現代劇朝ドラの見方【#朝ドラおむすび】
2024年9月30日から、NHKの朝ドラ「おむすび」の放送が始まった。ここ最近の朝ドラは「らんまん」「ブギウギ」「虎に翼」と、主人公のモデルがいる作品が続いていたが、「おむすび」は、主人公のモデルが存在しない、現代劇の朝ドラである。このタイプの朝ドラは、2022年の「舞いあがれ!」以来である。
「おむすび」が放送開始されて以降、ネットメディアでは、「おむすび」下げの安易なコタツ記事が数多く掲載されている。またそうした記事が、「おむすび」に批判的な視聴者によって、SNSで拡散されている。
いつものことではあるが、新しい朝ドラの放送開始当初は、前作の朝ドラと比較してしまう視聴者は多い。今回も「「おむすび」は「虎に翼」と違って、つまらない。惹き込まれない。」といった声が数多く聞かれている。
しかし、ハッキリ言って、それらの記事、投稿は筋違いな難癖がほとんどだ。どんなドラマや映画でも、物語の冒頭では「分からない」ことが多い。だが、自分が「分からない」ことを「つまらない」と変換して、すぐに文句を言う人が非常に多いのだ。この傾向は一般の視聴者だけでなく、週刊誌系のネットメディアで、朝ドラの記事を書いているライターにも非常に多い。
しかし、朝ドラを作っているのはNHKの制作陣である。ドラマ制作のプロフェッショナルである。SNS上の一般人や、ネットメディアのライターよりも、はるかにドラマや映画に関する見識をもっている。
先入観を持たず、またネット記事やSNS等の筋違いな批判に翻弄されず、「前作の朝ドラとは別物である」と考えて見続けていけば、どんな朝ドラでも、面白さを見出すことはできると私は考えている。
このnoteでは、「おむすび」の視聴の役に立つ、朝ドラの物語の分類と、現代劇朝ドラの特徴を解説することにしたい。そして、「おむすび」を見る上で参考になるドラマ作品を紹介することにしたい。
朝ドラの3分類
朝ドラ制作においては、「朝ドラのフォーマット」と呼ばれる物語の型があり、おおむね3つの型に分類される。以下のnoteで詳細を書いているが、本noteでは、一部を引用して解説することにしたい。
朝ドラの物語は、おおむね下記の3種類に類型化できる。
もちろん、「カムカムエヴリバディ」など、この分類にあてはまらない、変則的な朝ドラもある。しかし、ほとんどの朝ドラはこの3つに分類できるだろう。
①に分類される作品には、ヒロインのモデルが実在した作品が多い。例えば、「カーネーション」(2011)「あさが来た」(2015)「スカーレット」(2019)「ブギウギ」(2023)等がある。
そして、「虎に翼」(2024)もこの分類である。
②に分類される作品には、ヒロインの夫のモデルが、ある業界で名を成した偉人が多い。例えば、「ゲゲゲの女房」(2010)「マッサン」(2015)
「まんぷく」(2018)「エール」(2020)「らんまん」(2023)がある。
そして、2025年に放送予定の「あんぱん」と「ばけばけ」は、②に分類される。
③に分類される作品には、ヒロインのモデルが実在しない、現代劇のオリジナル作品が多い。例えば、「あまちゃん」(2013)「ひよっこ」(2017)「半分、青い。」(2018)「おかえりモネ」(2021)「舞いあがれ!」(2022)等がある。
そして、今放送している「おむすび」は、③に分類される作品である。
ネットメディアの記事には、「虎に翼」と「おむすび」を比較して視聴者の反応を伝える、「おむすび」下げのコタツ記事が多数あるが、異なる分類の朝ドラ作品、つまり、ジャンルの異なる作品同士を比較して雑に語るのは、真っ当な論評ではない。
例えば、江戸時代が舞台の時代劇と、令和の若者の恋愛ドラマを比較して論評するのは、ナンセンスであることは自明である。同じ様に、昭和の戦前から戦後が舞台の女性裁判官のドラマ「虎に翼」と、平成が舞台のギャルから栄養士を目指すドラマ「おむすび」を比較して論評することは、ほとんど意味がない。
もしくは、「自分は年取って、若者の心情とか分からないなあ、時代劇の方が好き」といった感じで、個人的なジャンルの好き嫌いを表明しているだけに過ぎない。SNS上の視聴者の「虎に翼」と「おむすび」の比較語りは、ほぼこれに尽きる。
