コラム:入院中の思い出(水をたくさん飲む検査の話)
小学校1年から2年生の1年半くらいの間、私は急性腎炎で地元の病院に入院していた。このことは私の性格形成に大きく影響していると感じている。今でも思い出すエピソードを書いていく。
水をたくさん飲むという検査があった。量は正確に思い出せないが0.5~1リットルくらいだったと思う。腎臓病で入院していたので腎臓の機能を検査するのだろう。そのあとのおしっこはすべて溜めておいてあとから調べていたようだ。
この検査が私は嫌いだった。私は小学一年生で体重が17キロぐらいで小さかった。缶ジュースさえ飲みきれなかった。
0.5リットルの水を飲むことは、今の体重に換算すると1.5リットルくらいの水を飲む換算になる。やれば分かるが、水をたくさん飲むのはツライ。
入院した病院は地域では大規模で、大学病院まではいかないけど研究的な治療が行われていたように思う。とにかく検査が多かった。
そして1980年あたりの医療は、痛みや苦痛に対して寛容だった。つまりしんどい検査や治療法が溢れていた。
ロッカールームみたいな検査室に看護婦さんと二人っきりになって全部水を飲むまで出られなかった。1時間は掛からなかったと思うけど、正確には分からない。
最初、看護婦さんがいる意味がわからなかった。水くらい一人で飲める年齢だ。でも、少しするとすぐに分かった。水をたくさん飲むのはあまりに辛いので、こぼしたり、口に含んだ後、トイレに行って吐き出したり、そんな事をいろいろ思いつく。
看護婦さんが見張って、規定量を飲ませないといけない。いないと小学生男子は何をするか分からない。
机があって、その上にビーカーとコップがあり、その向こうに看護婦さんがいる。ビーカーとコップを睨みながら水を飲む。看護婦さんの名札が目に入る。楕円形で周りが黄色の小さな名札だった。
水を沢山飲んだ時独特の、お腹の圧迫感と頭の中がツーンとする感じで、体が水を拒否する。時間をかけて飲むけど、驚くほど減っていかない。
喉が渇いている時の水との、あまりの違いに戸惑う。体に必要なはずのものが、量が多いだけでこれだけ辛くなることの理解が追いつかない。
基本的には、看護婦さんは優しい。しかし、検査や治療は患者のためという絶対的な価値観に包まれている病院の中では、私が泣こうが喚こうが、検査という拷問は「優しさ」に包まれながら執行される。
閉じ込められた意味と、看護婦さんが見張っている意味を理解して、とにかく水を飲む。
私はクタクタになって、水を飲み干し、その拷問部屋から抜け出した。看護婦さんは褒めてくれた。
この検査を入院中おそらく3回くらいやった。今でも、ときどき思い出す。