関東を守護する巨石と雨降り伝説の山 大山阿夫利神社へ(下社編)【登山記】
年の瀬に迫った頃、伊勢原市の大山(おおやま)に登ろうという話になった。大山は、標高1252M、丹沢山塊の一つであり、古来より修験道の聖地とされ、雨降山という別名もある。また、修験道以前の縄文期の遺跡も見つかっているようであり、古くから祭祀が行われていたようだ。
大山は、山岳信仰の神として石尊大権現がおり、そして大山阿夫利神社の神としては、大山衹大神(おおやまつみのおおかみ)、大雷神(おおいかずちのかみ)、高龗神(たかおかみのかみ)がいる。
阿夫利神社の「あふり」は聞きなれない言葉だが、雨降りがなまったとも、アヌプリ(偉大なる山という意味のアイヌ語)が元という説もある。
山頂の大石、そして相模平野を睥睨する姿形のよい山容が古来からの篤い信仰を集めた所以であろう。
石尊大権現としての信仰は、中世・近世には大山詣でとしてブームとなった。江戸時代には巨大な木太刀を担いで大山詣り、そして帰りは江ノ島の弁天さんもお参り、途中の藤沢の遊行寺あたりで遊んですってんてんになって帰る、というのが粋とされた、そんなこともあったようだ。
今回は伊勢原駅までは車で行き、そこから直通バスで大山ケーブル駅のバス停へ向かった。
大山詣りは、子どもの頃は家族の定例行事だったが、いつの間にかなくなってしまった。ここを訪れるのは約30年ぶりとなる。
こま参道を登り大山寺へ
懐かしい景色だと思った。
こま参道に向かう道すがら、大山の観光看板を読むと近年日本遺産として大山一帯が指定されたようだ。
古くからの磐座・巨石信仰があり、そして雨降山として降雨祈願の御利益があった。そして江戸期には、職人衆の崇敬が篤く「大山講」が組織され独特の文化が生まれたことが分かる。
古くからの信仰に支えられた歴史と文化にとって大切な場所だということを改めて認識した。
こま参道に近づいた。
30年ぶりだが、こま参道の景色は記憶と変わりなかった。小学生の頃、こまの数を数えながら駆け上がった階段の記憶が如実に蘇ってきた。
ケーブルの始発前だったため、駅を素通りし、そのまま登山道を登りはじめた。しばらくすると男坂と女坂の分岐点があり、大山寺を目指すため女坂に向かった。
雨降山大山寺は奈良の東大寺を開いた良弁が開基であり、その後弘法大師や行基などの著名な密教系の僧侶の伝承がある歴史ある寺のようだ。
修験道に関わりの深い天狗の伝承が残っていることも特徴だ。
廃仏毀釈で一度は壊されてしまったが、明治期に篤志により再建され今に伝わっているそうだ。
女坂の途中には、七不思議と言われる見どころがあり、少しだけ男坂よりも時間がかかるかもしれないが、こちらの方が楽しいようだ。
大山寺参拝後は、大山ケーブルの中腹にある駅に向かった。ちょうどケーブルカーが登ってきた。ケーブルカーは、20分間隔で運行されている。
数分で大山阿夫利神社の下社に着いた。
大山阿夫利神社下社からの景色も美しい
阿夫利神社駅から直ぐに展望の利く場所があり、そこからの眺めも素晴らしかった。太陽が海を照らし幻想的で、浄土のようだった。
この日が冬至に近いこともあり、このような景色が特別見られたのかもしれない。
大山阿夫利神社は前述の通り雨降山と呼ばれ、降雨祈願の山としても知られるが、実際にここからは清らかな水が滾々と湧き出している。
下社の本殿下に滾々と湧き出る地下水があり、大山の名水として売られていた。水の神である高龗神も祭られている。
関東総鎮護の大山阿夫利神社
大山阿夫利神社の歴史はこちらが詳しい。
古くから降雨、五穀豊穣祈願がなされてきたところである。大山講による大山詣がブームとなったころ、大山は石尊権現として信奉されている。
石尊信仰というジャンルがあり、その信仰の強い地域は水不足に悩まされていたという共通点があるようだ。巨石信仰と水。
牽強付会と言われるかもしれないが、諏訪大社と関係の深いミシャグジ信仰との共通点を思ってしまった。
境内に諏訪大社はなかったが、浅間社があった。
大山阿夫利神社の境内にあった摂社の浅間社。
後述するが、この大山から富士山がよく見える。そして古来から、富士山と大山が父子関係にあり(といっても大山のほうが父神だが)、両詣りが一般的とされていたようだ。
富士山も大山も麓から見上げる山の形が美しい三角形で、人々が自然と崇拝したくなる山容を持っている。
また、富士山も大山もそこにかかる雨雲の形で天気を占う伝承が多くあることから、農耕文化が入って以降は特に注視する山だったのだろうと思う。
大山の文化は、中世・近世の大山詣に関するものが多いが、古代の信仰についても調べてみたいと思った。
続きはこちら。
大山阿夫利神社上社、奥の院、そして日向薬師への登山記です。