一方、同じ分類の朝ドラを比較すると、テーマ設定や、人物設定、物語の構造等に、かなり共通点がある。更に、参考にした過去の朝ドラ作品へのオマージュを見つけられることも多い。
過去の同じ分類の朝ドラをどう踏襲して、また、どのような新しい要素を加えているかを論じるのが、実りのあるドラマ評論だと私は考えている。
そこで、次の章では、「おむすび」が分類される、現代劇オリジナル作品の朝ドラの特徴について述べていくことにしたい。
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現代劇朝ドラのポイント
最近の複数の現代劇朝ドラを見てきた経験でいうと、「つまらない」と言う視聴者は、面白く視聴するためのポイントをおさえられていないと、私は考えている。
そこで、「おむすび」を理解する上で役に立つ、現代劇朝ドラのポイントを解説することにしたい。
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普通の女性がヒロインのオリジナルストーリー
ヒロインのモデルがいる朝ドラは、モデルが功成り名を遂げた女性なので、基本的に昭和以前の時代の朝ドラである。2024年は平成に換算すると、平成36年なので、もう少し先には、平成、令和が舞台の朝ドラでも、ヒロインのモデルのいる朝ドラが作られる可能性はあるだろう。
ヒロインのモデルのいる朝ドラは、モデルとなった主人公の半生を調べることで、大まかな筋は読める。そして、基本的には、サクセスストーリーである。その意味では、「分かりやすい」タイプの朝ドラが多い。
一方、平成から令和を舞台とする現代劇の朝ドラは、無名の一般女性が、挫折や困難を経験し、時には職業等を変えて、成長していくオリジナルストーリーが多い。そして、オリジナルなので、物語の先が読めないし、必ずしもサクセスストーリーではなく、成長途上で完結することも多い。その意味では、「分かりにくい」タイプの朝ドラが多い。
現代劇朝ドラに対するよくある批判の一つには、「分かりにくい」というクレームである。何を描いているか分からないというものである。短絡的な視聴者は、ここで「分かりにくい」を「つまらない」に変換してしまうのである。
しかし、ここで注意したいのは、「分かりやすい」=「良い」、「分かりにくい」=「悪い」ということではないことだ。「分かりやすい」作品は、視聴者が作品を鑑賞して、「考えることが少ない」「解釈の余地が少ない」可能性がある。制作者が視聴者のリテラシーを低く想定し「分かりやすく」したドラマが、果たして本当に優れたドラマと言えるだろうか。
逆に、「分かりにくい」作品は、「考えさせることが多い」ということであり、そこから多様で多義的な解釈が生まれることも多い。
現代劇朝ドラを見る上で必要な姿勢は、このシーンやこの設定はどういう意味なのだろうかと考えることである。
また、「分からない」という状態に耐えて、すぐに投げ出さないことである。それでも、考えてもわからなければ、SNSでの朝ドラ本タグの、他の視聴者の投稿を参考にすればよい。数多くの考察があり、その中には、シーンの理解の一助につながるものもあるはずだ。
一方で、参考にしてはいけないのは「反省会」タグをつけた投稿である。「反省会」は、投稿した本人は、自分は有意義な批判をしたと思っているが、大体において、読解力不足の半可通の筋違いなクレームである。見ても何も参考にならない「雑音」なので、ミュート推奨である。
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言語情報(台詞・ナレーション)が控えめ
これは厳密には、現代劇朝ドラの傾向というわけではないが、最近の朝ドラは、台詞やナレーションといった言語情報が控えめな傾向にある。前作の「虎に翼」は、法曹ネタの朝ドラということもあり、異例に言語情報が多い作品だった。
視聴環境がテレビしか無い時代の、昔の朝ドラは、言語情報が多い傾向にあった。朝の忙しい時間帯に家事をしながらでも「ながら見」でついていくようにする必要があったからだ。つまり、やむを得ない措置である。
