「オードリー」は朝ドラ版・大映ドラマである。(前編)
2024年4月から、BS-NHKで再放送が開始された朝ドラ「オードリー」は、本日9月21日で最終回を迎えた。はじめは疑問を抱きながら、恐る恐る見ていたが、いつの間にかこのドラマにどっぷりとハマり、病みつきになってしまった視聴者は、私だけではないだろう。
「オードリー」再放送の開始当初は、SNS上では、「オードリー」初見の朝ドラ視聴者たちによる、阿鼻叫喚の悲鳴の投稿で溢れていた。
まず、大竹しのぶが演じる、太秦の老舗旅館「椿屋」の女将・吉岡滝乃の言動が訳が分からない。ヒロインである隣の家の夫婦の娘を、生みの母親を差し置いて、自分の娘のように勝手に育てはじめる。更に、名前を「美月」と命名し、自分を「お母ちゃま」と呼ばせ、隣の家に渡り廊下を作り、人質のように娘を強奪して、自分と同じ部屋に寝かせるのである。SNSでは、「狂気」「サイコパス」「ホラー」といった言葉が飛び交った。
滝乃以外の登場人物も非常識でおかしな人物ばかりであり、このドラマが何を描きたいのかさっぱり分からず、違和感ばかりを感じていた。こうした序盤の展開で、脱落してしまった視聴者も少なくなかっただろう。
しかし、個人的には、この作品の「毒」や不気味さ、得体の知なさ、ドロドロとしたものに徐々に魅了されていった。
そして、劇中劇のテレビドラマ「惨殺浪人・夢死郎」が完成した頃には、SNS上の多くの朝ドラマニアが「オードリー」を絶賛しはじめた。この頃には、私も「オードリー」に対するモヤモヤは完全に氷解して、とんでもない朝ドラであると認識を改めた。
「オードリー」とはどういう朝ドラなのか、私なりの定義は、次の通りである。
「オードリー」に登場する「大京映画」のモデルは、1971年に倒産した映画会社の大映である。そして、今も存続する映像制作会社である大映テレビの前身は、大映の一部門だった大映テレビ製作室である。
そして大映ドラマとは、その名の通り、大映テレビが制作したドラマである。詳しくは後述するが、「大映ドラマ」という言葉が生まれたのは、他の制作会社と比べて、大映テレビが制作する作品には、極めて個性的で、独自の演出や設定が多いためである。
加えて、「オードリー」にはここ数年の朝ドラの中では「傑作」との評価が名高い、2021年下半期放送の「カムカムエヴリバディ」(「カムカム」)のオマージュ元や共通点を多数見つけることができる。
つまり、「カムカム」の制作陣と脚本家の藤本有紀が、「オードリー」という作品と脚本家の大石静に対して、最大限のリスペクトを払っていたということであり、それほどの大傑作であるということだ。
このnoteでは、2回にわたり「オードリー」について考察してみることにしたい。前編では、「オードリー」の大京映画のモデルである、大映と大映テレビについて考察することにしたい。
「大映」とは
冒頭で述べた通り、「オードリー」に登場する「大京映画」という映画会社のモデルは、大映である。「オードリー」チーフ演出の長沖渉氏は、ドラマのテーマについて、次のように語っている。(太字は筆者)
「オードリー」における重要なテーマの一つは「映画100年テレビ50年の映像文化史」である。映画業界が斜陽化する一方で、テレビ業界が急成長していく、戦後日本の映像文化史・メディア史が描かれていた。
そして、2024年の現在では、テレビ業界の成長が鈍化する一方で、インターネットの映像・動画配信が急成長している。映像制作の状況的には、かつての映画業界と極めて似てきており、24年前の朝ドラではあるが、再放送が意義深いものにもなっている。
「オードリー」を深く理解するためには、大映の歴史を知る必要があると私は考えた。そこでいくつかの文献から、大映について調べたことを紹介することにしたい。
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大映映画と永田雅一
大映の設立の経緯と黄金時代については、映画秘宝EX「技と情熱の「大映」篇」の冒頭に記載がある。以下に引用する。
当時の大映には、多くの時代劇スターが所属しており、「オードリー」の大京映画所属の俳優、栗部金太郎(クリキン)や桃山剣之助(モモケン)、幹幸太郎等のモデルとなった時代劇俳優もいたのだろう。
次に、昭和のエンタメを得意とするコラムニスト、小林信彦の「コラムは笑う」から、大映の歴史と大映テレビに関する記述を引用する。
要約すると、大映テレビ独特のグロテスクな不自然さ、おかしさ、ミスマッチな印象は、時代劇スターが現代劇を演じることで生まれた、作品の演出や設定に源流があったとのことである。
