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【27・28冊目】ブラックスワン ナシーム・ニコラス・タレブ

黒い白鳥が見えない場合の問題点
a  最初から目に見える一部に焦点を当て、それを目に見えない部分に一般化する。つまり追認の誤り。
b はっきりしたパターンをほしがる自分のプラトン性を満足させる講釈で自分をごまかす。つまり講釈の誤り。
c  黒い白鳥なんていないかのように行動する。人間は生まれつき、黒い白鳥に向かないようにできている。
d 目に見えるものが全部だとは限らない。歴史は黒い白鳥を隠し、黒い白鳥の起こるオッズを見誤らせる。つまり物言わぬ証拠の歪み。
e 私たちは「トンネル」を掘る。つまり、私たちは素性のはっきりした不確実性の源のいくつかにばかり集中する。しかしそれらは、黒い白鳥のリストとしては具体的すぎる.

私たちは現実の場面では、論理的な間違いを犯すが、教室では侵さない。

私たちは繰り返すことで学ぶ。その一方で、それまで起こっていない事象のほうはなおざりにする。繰り返すことのない事象は起こるまでは無視され、起こった後はしばらくの間過大評価される。二〇〇一年九月一一日のような黒い白鳥が起こると、再び起こる可能性はおそらく低くなっ ているのに、人はまた起こると思ってしまう。そもそも偶然の出来事といえば抽象的なものなのに、私たちは具体的に姿かたちのわかっている黒い白鳥のことを考えるのが好きだ。

結論として、私たちが黒い白鳥を正しく捉えられないのは、主に私たちがシステム1を使うためだ。つまり、講釈や扇情的なもの、それに情緒的なものばかりに目を奪われ、おかげで事象が起こる可能性を見誤ってしまう。私たちは日常的に自分を振り返るわけではないから、自分の経験を冷静に見るときほどにはまわりで起こっていることがわからない。また、黒い白鳥がやってきても、私たちはすぐにそんなものがいることを忘れてしまう。黒い白鳥は私たちには抽象的すぎるからだ。 むしろ、簡単に頭に浮かぶ、明確で鮮明な事象にばかり気をとられてしまう。私たちは確かに黒い 白鳥を気にしているのだが、ただ、それは間違った黒い白鳥なのだ。

大事な決断をするときはシステム1 (ヒューリスティック、つまり経験にもとづくシステム)を追い払わないといけな い。目立つものと実証されたものの区別ができるようにならないといけない。

私たちは慣れ親しんだ「なぜなら」という考えの曖昧さを認めないといけない(そして実際、因果という幻想を取り除いてしまうと、私たちは不安になる)。 
私たちは説明をほしがる動物で、ものごとにはすべて特定可能な原因があると思い、一番わかりやすい話を唯一の説明だと思って、それに飛びつく。でも、目に見えるなぜならなんてないかもしれない。むしろまったく逆で、説明なんてなんにも、ありうる説明の範囲なんてものさえなかったりする。

答えは人間の性分にある。計画性は私たち人間の人間たる部分、つまり意識に組み込まれているのかもしれない。
将来のものごとを予測せずにいられないのは、それが進化の一面だからのようだ。

私たちがこうした予測の誤りを犯すのには意味があるのかもしれない。
つまり私たちに、(新しい車を買ったりお金持ちになったりといった) 大事なことにはやる気を出させ、同時に、不要なリスクをとらせないためなのかもしれない。
私たちは、不幸が自分の人生に影響を及ぼす時間の長さをものすごく過大評価する。
今の財産や立場を失ったら破滅だなんて思っているなら、たぶん間違っている。むしろ、私たちはどんなことにでも慣れてしまえる。

将来が完全に予測できるという考えさえ捨てて、自分のやっていることの限界をいつも意識していれば、できることはたくさんある。 
予測ができないなら、予測ができないことを利用すればいい。

日本の文化は ランダム性に間違った適応をしていて、運が悪かっただけでひどい成績が出ることもあるのがなかなかわからない。
だから損をすると評判にひどい傷がついたりする。 あそこの人たちはボラティリティを嫌い、代わりに吹き飛ぶリスクをとっている。だからこそ大きな損を出した人が自殺したりする。

バーベル戦力
黒い白鳥のせいで、自分が予測の 誤りに左右されるのがわかっており、かつ、ほとんどの「リスク測度」には欠陥があると認めるなら、とるべき戦略は、可能な限り超保守的かつ超積極的になることであり、ちょっと積極的だったり、ちょっと保守的だったりする戦略ではない。
1 いい偶然と悪い偶然を区別する。
2 細かいことや局所的なことは見ない。
3 チャンスやチャンスみたいに見えるものは片っ端から手を出す。
4 政府が持ち出す、事細かな計画には用心する。

私たちは稀な事象の起こる確率なんてわからなくてもいい(稀な事象の起こる確率なんて、私たちには根本的に把握しきれない)。
そんなものはわから なくても、事象が起こった場合のペイオフや恩恵に焦点を絞ればいい。
とても稀な事象の確率は計算できない。でも、そういう事象が起こったときに私たちに及ぶ影響なら、かなり簡単に見極められる(事象が稀であるほどオッズも曖昧になる)。
ある事象が起こる可能性がどれぐらいかわからなくても、その事象が起こったらどんな影響があるかはちゃんと把握できることがある。
地震が起こるオッズはわからないが、起こったらサンフランシスコがどんなことになるか想像はできる。 意思決定をするときは、確率(これはわからない)よりも影響(これはわかるかもしれない)のほうに焦点を当てるべきなのだ。不確実性の本質はそこにある。

ランダム性を標準偏差というたった 一つの温度で表す(そしてそれを「リスク」と呼ぶ)ことはできないという結論だ。
不確実性を描けと言われて、単純な答えなんてできない。

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