しかし、台詞やナレーションで何でも説明してしまうドラマが、面白いわけがない。朝ドラ制作陣にとっても、余計な説明を省いた作品をずっと制作したかったはずである。
言語情報が控えめな作品を作ることが許される環境が、今では整備されたと言える。視聴環境の進歩で、今ではスマホさえあれば、NHKプラスやNHKオンデマンドのアプリで、何度でもすぐに見返すことができるからだ。
言語情報が控えめな作品を見るコツは、非言語情報に注目することである。言い換えると、演者の表情や演技、口調、背景の映像、音楽などの非言語情報に注目して、それらがどういう意味をもつのかを考えることである。
例えば、「半分、青い。」(2018)においては、ヒロインの鈴愛をはじめとする多くの登場人物の言動が、ADHDやASDといった発達障害ではないかと思わせるものが非常に多い。
「半分、青い。」と発達障害については、以下のnoteを書いた。興味のある方は是非読んでいただきたい。
このnoteを書いた時には、「発達障害に関する説明は一切ないではないか」「偏見である、そんな解釈は許せない」「発達障害は精神科医による、でっちあげだ」といった反論をいただいた。確かに、「半分、青い。」には、このドラマが発達障害のことを描いた旨の言語情報は無い。
しかしながら、登場人物の言動などの非言語情報には、発達障害を思わせるような多数のシーンが出てきているのである。おそらく、発達障害ではない健常者の視聴者からは、これらの言動が発達障害に起因することを読み取ることが難しかったようにも思われる。
わたしはこうした反論を寄せた人に言いたい。「半分、青い。」の非言語情報をきちんと受け取っていたのかと、もう一度見直してみてはとお伝えしたい。
現代劇の朝ドラに限った話ではないが、映画やドラマ等を鑑賞する際は、役者の演技や表情にもっと思いを馳せてほしい。それらの演技や表情から、何を伝えたかったのか、そのことを考えることが作品の深い理解につながると考えている。
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現代の社会問題が提示される
「おむすび」前作の朝ドラ「虎に翼」では、日本国憲法の第14条「法の下の平等(差別のない状態)、貴族の禁止」をベースに、マイノリティの問題が取り上げられていた。それ故、「虎に翼」は、「社会派」朝ドラとも言われていたが、社会派の要素が含まれていた朝ドラは「虎に翼」だけではない。もともとは、現代劇朝ドラの方に、社会派の要素が含まれることが多かったように思う。
朝ドラでどういった社会問題が提示されるかは、大きく二つに分かれる。
一つ目は、戦争や震災に関する社会問題である。昔の朝ドラから、比較的取り上げられてきたと言える。
二つ目は、SDGs、多様性と包摂といった最近注目されるようになった社会的課題である。これらの社会的課題は暗示されることも多く、注意して見ていないと気付かないことも多い。
これらの社会問題について、より詳しく解説することにしたい。
① 震災・災害
モデルのいるヒロインで、昭和以前の時代が描かれる場合は、戦争体験のエピソードが挿入される。一方で、1945年の終戦を挟まない、現代劇の朝ドラは、昨今頻発している震災や豪雨災害がテーマの一つとなることが多い。
「あまちゃん」や「おかえりモネ」は、東日本大震災や豪雨災害のエピソードがある。このような災害で、どのような社会問題が発生しているのかが描かれている。「あまちゃん」では風評被害、「おかえりモネ」では、被災者のメンタルの問題やヤングケアラーの問題が描かれた。
「おむすび」では、阪神・淡路大震災のエピソードが描かれることが既に予告されている。2025年1月17日の金曜日が、阪神・淡路大震災からちょうど30年であり、おそらくこの前後の週が震災に関するエピソードのクライマックスではないかと予想される。
② SDGs
SDGs(持続可能な開発目標)は、国連が2015年に採択した、2030年までに持続可能でより良い未来を実現するための17の国際的な目標である。
環境保護の目標と捉えがちだが、それだけでなく、経済、社会等の側面に焦点を当てた目標である。
