSNは認知機能であり、SPはリアルタイム性に強く、NPは可能性を追求してパラレルな世界線を構成する。これはどちらも柔軟性があるが、SJとNJの認知は静的かつ絶対的である。ただお互いが異なった、たった一つの世界を認知している。

SJが重要視しているのは時間の連続性と正確な事実であるが、どちらもNJの性質とは水と油である。NJは理想の世界である「ビジョン」を掲げるが、これはそのNJが原点となっているものであり、これまでの歴史の延長にあるものではない。独断的に既存の体制をガラリと変えてしまうところがあり、正式な手続きを踏むことを遵守するSJからは理解を得られない。

また、NJはビジョン実現のため意図的にムーヴメントを起こそうとする傾向があり、しばしば虚飾性を帯びる。情報・印象操作もよく行う。SJはこれらを流言飛語と受け取る(しかしNJ目線ではNJ自身がやっていることが事実である)。

NPもNJも「解釈」を行うが、後者はある一つの解釈に固執する。ここで解釈そのものを行わないSJとの齟齬が起きてしまう。

また、SJが比較的母国や故郷にアイデンティティを置くのに対し、NJは平気で海外脱出を考えていたりする。

少し電波的な想像だが、SPであればNi解体後の世界であっても動的生命力で生存可能だが、SJだと歴史的に蓄積されたリソースがないので信頼に足り得るものが獲得できず、死に至る。

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