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躁的防衛

経営者とエンジニアの属性をもつ私が、精神分析を独学で学ぶ中で難解だった言葉や概念を書いていきます。


これは、精神分析では大変よく使われる言葉だ。投影同一化と同じく解釈の幅も広いが、大まかなところは荒っぽく簡単に言うこともできる。
なにか辛いことがあったときに、明るく振る舞ったり、強気になったりして、本来の辛さから心を防衛する仕組みだ。多くの人に馴染みのある行為だ。

辛さや不安から自分を守っている働き全般を「防衛機制」と言う。躁的防衛はその一部で他にもいろいろなパターンがある。
何か心に問題が起きているときは、この「防衛機制」が関係していることが多いので、この概念や種類を知ることは大変有効だと感じる。ぜひ、他の防衛も見て欲しい。(リンク先のちょっと下)
https://psychologist.x0.com/terms/211.html
前半の「代表的な防衛例」は大変わかりやすい。人間の取り扱い説明書のようだ。(わかりやすいので逆にわかった気になって深く考えずに終わってしまう。)
後半の「原初的防衛機制」の方が少し難解になってくる。それはこちらは快楽原則に従う一次過程での対応になっているため、「代表的な防衛例」ほど具体的な話で説明しにくいからだと思う。ちなみに躁的防衛はこちらに分類されている。

防衛全般に言えることだが、状況やタイミングに合ってしまうと「社会」とは軋轢を生まないので、防衛していることに気がつく機会を失ってしまう。さらに、躁的防衛は一次過程での反応なので余計に意識が難しい。

しかしながら、外から見ると躁的防衛をしている人はなんとなくわかる気がする。こわばった感じというか、夢を見ている感じというか。タイトルの絵は、躁的防衛をしている人の私のイメージだ。

投影同一化と同じく、この言葉は解釈の幅が広く、例えば自我心理学と対象関係論では、だいぶ視点が違う。クラインが提唱した躁的防衛は、「原初的防衛機制」なんて呼ばれているが、フロイトが概念化した防衛とはだいぶイメージが違うし、妄想分裂ポジションの話も関連しているので、統合して理解するのはややこしい。

しかしながら、複雑な行動として現れている躁的防衛も快楽原則に包まれた一次過程(つまり夢をみているのと変わらない)で起きているという認識は大変役に立つと思う。

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