数多くの朝ドラで取り上げられている目標は、「ジェンダー平等の実現」だろう。また、「おかえりモネ」(2022)では、「気候変動への具体的な対策」「海の豊かさを守ろう」「陸の豊かさも守ろう」など複数の目標がテーマとして組み込まれていた。
どのSDGsに関するエピソードが組み込まれているのかを考えることが、現代劇の朝ドラの視聴におけるコツである。
③ 多様性と包摂
「多様性」や「包摂」というテーマも、最近の朝ドラに含まれるようになったテーマである。「多様性」とは、異なる背景や価値観を持つ人々が共存すること、「包摂」はその多様性を尊重して、全ての人を平等に受け入れる姿勢である。
例えば、「半分、青い。」や「ちむどんどん」では、様々な背景や価値観をもつ人物が登場し、ほとんどの人が、家庭や会社、共同体に受け入れられていた。「虎に翼」でも、明律大学女子部の学生は、様々な背景をもっており、彼女たちが男子と同様に法学を学ぶことができた。
そして「おむすび」でも、「多様性と包摂」を暗示させるエピソードが出てきている。第4話のエピソードである。
父・聖人は、規格外の野菜を「クズ」だとして、売り物にせず近所の人に無料で配布しようとする。ここで結の脳裏にあることがよぎる。ハギャレンメンバーが通りすがりの男性に「クズ」呼ばわりされた時のことである。
しかし、祖父の永吉は、格安でいいから販売することにこだわり、結を連れて、路頭で販売をはじめる。販売後、永吉は結に「形が悪かろうが、見かけがひどかろうが、この世にクズなんてものはなか」と伝える。
規格外の野菜とハギャレンのギャルたちが、「クズ」というキーワードで、重ね合わせられていることは分かるだろう。そして、ギャルたちに偏見をもっていたのではないかと、結の気持ちに揺らぎが生じる。
そして、スズリンやルーリーの家庭の事情を知る。彼女たちは親、家庭から疎外されており、ハギャレンが拠り所だったのだ。「米田家の呪い」が発動し、結はハギャレンに留まり、スズリンやルーリーを包摂する。
今後の「おむすび」のエピソード、今後制作される朝ドラにも、継続して「多様性と包摂」の重要性を伝えるエピソードが出てくるだろう。それ位、NHKが重要と考えているテーマである。
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「正直不動産」(2022)
朝ドラを理解する上で役に立つのが、脚本家が手がけた他のドラマを見ることである。
「おむすび」の脚本家は、根本ノンジである。根本ノンジが脚本を担当した最近のドラマに「ハコヅメ」「パリピ孔明」等があるが、その中でも好評だったのが、2022年4月からNHKで放送された「正直不動産」である。
「正直不動産」は、ビッグコミックで連載された漫画を原作としたドラマで、主演は山下智久である。あることで嘘がつけなくなった不動産営業マンを主人公に、不動産業界の裏側をリアルに描き、また不動産営業と不動産を購入する客の間の人間模様を、ハートウォーミングに描くコメディドラマだった。2024年には、続編である「正直不動産2」も放送された。
「正直不動産」は、毎話完結の形式であり、最後には、少しホロリとさせる「エモい」結末で終わる。
「おむすび」を2週見て感じるのが、「正直不動産」の、この「エモい」結末のテイストを継承しているということだ。第1週の最後では、結が栄養失調のスズリンを助けて友達になる。第2週の最後では、警察に補導されたルーリーを、結と母親で迎えにいく。
「おむすび」の、毎週金曜回に泣かせにくる「エモい」結末は、今後も続いてほしいなと、個人的には期待している。
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「あまちゃん」(2013)
既に述べたが、現代劇の朝ドラは、過去の現代劇朝ドラを参考にしていることが多い。「おむすび」は放送時期に、阪神・淡路大震災から30年を迎えることから、テーマの一つに震災が含まれている。
震災をテーマとしている朝ドラは多いが、その中でも、「あまちゃん」は参考にされている作品の一つだろう。
2013年に放送された朝ドラ「あまちゃん」は、岩手県久慈市(ドラマ上は北三陸市)と東京・上野を舞台として、アイドルとして活躍するヒロインを描いた現代劇のコメディである。
