炎の第三次ソロモン海戦:第1章 危機線上のガ島基地 ~ 1.火弾の雨
はじめに
第1章 危機線上のガ島基地
ヘンダーソン基地*1はなおも悲鳴をあげねばならなかった。八艦隊*2のつぎには前進部隊が登場した。
1.火弾の雨
ガ島*3の第二次総攻撃*4は、わが連合艦隊*5の強力な支援のもとに実施されたが、無念にも失敗に終った。わが愛宕*6は、第二次ソロモン海戦*7に支那部隊*8旗艦として出撃していたが、総攻撃失敗の満たされぬ思いのうちにトラック*9に帰投した。
ガ島の奪回は容易ではない。本腰をいれて攻撃する要がある。陸軍の数コ師団を送りこむとともに、海軍も全力をあげてガ島航空基地を叩かねばならない。トラック泊地の全艦艇は、真剣にその対策を練りはじめた。
と、たまたま、三式弾*10と称する新砲弾が内地から到着した。この新榴散弾*11の試射を第三戦隊 ─ 金剛*12、榛名*13が実施することに定められた。
十月六日、夜のとばりがトラック泊地を覆ったころ、三戦隊が実験射撃の位置に歩みよった。目標は、泊地北方にぽつと浮かぶ住吉島*14。照射指揮官兼機銃群指揮官兼衛兵司令*15、そして砲術士*16という長たらしい肩書が、私にくっついていたが、私は砲術士として、射撃指揮所*17(トップ)に上った。砲術長も、測的分隊長*18(照射責任者)沢岡中尉*19も、じっと金剛、榛名の黒い艦影に目を注いでいる。
金剛の舷側*20一帯から、パァッと強烈な白光がほとばしり出た。われわれは、息をのんで弾着を待った ─ 。
十数秒後、住吉島の上空一面がパッと真赤に燃え上った。数百軒の家屋が一度に火を発したようなものすごさ。広い真紅の幕をかぶった住吉島は、溶鉱炉に投げこまれた一片の鉄塊と化した。
「わぁーッ!⋯⋯」
後甲板に集まって見まもっていた乗員の間から歓声が湧いた。
沢岡分隊長は、
「すごい、これこそ回天*21の兵器だぜ。ガ島にむらがる敵機も、一度に焼き払われてしまう。ほんとに!」
と面を輝かせるのであった。
(「2.ヘンダーソン基地の悲鳴」へつづく)
管理人による脚注
*1:ヘンダーソン基地
ソロモン諸島のガダルカナル島に位置し、日本軍によって建設された。1942年、米軍がこの飛行場を占領した。この飛行場は、日米両軍の激しい戦闘の舞台となった。戦後になると飛行場はヘンダーソン国際空港と命名され、2000年代にホニアラ国際空港に改名された。
Citations: https://ja.wikipedia.org/wiki/ホニアラ国際空港
*2:八艦隊(第八艦隊)
第八艦隊は、旧日本海軍の艦隊の一つで、主に太平洋戦争中に活動した。特に、南方作戦や輸送任務を担当し、戦局において重要な役割を果たした。
Citations: https://ja.wikipedia.org/wiki/第八艦隊_(日本海軍)
*3:ガ島(ガダルカナル島)
ガダルカナル島は、ソロモン諸島に位置する太平洋の島で、太平洋戦争中に重要な戦略的拠点となった。1942年8月から1943年2月にかけて、旧日本軍と連合軍の間で激しい戦闘が繰り広げられ、この戦いは太平洋戦争の転換点となった。戦闘の結果、連合軍が勝利し、旧日本軍は多大な損失を被った。戦時中の過酷な状況から、旧日本軍の間では「餓島」(がとう)とも呼ばれた。
Citations: https://ja.wikipedia.org/wiki/ガダルカナル島の戦い
*4:第二次総攻撃
1942年10月24日から26日にかけて行われた旧日本軍によるガダルカナル島の攻撃作戦。この攻撃は同年9月の第一次総攻撃の失敗を受けて計画され、旧日本軍は約2万人の兵力を投入してヘンダーソン飛行場の奪取を目指した。しかし、アメリカ軍の強固な防御と反撃により、再び失敗に終わった。
Citations: https://ja.wikipedia.org/wiki/ガダルカナル島の戦い
*5:連合艦隊
連合艦隊は、旧日本海軍の中核を成す2個以上の艦隊で編成された部隊。1894年から1945年まで活動し、日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦、第二次世界大戦などの主要な戦争に参加した。天皇に直属する連合艦隊司令長官が指揮を執り、旧日本海軍の戦力の大部分を占めていた。日本海海戦での東郷平八郎の指揮や、太平洋戦争での山本五十六の活躍など、数々の有名な逸話を残した。しかし、戦争末期には司令部を陸上に移す「陸に上がった連合艦隊」とも呼ばれ、その栄光は徐々に失われていった。
Citations: https://ja.wikipedia.org/wiki/連合艦隊
*6:愛宕(あたご)