そして、この不自然さやおかしさ等は、「オードリー」を最初に見た時に感じる感覚と極めて近いものだろう。個人的には、「オードリー」制作陣は、意識的に大映映画や大映ドラマの設定や演出を取り入れたのだと考えている。
次に、大映を語る上では、大映の設立に手腕をふるった永田雅一を取り上げる必要があるだろう。國村隼が演じた大京映画社長・黒田茂光のモデルは永田雅一である。
大映設立当初は専務だった永田雅一は、1947年に社長になり、大映が倒産する1971年まで社長を務めた。先に上げた数多くの名作をヒットさせるだけではなく、プロ野球の球団を運営したり、競馬では馬のオーナーとなりダービーをとったりと、大映の黄金時代を支えた立役者である。しかしながら、ワンマン社長ぶりとドンプリ勘定の経営、テレビ進出に消極的だったこと等は、大映倒産の要因になったともいえる。
昭和の映画の黄金時代を築き上げ、テレビの普及で業界の斜陽化に耐えられず倒産した大映という会社は、「映画100年テレビ50年の映像文化史」を描く上では、業界の栄枯盛衰を描くことができる、理想的なモデルであったといえるだろう。
ドラマの舞台が、映画会社、映像製作会社になったのは、他にも理由があると考えられる。大石静は自身のエッセイで、次の通り語っている。
「オードリー」制作陣としては、大石静独特の発想や人生経験、創作論、映像文化に対する考え等を反映させたかったのだろう。そこで、大映を舞台のモデルとして、ヒロインが女優や映像制作の仕事に関わる物語に設定したと考えられる。
加えて、映像制作会社として存続した大映テレビもドラマの舞台にして、大映テレビが制作した「大映ドラマ」風の演出を取り入れた。
このようにして「オードリー」は、映画とテレビの「映像文化100年史」というテーマを描いたと考えられる。
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大石静の半生と大映「母もの映画」
ここで大映の話から一旦逸れるが、「オードリー」は脚本家・大石静の実話をもとにしているという話を整理することにしたい。
まず、「オードリー」の設定と共通する以下の内容は、大石静本人の対談や著書等から確認した結果、事実である。
しかし、大石静は、自身のエッセイ集「静心」の中で、「オードリー」が「自伝」であることを否定している。以下に該当箇所を引用する。
本人が言っているのだから、「オードリー」は大石静の自伝ではないのだろう。また、NHKの「大石静」特集のHPには、「オードリー」のヒロインのモデルは大石静自身であるという記載があるが、他の主人公のモデルが実在したといわれる朝ドラと比較すると、モデルと言えるほど、大石静の半生が描かれているとは言い難い。
「オードリー」のチーフ演出・長沖氏も、次の通り、大石静のエピソードは、ベースの部分だけを使い、話を膨らませていったと語っている。
つまり、自伝やモデルではなく「オリジナルのストーリーに、大石静が経験した、様々なエピソードやクリエイターとしての思いが盛り込まれた」というのがより的確と思われる。
他の朝ドラでいえば、2018年放送の北川悦吏子脚本「半分、青い。」が、「オードリー」のケースに近い。「半分、青い。」のヒロイン・鈴愛の片耳難聴、故郷が岐阜県、幼馴染が早稲田大学がモデルと思われる西北大学に入学する設定は、北川悦吏子自身が経験したエピソードが元である。しかし、ヒロインの半生はオリジナルストーリーであり、北川悦吏子の半生とは全く異なる。
それでは、「オードリー」の制作陣は、大石静の「老舗旅館を舞台にふたりの母親に育てられた」というエピソードを、どのように話を膨らませていったのだろうか。ここからは私の推測ではあるが、鍵となったのは、大映の「母もの映画」ではないかと考えている。
大映が戦後に量産した映画のジャンルの一つに「母もの映画」がある。
「母もの映画」とは、母親を主人公とする母性愛を描いた映画であり、大映所属女優の三益愛子が主演した多数の作品がヒットした。「母もの映画」について、再び小林信彦のコラムから引用する。
大石静の生みの母と育ての母がどういう関係性だったかは詳しくはわからない。しかし、生みの母と育ての母がせめぎ合うという物語は、まさしく「オードリー」の滝乃と愛子の対立の構図と同じである。
あくまで仮説ではあるが、NHKのドラマ制作陣は、大石静のエピソードから、大映の「母もの映画」を連想し、「母もの映画」のような人物相関図の朝ドラを着想したのではないかと考えられる。
このように考えられる根拠は2つある。
一つ目の根拠は、賀来千香子が演じた、美月の生みの母の名前が「愛子」であることだ。これは、母もの映画に多数出演した大映所属の女優、三益愛子へのオマージュと考えられる。
もう一つの根拠は、このドラマの題名の候補として、「オードリー」以外に「母ふたり」という候補があったことである。これは「母三人」を意識していたと考えられるだろう。
