コラム:本当の食欲を知った話
20代の後半に起業して、しばらくして大きめのプロジェクトが続いた。マネージメント的な仕事も多く、気疲れも多かったのだろう、あるプロジェクトの終わりには本当にクタクタになってしまった。
そのプロジェクトの打ち上げは焼き肉屋(これも自分でセッティングした)で、クタクタMAXの中でなんとなくレバ刺し(まだそのころはレバ刺しがあった)を食べた時にそれは起こった。
口中に広がる生のレバーの血の味に、目が覚めて意識が戻った気がした。視界のモヤが晴れて、モノの輪郭がはっきり見えた。食べる前までは、ぼんやり夢の中にいるようだったことに気が付いた。 食べるということの身体の反応の大きさに驚いた。
実は私は生のレバーなんてそんなにおいしいモノだと思っていなかった。しかし、身体が求めている時に食べると、こんな事になる。野生動物ってこんな感じなのかな、と思った。普段の好きなモノを食べたときの反応とは違う。
この出来事で、食欲へのイメージが変わった。食欲というと、プリミティブで体に必須な事に感じられるが、精神的な要求部分と身体的な要求部分がある。
普段の私たちの食欲は、精神的な部分からの要望なんだと思った。だからこそ、「好き・嫌い」が出てくるし、サービスとしての観点も重要な要素になってくる。
食欲における精神的な満足を得る一番の方法は、自炊だ。食べたいと思った時に食事を作る行為は、自分のケアとしては最高だと思う。
何かしらの不安がトリガーになって食べたいと思うのであって、それを自分で処理できるのは、不安解消と自信回復と栄養摂取がいっぺんにできる。これが、加工食品や外食に頼ると、結局自分で解決していないことになってしまう。
そして、しっかり味わう。食べ物は、本当に複雑な味がする。同じ食材でも温度や唾液が混ざることで大きく変わる。精神的な満足は、刺激をたくさん読み取ることで得られる。たぶん、カロリーとか栄養ではない。
私から見ると多くの人は、しっかり味わっていない。少なくともテレビやYoutubeを見ながら食べていたのでは味に集中は難しいと思う。毎回食事に集中したら、他の娯楽の量は少なくて済むと思う。
身体的な要求の食欲に関しては、あまり考えなくていい。というか考えても意味が無い。レバ刺しも私は考える前に食べているし、最近だと、本当に疲れると私は「天下一品」か「ミスタードーナッツ」の店内にいる。でも、そんなことは1ヶ月に1回くらいだ。
現在私は「食べること」に制限をしていないが、体重は変わらないし、健康診断の結果も特に問題ない。これはしっかり「味わう」と刺激が強すぎて、食べすぎないだけだと思っている。
「食べること」を精神的な活動と捉えて自分をケアするのはメリットが大きいと思う。毎日のことだから。