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ある害虫

今頭を抱えている。私は恋愛をするために生まれてきたのではない、セックスをするために生まれてきたのだ。セックスは生物の本能に刻まれていて、本能的に行われるはずの営みであるのに、なぜこうして一日返事のない女に脈があるかどうかなどという荒唐無稽な領域で悩まなければならないのか。マッチングアプリを始めてはや3週間、友人もそれほどいない私は、アプリで知り合った女と予定を限りなく多く組み、会った女は30人を軽く超えた。一日5人とお茶をした日もあった。一体何のためにこんなことをしているのかと思う瞬間もある。所詮、最も没入感を獲得できる趣味としてこの活動はあり、その道の先にセックスの快楽を期待しているだけだ。コミュニケーションや、女に慣れるための訓練として捉えているが、忙しすぎて振り返って反省する間もない。女はフィードバックしてはくれない。ただ、消えるように連絡が止まっていくだけだ。連絡が止まっていくたびにアプリを開いては指紋が擦り切れるほどの怒涛のスワイプを繰り返し、あたった女全員にテンプレートメッセージを送って、LINE交換を繰り返す。顔も名前も大して記憶にない女からLINEが来るから、テンプレで返す。はっきり言って、この作業の繰り返しは人間が処理できる情報量を上回っている。脳の容量が凄まじく割かれているのがわかる。頭が燃えている。こんなことで燃やしたくはないのだけれど。
私のテンプレはあまりにも現実の性格と乖離した調子で、時々見返していると本当に自分が送っているのかが疑わしくなるほどだ。理想の人格をメッセージに反映して、自ら人格を破壊していると断言できる。マッチングアプリは拷問に使うべきだと思う。「どタイプすぎて運命かと思いました」「えー私もです嬉しい!」
うるさい。人間の頭を使わない会話例の模範的なものがこのアプリでは溢れている。会って好意を持ったりもたれなかったりして、それを繰り返していくうちに人生の終わりを予感した。こんなふうに人は終焉を迎えていくのか。会った人ですらもいちいち覚えていない。気づいたら消えているアカウント。どこで逆鱗に触れてしまったのだろうと考えるやいなやスワイプする指が止まらない。もう終わりにしたい。終わりが見えない。性欲は治ったと思ったらまた沸々と湧いてくる。女は交際という形を取らないとなかなか私のものにならない。関係の維持が難しい。独占欲は収まらない。地球上の女を支配するまで止まらない。こちらに靡いてこない女の存在が許せない。私より顔のいい女を多く侍らせている男が憎い。舐めた口をきいてくる女を殺したい、わからせてやりたい。
アプリの構造だっておかしい。女は女であることに価値がある。勘違いを起こす女が出てくる。ただでさえ感情に支配された生き物が、そうなっているのはみていられない。本能的に格上か格下でしかみていない女も許せない。こちらとしても上と下どちらとみられているかばかりに気を取られ、対等な人間関係を忘れてしまった。もう思い出せない。女が私の清い心を汚した。私は被害者だ。常に搾取されてきた。私は悪くない。

つい先日まで夏だったのが嘘のように冷え込んだある日、渋谷のハチ公前で待ち合わせた。
思っていたよりはるかに身長が低かったその女は、自分から話題を振ることもあまりなく、ずっと前髪を気にしているようだった。話題をこちら側が振るものだと思っている女には吐き気がする。そうやって驕っていても生きてこれた背景がチラついて、今の私にはそれだけで殺したい理由になった。1軒目の居酒屋を出て、手を繋ぎ、散歩と言いながらふらふらとホテルの前につくと、女はホテルに入ることを酷く拒んだ。行かないの一点張りで、拒み慣れてないんだろうなと感じた。先の居酒屋で奢ってやったにも関わらず、ホテルに入るという礼のひとつもできないのかと私は呆れてしまった。ホテルに入らなければ何も始まらないのだ。快楽も、復讐も、人類滅亡も。