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プロ野球と映画会社と長嶋一茂
「オードリー」には、「大京ダイナマイツ」というプロ野球の球団が登場した。モデルは大映がオーナーだった大映スターズ(その後、大映ユニオンズ、大毎オリオンズと球団名を変更)であり、現在の千葉ロッテマリーンズの前身となる球団である。
かつて映画会社とプロ野球は深いつながりがあった。プロ野球の黎明期には、プロ野球球団の親会社は、公共性の高い業種である新聞社、鉄道会社、映画会社の3業種に、ほぼ限定されていた。これは「プロ野球の父」と呼ばれた正力松太郎の意向であり、一般企業による過剰な宣伝に利用されることを避けるためだったとされている。大映以外にも、松竹、東映といった映画会社がプロ野球球団を所有していた。
大映の永田雅一社長は、米国での「羅生門」のセールスの際に、プロ野球チームを所有することが、会社として信頼される手段と知り、球団運営に熱心に取り組んだ。1953年にはパ・リーグの初代総裁に就任し、球界再編成にも関わった。
そして、1962年、永田は私財を投じて、東京都荒川区の南千住に大毎オリオンズのスタジアムである「東京スタジアム」を建設した。このスタジアムは当時の最新の設備を備え、「光の球場」と呼ばれていた。
しかし、「オードリー」にも描かれていた通り、テレビの普及で映画業界は急速に斜陽化していく。どんぶり勘定とワンマン経営の大映は、ほどなく経営の厳しさに直面し、球団を手放すことを余儀なくされ、東京スタジアムの使用もわずか10年で終わることになる。
「オードリー」第110話では、長島茂雄の巨人軍監督辞任会見と王貞治の現役引退の映像が引用されていた。
大映の球団が存在した、昭和のプロ野球は、巨人の長島茂雄と王貞治の国民的人気が圧倒的だった。平成に入ると、日本全国に球団が分散して、地域密着という形で、全球団平等に応援されはじめたが、昭和末期までのプロ野球は、テレビ中継は巨人戦に偏重していた。
それ程までに巨人の人気は凄まじく、長島茂雄は、日本のプロ野球の象徴的な存在だった。今の現役プロ野球選手でいえば、ロサンゼルス・ドジャースの大谷翔平と同じレベルだろう。それに今の大谷翔平の人気を一番支えているのは、早朝の試合中継を見ることのできる、かつて長島と王を応援していた高齢者世代だ。
そして、錠島尚也を演じた長嶋一茂は、長島茂雄の長男であり、元プロ野球選手である。現役引退後は、明石家さんまに誘われ、バラエティ番組のタレントとして活躍するが、俳優業も精力的に行っていた。
長嶋一茂が「オードリー」に起用された経緯は、脚本家・大石静のエッセイ集に書かれている。NHKの若手ディレクターのアイデアである。
大石静でさえ「たまげる」レベルのキャスティングだったとのことだが、「オードリー」という作品にとって長嶋一茂の起用は、そのことだけで大いに意味のあることだったと私は考えている。
「オードリー」のテーマの一つは、日本の戦後映画史である。先に述べた通り、映画会社とプロ野球球団は深いつながりがあり、戦後映画史を背景とする朝ドラで、プロ野球との関係を描くことは必要不可欠だった。
それゆえ、戦後の日本プロ野球の象徴的な存在であった長島茂雄の息子、長嶋一茂を起用できたことは、「オードリー」という作品にとって、メモリアルな意味合いもあるキャスティングであったと私は考えている。
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「大映テレビ」とは
前述した通り、大映テレビは、大映の一部門だった大映テレビ製作室から独立した会社である。親会社の大映の倒産の影響を受けずに存続できたのは、テレビ局から発注されるドラマを制作していたため、収益基盤が異なっていたからではないかと考えられる。
「大映ドラマ」の代表的な作品としては、1970年代は、山口百恵主演の「赤い」シリーズ、1980年代には、「スクール☆ウォーズ」や「スチュワーデス物語」等がある。下記のWebサイトやYouTube動画で、大映ドラマの数々の名作と歴史が詳しく紹介されている。
1980年代に制作された大映ドラマは、バラエティ番組等で芸人がネタにしていることもあり、若い世代の視聴者でも何となく知っているだろう。
また、2013年放送の朝ドラ「あまちゃん」では、小泉今日子が、ヒロイン天野アキの母・春子を演じていたが、東京編のエピソードで、小泉今日子主演の大映ドラマ「少女に何が起ったか」での、石立鉄男が演じる刑事の名台詞をもじった「薄汚えシンデレラの娘」というネタをクドカンはぶっ込んでいた。
