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眠れないので昔話
※トップ絵は前の記事の「机に向かってノートにスケッチをする女の子」の別バージョンです。
なんかアンニュイな雰囲気が好き。
これまでを振り返って
元々は工業デザインの仕事に就きたくて、高三の一年間は某進学塾が運営している美術研究所に通ったものの、やはり付け焼き刃では受験戦争を乗り越えられず断念。
某美術系専門学校に二年間通い、それなりに頑張って勉強したり、課外授業のエコランレース制作にのめり込んだりして、楽しく学生生活を過ごしていたものの、バブルが弾けた後の、徐々に景気の悪くなっていく中で就職がなかなかできず、そこでデザインという仕事に就くのは無理なのだろうなと、一旦夢を諦めた時期があった。
その後の数年間は、僕の中での「大航海時代」みたいな時期で、ゲームを作りたくなって地元を離れて新聞配達をしながら学校に通い、そこでMacとDTPに出会ってからは「どうにかしてDTPを仕事にしたい」と、経験もないのに月島あたりにあった小さな制作会社に潜り込んで、泣きながら徹夜して仕事をしていた。
残念なことに、その制作会社はその数ヶ月後に潰れ、それでも諦めきれなかったので、運送会社の夜勤をして口を糊しながらデザイナーとしての再起を狙っていた。
あの頃のようなハングリーな魂は今はないけれど、あの時の僕かいなかったら、今の僕もいなかったのだろう。
しかし現実は残酷で、再びデザインに携われるようになったのは、それから数年後で、紆余曲折あって川崎にあったアパートから逃げ帰ってからのことだった。
最初は地方の情報誌の編集という話を聞いていたが、面接に伺ったら「実は風俗雑誌で」と当時の編集長に言われた時は「それでもMacで仕事ができるなら」と全く気にしていなかった。
その雑誌社の仕事も、あまり長く続けられず、雑誌の方は一年ほどで廃刊になり、そこからはデザイン方面で仕事を転々とすることになった。
我が身を蝕む転職癖は、この頃からの宿痾で、長くて七年未満、短ければ三ヶ月程度で仕事を転々とするようになってしまった。
初めて出勤した時には前任者が退職してしまっていて、何も分からずにゼロから自分流で仕事を回していったことも少なくない。
どんなに稼げない仕事でも、デザインに携わることができたなら、なんとかやっていけた。
当然、貯蓄も何もない。
なのに、何を狂ったのか結婚してしまった。
僕の中で唯一後悔があるとするなら、多分結婚してしまったことなんだと思う。
二人分の食い扶持を確保できないのに、今の奥様の境遇に同情してしまい、一緒に暮らす提案をしてしまったことで、奥様にお金で苦労をかけてしまい、色々と迷惑をかけてしまったことは、口にすることはないけれど、本当に迷惑をかけて申し訳ないと感じでいる。
その後、上司と喧嘩したり、身体を壊したりで転職癖は治る気配もなく、転がる岩は転がる勢いを強めて、挙げ句の果てに北関東の田舎までコロコロと転がり続けて今に至る。
そして……、自己破産した現在、転がる岩はゴロンと倒れ、縁起でもない話だが、転がっていた頃を懐かしんでいる。
ああ、あの頃に帰りたいなぁ……。
事務所の椅子を並べて仮眠をとっていた頃が懐かしいなぁ……。
眠れない夜に、そんなことを思っている。
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