私は今体内に複数の性病を飼っている。以前の病院検査でHIVの感染も診断されている。初めはひどく衝撃を受け慄いてしまい、関係を持った人たちにうつしていたらと申し訳なさに心を苛まれた。しかし、私もうつされた側である。なぜ私だけがこんなめに遭ってまで気を遣わなければならないのか。死ぬ時は仲良く一緒だろう?そう思ってから、私はあえて治療をしないことにした。放っておくと10年ほどの無症状期間ののち、エイズを発症し死ぬらしい。これは明確に朗報である。特に失うものがない。無敵の人になった私は、自らの意志で女に害をなす存在として生きていくことを決めた。生きることの意味も、まして反出生なんて興味もないけれど、せっかく生まれてきたんだからたくさんの人を不幸にしたい。本当に、誰でもいい。
状況も場所も構わずに奇声を上げながらナイフを振り回したら、すぐに大衆的な倫理でしか生きられない阿呆の集団に叩き潰されるだろう。私はそんなわかりきった結末に向かうほど馬鹿じゃない。弱者なら弱者らしくどこまでも気持ち悪く戦うべきだ。劣情を剥き出しにせず、外面を固めて、うちにひたすらに隠して熟成させてから、コソコソと周りを蝕むように動く。
でも、どこかこの腐りきった陰湿さこそが、ひどく自分らしくあるように感じる。胸に違和感なく降りてくる。これが私なのだと思う。世の悩める思春期の子供、病んだファッションで厭世を気取る健康なメンヘラ、そして、お父さんお母さん、私は一足先に「自分らしさ」を見つけてしまった。お母さんのお腹が痛かったのは、私が産み落とされるべき存在じゃなかったから。意志で人に害をなす欠陥生物。お母さんだってほんとうは私を苦しめるために産んだんでしょう?初めから決まっていたんだ。みんなそんなものなんだ。だって、生きているだけで豚を殺して、木を切り倒して、虫を踏み潰すのが人間だ。誰かを踏み台にして生きている。命をいただいて、輪廻をめぐらせて、それも全て正当化のことば。まともな人間なんかいない。これも正当化のことば。

2時間滞在して、ホテルを出る。2人のエイズ患者が、道玄坂を下る。駅まで話すことすら面倒だったから、適当な理由をつけて別れた。別れてしばらくして、ポッケのレシートを財布に移そうとした時、お札が一枚もないことに気づいた。
やられた。ほぼ全財産だ。LINEを開いて電話をかけるが出るはずもなく、完全に出し抜いたつもりが出し抜かれた。あの150センチにも満たない年上のクソガキに、今月の生活費をほぼ全て抜き取られてしまった。
顔が面白いほどに熱いのがわかる。復讐?性病で人類滅亡?何を言っていたんだ。
まだ改札は通っていないはずだった。
「金を返せ!」
気が動転して、赤信号に飛び出した。
酷くコスパの良さそうな、軽自動車のボンネットに持ち上げられて宙に浮いた。頭から落ちる間、特に何も思わなかったけれど、小さい頃、意味もなくドアの隙間に指を入れたら挟んでしまった時の、あの焦燥感だけを思い出した。

地に落ちる。

私は賢いわけじゃなかった。無敵にすらなりきれないほどに臆病なだけだった。
しょうもない人生だったと、そして確信をもって目を閉じた。私はきっと、こんなあっけない終わり方をするために生まれてきたのだ。
何人の人間が、後悔なく死ねるのだろう。後悔は、受け入れられない感情からくるものだ。私は今、すべてを受け入れることができた。
誰の役にも立ってない、脇役すら務まらない人生。宙に舞ったのだって、誰も見てやしないだろう。最期くらい見届けろよ、私はお前のクラミジアの、淋病の、エイズの、始祖かもしれないのに。
お前がそれに気がついたとき、私はあの世で笑う。路頭に迷うお前を、焦るお前を、静かにせせら笑う。



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