そして、第三部では、2011年の東日本大震災直後の被災地を描いている。阪神・淡路大震災を描く上で、「おむすび」が「あまちゃん」を参考にしたエピソードは、今後出てくるだろう。
ここでは、第2週まで見た限りで、ここが「あまちゃん」を参考にしていると考えられる点を挙げることにしたい。
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ユイちゃんオマージュと家族関係の設定
まず、「おむすび」のヒロインの名前は、米田結(よねだゆい)である。一方、「あまちゃん」には、ヒロイン・天野アキとアイドルユニットを組む親友、足立ユイが登場する。つまり、ユイちゃんオマージュである。
「おむすび」では、父親の聖人と祖父の永吉が対立し、親子喧嘩ばかりしている設定である。一方、「あまちゃん」では、母親の春子と祖母の夏ばっぱが対立している。母側か父側かの違いである。また、どちらも一度、実家を出たが戻ってきた設定である。
「おむすび」では、ヒロインの姉・歩が、「博多ギャル連合(ハギャレン)」の初代総代で、ヤンキー50人倒した「伝説のギャル」である。
一方、「あまちゃん」では、ヒロインの母・春子が、県内最大規模の暴走族を解散に追いやった「伝説のヤンキー」である。
「あまちゃん」の1980年代で時が止まったような、アイドルグッズ満載の「春子の部屋」がでてきたが、「おむすび」では、1990年代で時が止まったかのような、ギャルグッズ満載の「歩の部屋」が登場した。
現時点で分かる限りで、「おむすび」と「あまちゃん」の登場人物の設定の共通点をあげてみたが、今後も、「あまちゃん」を参考にしたような人物の登場や、似ているエピソードが出てくる可能性はあるだろう。
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ハギャレンとGMT47
「おむすび」での「博多ギャル連合(ハギャレン)」は、ヒロイン・結をスカウトし、パラパラを踊り、糸島のフェスティバルに出ようとしている。総代のルーリーは、結を積極的に誘うが、若干空回りしている。
「あまちゃん」では、全国の地元アイドルを集結させたGMT47に、ヒロイン・アキがスカウトされる。アイドル活動をして、AKB48の総選挙のような「国民投票」イベントがある。GMT47リーダーの入間しおりは、危機感から他のメンバーを説教するが、若干空回りしている。
今後も、女子グループの中での友情や衝突を描く中で、「おむすび」が「あまちゃん」を参考にしたエピソードが出てくる可能性はあるだろう。
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「おかえりモネ」(2021)
もう一つ参考にされていると思われる過去の朝ドラは、2021年に放送された「おかえりモネ」である。宮城県登米市、気仙沼市、東京を舞台として、気象予報士として活躍するヒロインを描いた現代劇朝ドラである。2021年が東日本大震災から10年となるため企画された朝ドラである。
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「震災後」から震災当時を振り返る物語進行
「おかえりモネ」の第1話は、2014年、高校を卒業し就職したヒロインの永浦百音が、登米で働きはじめるところからはじまる。
つまり、2011年の東日本大震災の「震災後」の被災地を描いている。そして、2011年の東日本大震災当時のエピソードは、長めの回想で振り返るという形で描かれる。
「おむすび」の第1話は、2004年(平成16年)からはじまる。阪神・淡路大震災は、1995年(平成8年)1月に発生しており、「おかえりモネ」と同様に、震災当時のエピソードは、長めの回想で振り返るという形で描かれると推測する。
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震災のトラウマを抱えるヒロイン
