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繊細さんはスポーツが苦手

私は、子供の時からスポーツが大の苦手だ。
生来の運動音痴に加え、繊細で臆病で心配性な性質を持つ私にとって、学生時代の【体育の授業】は苦痛以外の何物でもなかった。

鉄棒やマット運動のように天地が逆さになる姿勢は恐怖感しか無かったし、飛び超えられる気がしない跳び箱に向かって全速力で走らされるなんて、とんでもない嫌がらせだと思っていた。
他人に思いきりボールをぶつけるという行為が、ドッジボールという競技の名の元では許されるなんてあまりにも不条理だった。

重いスキー板を担いで山を登り、スキーを履いて滑り降りるという不毛な繰り返しの行為も意味が分からんし、毎年定期的に開催される校内マラソン大会など、膝の皿への虐待でしかない。
高校受験の志望先を選択する際は、学校案内のパンフレットを隅々までチェックし【プール施設が無い高校】を優先して選んでいた。

「ケガなどせず、毎日を大人しく静かに生きていきたい」と心から願う私にとって、スポーツというジャンルは真逆のベクトルに位置しているのだ。
何かに挑戦して負傷するよりも、出来ずに怒られる方がずっとマシである。

そんなわけで、私が中学生の頃の体育の成績は5段階評価で「1」もしくは「2」だった。
運動音痴なりに毎回授業の始めに行われるラジオ体操だけは真剣に取り組んでいたが、その努力は体育教師に一切伝わっていなかった。
繊細な私は深く傷付いたが、体育教師はスポーツが得意な生徒がお好みなのであろう…と納得するしか無かった。

しかも、私には「スポーツ好き=アドレナリンたっぷりでテンションが高い人々」という思い込みがあり、体育会系の人達の事が苦手だった。

彼らは快活で自信に満ち溢れ、校内のヒエラルキーのトップに君臨しているように見えた。
運動会で声高らかに選手宣誓をし、クラス対抗リレーで堂々とアンカーをこなす彼らはクラスのリーダー的存在だったし、騎馬戦で人馬にまたがり敵から紅白帽を奪い合う姿は、さながらナポレオンだった。

彼らの額に輝く汗は青春を謳歌している者の勲章であり、重い生理のたびに冷汗をかいている私のような日影の存在とは雲泥の差だった。
そんな彼らに憧れと劣等感を抱いていた私は「スポーツが得意な人とは住む世界が違う」と、ますますスポーツを遠ざけて生きてきた。

その結果、私は筋肉量と骨密度が低い大人になった。
硬い身体を改善しようとストレッチをすれば両足首を捻挫し、ちょっと庭先で転んだだけで足の小指を骨折した事もある。
怪我をしないためにスポーツを避けてきたのに、運動不足で怪我をするとは皮肉なものだ。

今になってようやく、健康診断の紙に毎回印刷されていた「週に数回は適度な運動をして下さい」というコメントが身に染みている。

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