【紀行文】ラブ&ピース 愛らしい古代の妖精が待っていた 南アルプス市のふるさと文化伝承館
南アルプス市は、櫛形山の山麓に縄文時代の遺跡を有し、その後櫛形山の扇状地に発達した弥生の集落以後、川の恵みとともに生きてきた土地である。現在は、他の山梨県の地域度同様、豊かに実った果樹やその加工業が盛んな地域であるが、ここの文化財への取り組みは目を見張るものがある。
以前より南アルプス市の文化財(およびそのスタッフが)すごいと聞いていたので、一度訪れてみたかった場所である。
甲府市から諏訪方面へ走り、御勅使川を大きく北に迂回し、中部横断道沿い、高架橋の下にある「ふるさと伝承館」。近くには、温泉もあるのでそこを目指すとよいかもしれない。
この南アルプス市の縄文時代の遺跡は、どうやら山の崩壊か土石流など急激な自然災害により、一瞬にして封じ込められた遺跡らしく、奇跡的にきれいな形で残っているものが多い。
この南アルプス市で二大土偶といえば、子宝の女神(ラヴィ)と愛らしい表情が特徴的な壺の上に描かれた土偶(ピース君)である。
約5000年前の縄文中期の遺跡「鋳物師屋遺跡(いもじやいせき)」から見つかったこの「円錐形土偶」と「人体文様付有孔鍔付土偶」は、世界的にも有名な土偶だそうだ。
このあと櫛形山の山中にある高尾山穂見神社を目指したときに分かったが、この扇状地からかなり急激に山を駆け上がっていく。
縄文時代は、この山中に多くの縄文集落があり、その後災害や弥生文化の流入により扇状地に生活圏が降りてきたようだ。
山と川の暮らしが非常に対比的な場所だ。
この穂見神社は、諏訪の穂積系の一族の神社といわれているが、縄文山麓民の神々で、主祭神はウケモチノカミやオオヤマヅミの神、つまり食物の神である。そして、この地で発掘された土器には、オオゲツヒメ信仰を思わせる女性を象ったものがある。
また土器の文様には、蛙、蛇、猪という当時食料とされたものが象られ、それらは同時に多産の象徴であったあり、永遠の命(脱皮)を象徴するものであったようだ。この蛇、蛙、猪は西アジア文化圏の土器にも登場するものであるため、共通の精神構造を持った人々の交流があったことを想像させる。しかし、どれも平面的な装飾が多かったようで、この南アルプス市で見つかった土偶のような中空構造であったり、立体造形や抽象化が進んだものはあまり見つかっていないようだ。
そういう意味では、はやり縄文文化は、世界に冠たる独自の文化だったと言えよう。
この地域の黒曜石は、ほとんどが諏訪の和田峠付近の産で、ごく一部が伊豆や神津島のものであるようだ。当時の交易の広さが分かる。
縄文のビーナスの表情とそっくりの土偶も発掘されており、コピー土偶といわれているらしいが、これは交流する中で真似し、写し取ることが日常に行われていたことによるものだ。
妊娠出産の姿を現す記号・文様
土偶の用途については、前回に私論というか思い付きを述べたが、興味深いご意見をここの学芸員さんにきいた。
それは、このラヴィや縄文のビーナスともに磨きこまれれいたということだ。通常の土器土偶ではそういうことはない。確かにラヴィはピカピカだ。
これは、やはり常に人の手に触れられるものだったのではないかと私は想像する。どこかに設置し仏像のように拝まれていたのではなく、持ち運びながら呪い、もしくはそれ自体を愛でていたのではないか。
ちなみに、当時の集落はせいぜい2~30人がまとまって暮らす程度のものだったようだ。この集団の中でこの女神はどのような役割を持っていたのであろうか。私は出産時の呪|《まじな》いとして産婆に相当するような人が使用したのではないかと思う。
〇を囲む△の文様について
南アルプス市の学芸員(ともすると館長さんだったかもしれない)に教えていただいたのだが、この土偶は中が中空になっており、この側体部の穴の効果で鈴のように音を鳴らすことが出来たのではないかということだった。
この〇を三角で囲む文様は、同時代の土器にも見られるそうで、一つ展示物の中から紹介していただいた。
この意味が何かは分からないが、共通する記号であることは間違いないと思う。そうであれば、当時の人々が込めた思いや意図が何かあったということではなかろうか。
縄文を巡る旅は終わらない
灼熱の夏に、山梨県内を横断し各地の文化財を見学した。締めとしてたどり着いたこの南アルプス市の土偶やツボは、たいへんな見ごたえがあり、どれも特徴を持っていて面白かった。
ただ展示を見るだけでなく、学芸員から直接解説をいただくという嬉しい機会もあった。会話自体も楽しいし、なにより展示には書いていない踏み込んだ解説や自説をお聞きすることが出来るのが嬉しい。
これからも各地を旅してまわることがあるだろうが、神社仏閣、グルメ、温泉以外にもこうした文化財を探訪するのが楽しみになっている。
これも徐々に蓄えてきた知識により、理解と興味が深まってきたからだ。40歳を過ぎて再び勉強が楽しくなってきた今日この頃である。
次回の旅が楽しみだ。