かくして、今でも多くの人々に語り継がれる「大映ドラマ」とは、どのようなドラマだったのか、その特徴について述べることにしたい。
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大映ドラマの特徴
前項で紹介した大映ドラマ年表のサイトには、「大映ドラマ」に特有の「お決まり」が紹介されている。以下に引用する。
こうして見ると、「ナレーションが大々的に物語を語る」以外の「お決まり」は、すべて「オードリー」にあてはまる。
「主人公は数奇な運命にある」というのは、生みの母と育ての母に同時に育てられたという、ヒロイン・美月の境遇がまさにあてはまる。
「純愛」については、美月の錠島に対する「まっすぐ」な恋愛の描写が、「出生の秘密」については、青葉城虎之助の設定がクリキンと雀蓮の隠し子であったことがあてはまる。
「大げさな言い回しと感情表現」「少々行き過ぎた、ぶっとんだ設定」はほぼ全ての「オードリー」の登場人物とエピソードにあてはまるといってよいだろう。
もう一つ、「大映ドラマ」の特徴を挙げている文章を引用する。既に引用している、コラムニスト小林信彦の文章である。
「宇津井健の怪演」というのは、「大御所俳優」がとんでもない役柄で「怪演」をみせると言い換えてよいだろう。宇津井健は、そのような役柄を演じる「大映ドラマ」常連の大御所俳優だったが、「オードリー」における宇津井健のポジションは、滝乃役の大竹しのぶではないかと思う。
「オードリー」においては、「常識ばなれしたセリフ回し」は、前述した通り、ほぼ全ての登場人物にあてはまるし、「主人公に与えられる<とんでもない>試練」は、二人の母親に育てられるヒロイン・美月の境遇である。
「オードリー」において、「無理やりなストーリー展開とご都合主義」にあたるところは、大京映画の黒田社長が、様々な経営判断をする上で、雀蓮さまの占いに頼るところだろうか。ストーリー上、雀蓮さまの占い結果は、都合よく使われていたように思う。
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大石静脚本と大映テレビの親和性
脚本家・大石静を評するキャッチフレーズに「ラブストーリーの名手」というものがある。確かに恋愛ドラマは大石静が得意としていることは間違いないが、このキャッチフレーズだけでは、大石静という脚本家を捉えきれていないとも思う。
そのことが分かるのが、ホイチョイ・プロダクションズ社長の馬場康夫氏と大石静の「光る君へ」に関する対談動画である。動画の一部の会話を抜粋する。
「何を言っているんだ、このおばちゃんは(笑)」という感想しか出てこない対談だが、そもそもがこういう人なのだ。そして、わたしはこういうことを言う人が大好きだ。ちなみに「光る君へ」の記者会見でも、「平安時代のセックス&バイオレンス」を描くと豪語しており、複数のメディアで報じられていた。
エッセイ集を読んでみても、大石静という脚本家は、めちゃくちゃ過激なクレイジーおばちゃんである。「オードリー」の登場人物でいえば、滝乃と二階堂樹里を足して2で割らないといった感じである。ちなみに同じような恋愛気質と狂気が共存するタイプの脚本家が、北川悦吏子だと思う。
そして、大石静は、朝ドラのヒロイン像に関して次のように語っている。
「オードリー」で描かれたヒロイン像は、さわやかで素直な「朝ドラ」のヒロインではなく、どちらかというと、トンデモな境遇のもとで悪戦苦闘する「大映ドラマ」のヒロインである。大石静的には、そうしたヒロインを描く方が性に合っているのだろう。
しかし、大映ドラマ的なヒロインのままでは、朝ドラとして放送に耐えない。大石静は、「オードリー」チーフ演出の長沖氏との対談で、次のように語っている。
脚本家本人が「過激思想」「毒」と語っている(笑)。この大石静の猛毒を「朝ドラのフォーマット」に半ば強引にはめこんで、視聴者に受け入れてもらうための、NHKの「オードリー」制作陣の努力は、相当なものだったろう。
「オードリー」最終回が終わった時点での、いち視聴者としての気持ちを例えると、フグの毒をキメて気持ちよくなっているイルカである。大石静の猛毒をキメて、「ぽわーん」となっている感じである。来週からの「オードリーロス」、略して「オドロス」の禁断症状がとても心配である。
「「オードリー」は朝ドラ版・大映ドラマである。」の前編は以上である。後編では、「オードリー」の登場人物を、できる限り、大映ドラマ的な観点から考察し、さらに「オードリー」に影響を受けた「カムカム」のオマージュや共通点を考察してみることにしたい。
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