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浅間の大神を祀る古代の祭祀 山宮浅間神社と富士宮浅間大社【随筆】
浅間さんを再び考える
以前浅間さんの不思議を考えると言う記事を書いた。
浅間さんと言えば静岡県富士宮市にある浅間大社がその総本山であるが、元々は富士山により近い場所にあった。そこは今、山宮浅間神社となっており、かつては浅間大社の祭神が春と秋に浅間大社と山宮浅間神社を往復する「山宮御神幸」が行われていたらしい。
私はこのことを知って、いつかその地を訪れてみたいと思っていた。
この浅間大社に移された時代は、平城天皇の御代、大同元年(806)の頃とされているが、それ以前は山宮浅間神社の場所において、直接富士を崇める形で祀られていた。富士山そのものが祭神なのである。
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浅間と名の付く神社の神様には、コノハナサクヤヒメが祭られていることが多いが、最近の勉強で、後で祭神としてが付け加えられた可能性があるということを知った。
もともとは浅間大神が祭られており、そして浅間(あさま)とは噴煙を上げる山という意味であるから、おそらく火山たる富士山を鎮める主旨であったのではないか。
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山宮浅間神社は、改めて調べてみると車では意外と近い場所にあった。近くには奇石博物館や天母の湯という温泉もある。
山宮浅間神社は富士の剣が峰のなす三角形が印象的にがよく見える場所にあった。この形も十分神秘的な何かを感じさせるのだが、なぜこの地に山宮神社が祀られたかと言うことについては、社務所にいた老人に教えていただいた。
富士山が噴火し、その溶岩流がこの辺に流れてきたときにピタッとその溶岩が止まった。その場所の上にこの祭祀場はあるらしい。
つまり富士山の溶岩流の先端にここはあるのだ。
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シャクジン信仰とのかかわりを私は考えている。
火山を鎮める浅間大神の力
巨大な火山の力を鎮める。
旧石器時代から富士山麓周辺特に愛鷹山麓には、旧石器時代から人が住んでいた形跡があるが、彼らにとってたびたび噴火する富士山を鎮めることは切実な願いだったのだと思う。
恐ろしい溶岩流が止まった、いやこれを「止めた」神威をこの地に感じたのは、感覚的に分かる。
私の近くで言えば、静岡県三島市にある楽寿園も同様で、三島溶岩流が止まった場所に浅間神社が作られ、そして楽寿園がある。
調べてはいないが、溶岩流の根っこの場所には、多くの浅間神社があるのではないか。
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恐るべき溶岩流をせき止めた巨大な力、そこに浅間大神を感じたのではないだろうか。
この溶岩流の名前は青沢溶岩流ということである。この青沢溶岩流の形成時期は、地質学的調査によると約1600〜2100年前となるらしい。紀元前後ということになる。
富士山の南側に聳える愛鷹山麓には、約38,000年前の旧石器時代から人が住んでおり、以後縄文時代、弥生時代、古代、中世と遺跡が発掘されており人がずっと暮らしてきた痕跡がある。
またこの富士山麓にあっては、弥生時代後期〜古墳時代前期の遺跡である丸ケ谷戸遺跡があり、前方後方墳が発掘されていることから、ヤマト王権が成立した時代には、この辺りに一定の権力者がいたことが示唆されている。
こうした中で、山宮浅間神社の地には、古くから祭祀が行われていたのではないかと思ったのだが、どうも一筋縄ではいかないようだ。
現在の浅間大社がある地も溶岩流が止まった場所であり、そこから地下水が湧出し湧玉池となっている。こうした水資源が豊富な土地であったためか、考古学的な発掘調査によれば、浅間大社付近からは縄文時代からの遺跡あり、遺跡としては、こちらの方が先輩であるという成果がある。
浅間大神を祀る場所としては、山宮浅間神社の方が先だが、人の営みがあった場所としては、浅間大社の場所の方が先かもしれない。
伝承によれば現在の浅間大社の地に山宮浅間神社から祭神が移されたのは、坂上田村麻呂によるもので大同元年(806年)とされている。
火山活動が活発化し、祭祀の重要性が高まったため、より便利な水のある場所が改めて選ばれたのだろうか。
富士山を直接遥拝する祭祀場へ
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なお正月期間は冒頭の社務所に常駐している人に特別な御朱印がもらえる
二の鳥居を潜った先に、境内唯一の建物である籠屋がある。その向こうに続く古い道に、不思議な存在感のある石が鎮座していた。
これが鉾立石というもので、山宮御神幸の際に使用する「鉾」を置いた場所だ。山宮御神幸のルートはある程度解明されている。鉾立石はかつて一定の区切りに置かれていたが、今やほとんどが失われ、この場所と浅間大社に一部残るのみだ。
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籠屋からの参道から、ぐっと登った先に遥拝所がある。
遥拝所は黒い門扉と玉垣に囲まれ、その向こうには石列が冷たく並んでいた。
木立の向こうに、峻険な富士山の頂が見えた。剣が峰が鋭く天にそそり立ち、冬の富士山の厳しさを思わせた。
遥拝所には謂れがある。
かつてここに社殿をつくろうとしたが、突如の強風などにより、悉く潰れた。御神意に叶わないこととして、以来ここには建物がない。
現地には、説明看板があり、この地の伝承や祭祀の際の参加者の席列(石列)が解説されていた。
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青沢溶岩流の末端の上に設けられている
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この山宮浅間神社のある場所は、村山浅間神社という修験道の聖地として賑わった地とほぼ同じ高さにある。これは溶岩流の関係があるのだろう。
地図を見てみると、この山宮神社付近には、川がない。
山宮浅間神社あたりの雰囲気は、今でこそ道路が通っており、また富士山の世界遺産登録によりある程度整備されているが、数年前までは寂れた場余であったであろうことは想像ができる。
その分人里離れた静かな場所であり、峻険な富士の姿を常にみる、もし富士に荒々しい火山の神をみるのであれば、厳しい自然に射すくめられるような地であっただろう。
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浅間大神の本当の姿とは
富士山を巡る信仰は、中世の富士講や修験道など様々な要素が混交し、原初の形を探ることは難しいのかもしれない。
とはいえ、この山宮浅間神社には、素朴な、しかし富士山の自然の厳しさを感じさせる信仰の形を感じることができる。
今でこそ落ち着いた富士山であるが、かつては噴煙を上げる火山としての性格があり、火の属性の神の山であったと思う。
私は日本における神の力は、絶対値だと思っている。神々に善悪はない。自然が見せる圧倒的な力こそが人々が畏れ、祀ったものであり、その具体として浅間大神があったのだと思う。
富士山といえば、今でこそコノハナサクヤヒメかもしれないが、これは火の属性から結びつけられたものであろう。夫であるニニギノミコトに不義を疑われ、その無実を証明するため火をつけた産屋で出産した神話がそれだ。
本来は、浅間大神。噴煙を上げ、時には巨大な火を吐く大蛇のように溶岩流を麓にうねらせた神。
私はその恐ろしいまでの巨大な力の記憶が、浅間大神の本体であり、その記憶を留めるのがこの浅間神社ではないかと思った。
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このあと訪れた村山浅間神社についての記事です。
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