「おかえりモネ」のヒロイン・永浦百音は、東日本大震災の時は、父親の耕治と共に、高校の合格発表を見に仙台に行っていた。気仙沼に残っていた中学の同級生は、避難所となった中学校で懸命に働いており、戻ってきた百音とは、感情的な溝ができていた。震災時に何もできなかったことで、震災がトラウマになっている。
「おむすび」の結は、8歳の時には、神戸にいて被災したと考えられる。その詳細はこれから描かれるのだろうが、第1週の回想シーンを見る限り、百音と同様に、何らかの理由で震災がトラウマになっていると思われる。
「おかえりモネ」の百音も、「おむすび」の結も、どちらも「助けたい」という思いがあると推察される。
百音は、震災時に何もできなかったことの苦悩から、災害から人を助けることができる「気象予報士」という職業を目指す。
結の場合は、「人助け」するのは、「米田家の呪い」というキーワードが出てきた。このあたりが「おかえりモネ」との違いのように思われる。
「人助けをしたい」というエピソードで、作品が伝えたいメッセージが、「おかえりモネ」と「おむすび」でどのように異なるのかを考察するのが、今後のポイントだろう。
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おわりに
「おむすび」第2週終了時点での、私の「おむすび」評価は、オーソドックスな現代劇朝ドラであり、十分楽しんで見ている。「正直不動産」のパートで述べたが、特に、毎週金曜の回が「エモい」結末で、週末に気持ちよく話が終わる展開が続いてほしいと思っている。
「おむすび」の朝ドラの評価の基準、ベンチマークは、「あまちゃん」と「おかえりモネ」だとと思う。両作品と比較して、「おむすび」は何を踏襲したのか、何をアップデートしたのかを考察することで、「おむすび」に対する真の評価ができるのではないかと思う。
このnoteでは、ネットメディアの「おむすび」下げ記事を酷評してきたが、もちろん、「おむすび」という作品の魅力を的確に伝え、評論している記事もある。
例えば、佐野華英さんによる、以下の根本ノンジ氏へのインタビュー記事は、物語の理解の一助となるだろう。
また、ダイヤモンド社の以下の記事は、記事の一部を引用したが、「虎に翼」と「おむすび」の視聴者の分断について、客観的に描かれているように思う。
私も同意見だが、既に述べた通り、「虎に翼」と「おむすび」の比較語りは、個人的なジャンルの好き嫌いを表明しているだけに過ぎないのである。
そして、「おむすび」評で最も素晴らしいのは「虎に翼」の桂場等一郎、松山ケンイチのレビューである。第1回だけで終わるのが、非常にもったいない。おそらく「おむすび」が放送中なのに、「虎に翼」感想ポストしていたことへの陳謝の意味での、ボーナストラック感想だろう。
しかし、松山ケンイチ「虎に翼」レビューは面白すぎた。なんとかならないのか。NHKの朝ドラ制作陣は、松山ケンイチに早急に朝ドラレビューアンバサダーのオファーをしてほしい。そして、「虎に翼」と「おむすび」の無意味な比較語りをしている奴は、松山ケンイチを見習えと言いたい。
ところで、ネットを検索していると、「「おむすび」は「ちむどんどん」化を避けられるか?」といった、2022年に放送された朝ドラ「ちむどんどん」に対する誹謗中傷記事も見かけた。「ちむどんどん」化=駄作化という意味で使用しているのだろうが、勘違いも甚だしい。これらのネット記事は、ドラマが「わからない」人たちが溜飲を下げるための、PV稼ぎが目的のゴミ記事である。
「ちむどんどん」では、沖縄県民の「ゆいまーる」という相互扶助精神と、社会的包摂というテーマが含まれていた。そのことについては、以下のnote記事で解説しているので、興味のある方はお読みいただきたい。
繰り返しになるが、NHKのドラマ制作陣は、プロフェッショナルである。ネットメディアのライターよりも、はるかにドラマに関する見識をもっているのである。このことを念頭に置かず、安直な朝ドラ批判記事を鵜呑みにすることは恥さらしにつながるのである。軽率な「おむすび」批判をポストする人たちには、このことを伝えておきたい。
朝ドラ「おむすび」に関しては、できれば、放送終了後に総括する記事を書ければよいなと考えている。それまでは、「おむすび」の放送を楽しんで見ることにしたい。