どんなときもきみを
男は、大学を卒業して、学校の先生になった。
2年生。
初めての担任。
毎日ただひたすらに、がむしゃらに子供達とふれあい、遊び、勉強する。
そんな毎日だった。
忙しい中にも、充実した日々。
字は下手。
しゃべるのも下手。
武器は若さと体力だけだった。
そうして迎えた3学期。
担任していたクラスの子が倒れたという連絡を受けた。
急な病気だった。
まさかそんなことが起こるなんて、考えてもみなかった。
当たり前に次の日が来て、当たり前に教室にみんなが入ってきて、当たり前に授業をして、そうやって毎日が続いていくと思っていた。
が、そうではなかった。
男は毎日、病院へお見舞いに行った。
平日も、休日も。
彼女に意識はなかったが、毎日話しかけた。
別れの時には、願掛けも含めて、さよならは言わなかった。
絶対に、「またね」と言って別れた。
明日が変わらずくるように・・・。
病室で、お家の人からたくさん話を聞いた。
「先生のことをたくさん家で話していました」
「先生に褒めてもらいたくて頑張ってたんですよ」
「先生のことが大好きでした」
男が何気なくかけた言葉や、何気なくした話を、本当によく覚えていたようで、何度もお家で話していたらしい。
数秒でつけたであろう花丸を、大切に思ってくれていたらしい。
「俺は本当にできること全部やれていたのか?」
「思いにこたえられていたのだろうか?」
男は自問した。
2月、いつものように病室で話しかけると、一筋の涙が彼女の頬を伝った。
普通ならありえない出来事に、病院の先生も首をかしげた。
「気持ちが伝わるって、ほんとにあるんだなあ・・・」
3月2日、男は家の事情で、初めてお見舞いに行くことができなかった。
状態は安定しているし、家の事情だから仕方ない。
そう思った。
翌日、3月3日。
いつものように病室を訪れると、そこにはいつもと違う光景があった。
慌ただしく動き回る看護師さん。病院の先生。
男は、昨日お見舞いに来なかった自分を責めた。
「いつも通りをしなかったからだ・・・。いつも通りにしていればいつも通りの今日がきていたはずだ・・・」と。
3月4日。
彼女は静かに眠りについた。
8才だった。
男は何も言えなかった。
ただ、自分以上の悲しみを抱えている人の前で、決して泣くまいと、耐えていた。
その男に、お家の人は言った。
「先生が担任でよかった。ありがとうございました」と。
男は泣いた。
涙が止まらなかった。
若さと体力しか取り柄がなく、毎日必死だった。
自信もなかった。
何より未熟だった。
隣のクラスなら、もっといい授業が受けられたのに。
隣のクラスの先生なら、もっと力が伸ばせたのに。
悔しさと情けなさに折れそうになりながら、自分にできることをやるしかなかった。
そんな男に、1番辛いはずのお家の人がかけてくれた言葉。
その優しさに、涙が止まらなかった。
告別式。
男は弔辞を読むことになった。
彼女への、最後の授業だと思って、当時の学年主任と、夜遅くまで考えた。
伝えたいことはたくさんあった。
考えた末、バレンタインデーのお返しに渡そうと思っていた絵本を、読ませてもらうことにした。
“できること全部してあげたいんだ“
男の気持ちを代弁するかのような本だった。
男が彼女からもらったものは、数えきれないほどある。
一生懸命は伝わるということ。
本気で人を思う気持ちは伝わるということ。
明日が必ず来るとは限らないということ。
だからこそ、今を一生懸命生きるということ。
一瞬が一生のつもりで生きるということ。
できることをできる限りやるということ。
自分にとっては何気ない一言、何気ない花丸、何気ない会話。
でも、それが子供にとっては、とても大切な一言だったり、花丸だったり、会話だったりするということ。
12年経った今。
彼女の存在は、「絆」となっている。
当時の学年団。校長先生。教頭先生。お家の方。お姉ちゃん。同級生たち。
彼女を通して、つながりはずっと続いている。
これまでも。
そして、これからも。
あれから12年。
3月4日。
またこの日がやってきた。
あの子が教えてくれたことを伝えようと、男は今日も子供たちの前に立つ。
どんなときもきみを。
今日は僕にとって、大切な大切な日です。
あの出会いがあったから、今もこうして先生を続けることができています。
「担任でよかった」と言いたいのは僕の方です。
生まれてきてくれてありがとう。
出会ってくれてありがとう。
担任させてくれてありがとう。
またね。
読んでくださり、ありがとうございました。
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