旧日本海軍の重巡洋艦であり、1932年に就役した。太平洋戦争中は主に第二艦隊の旗艦として活動し、数多くの海戦に参加。ほぼ一貫して第二艦隊旗艦を務めた名艦。1944年にレイテ沖海戦に向かう途中、アメリカの潜水艦ダーターの魚雷攻撃を受けて沈没した。艦名は京都府の愛宕山に由来し、その後も海上自衛隊の護衛艦「あたご」として名前が受け継がれている。
Citations: https://ja.wikipedia.org/wiki/愛宕_(重巡洋艦)
*7:第二次ソロモン海戦
1942年8月23日から25日にかけてソロモン諸島北部で行われた、旧日本海軍とアメリカ軍の海戦。この戦いでは、旧日本軍がガダルカナル島への増援を試みたが、アメリカ軍の空母機動部隊と基地航空隊の攻撃を受けて失敗した。結果として、アメリカ軍の勝利に終わった。
Citations: https://ja.wikipedia.org/wiki/第二次ソロモン海戦
*8:支那部隊(支那方面艦隊)
1937年10月に日中戦争の拡大に伴い編成された旧日本海軍の艦隊。当初は第三艦隊と第四艦隊を統轄し、後に第五艦隊も加わり、連合艦隊に匹敵する大部隊となった。主に中国大陸沿岸や長江流域での作戦を担当し、1945年9月に中華民国国民政府に降伏するまで存続した。
Citations: https://ja.wikipedia.org/wiki/支那方面艦隊
*9:トラック(旧トラック諸島・現チューク諸島)
西太平洋のカロリン諸島に位置する島群で、太平洋戦争中は旧日本海軍の重要な前線基地であった。ソロモン海戦の頃には燃料不足や船舶不足により、大型艦の訓練にも支障をきたすほどの状況であった。1944年2月のアメリカ軍による大規模空襲(トラック島空襲)で軍事基地としての機能を失った。
Citations: https://ja.wikipedia.org/wiki/チューク諸島
*10:三式弾
旧日本海軍が開発した対空砲弾で、主に戦艦や巡洋艦に使用された。この弾薬は焼夷弾子を内蔵し、敵航空機に対して高温の火炎を放出することで攻撃を行うことを目的としていた。ヘンダーソン基地艦砲射撃では、地上施設に対しても効果を発揮した。
Citations: https://ja.wikipedia.org/wiki/三式弾
*11:榴散弾
中に多数の散弾を詰め、破裂するとそれが飛び散る仕掛けの砲弾。
Citations: https://www.weblio.jp/content/榴散弾
*12:金剛(こんごう)
1913年に竣工した旧日本海軍の巡洋戦艦で、初の超弩級艦として知られている。イギリスのヴィッカース社で建造され、太平洋戦争では活躍し続けたが、1944年に沈没した。艦名は奈良県と大阪府の境にある金剛山に由来する。
Citations: https://ja.wikipedia.org/wiki/金剛_(戦艦)
*13:榛名(はるな)
旧日本海軍の巡洋戦艦で、金剛型の3番艦として1915年に竣工した。艦名は群馬県の榛名山に由来する。1945年の空襲で大破した後、戦後に解体された。榛名は日本海軍の中で最も多くの海戦を生き延びた艦として知られている。
Citations: https://ja.wikipedia.org/wiki/榛名_(戦艦)
*14:住吉島
チューク諸島(旧称:トラック諸島)を構成する島の一つ。住吉島は日本による委任統治時代に付けられていた日本語名。
Citations: https://ja.wikipedia.org/wiki/チューク諸島
*15:照射指揮官兼機銃群指揮官兼衛兵司令
・照射指揮官: 敵艦や航空機に対する探照灯の操作を指揮する役割を担っていたと考えられる。
・機銃群指揮官: 艦艇に搭載された機銃群の運用を統括し、対空防御などの任務にあたっていたと考えられる。
・衛兵司令: 艦内の警備や規律維持を担当し、衛兵の配置や任務の割り当てを行う責任者であったと考えれる。
*16:砲術士
主に艦の主要武器である砲の運用と管理に関する専門知識を持ち、射撃訓練の実施や砲の保守管理、射撃精度の向上などの任務に従事していたと考えられる。
*17:射撃指揮所(トップ)
艦の最上部や高所に設けられた砲撃指揮を行うための場所。ここから目標を確認し、砲撃の指示を出す。
*18:測的分隊長
敵艦の位置や動きを正確に把握し、効果的な射撃を可能にするための重要な役割。
*19:沢岡中尉
沢岡 信男中尉(海軍兵学校 第68期)と考えらえる。
Citations: http://hush.gooside.com/name/Biography/2181sawa.html
*20:舷側
船体の側面部分のこと。
*21:回天
①衰えた勢いを盛り返すこと。
(②旧日本海軍の水中特攻兵器、いわゆる人間魚雷。)