2024年10月 観た映画感想文

タイトルの通り、2024年10月に観た映画の感想文です。
対象は映画館で観た新作のみ。
ストリーミングで観た分や再上映で観た過去作品、テレビアニメなどの総集編作品、観るのが2回目以上の作品などは末尾にタイトルだけ備忘録として書いておく感じでいきます。
前月の分はこちら↓


憐みの3章

一言で表すなら「ヘンテコ」って言葉がピッタリな映画。別作品の名前を出すのは行儀が悪いと思いつつ、あえて例えるとすれば物凄く高級な『世にも奇妙な物語』って感じ。

タイトルの通り短編作品3つのオムニバス形式。一つ目に、意思決定を他人に委ね続けたその果てに自分一人では何も考えられなくなってしまった憐れな男の物語。二つ目に、重大な事故により妻が遭難し行方不明となってしまったことを契機に統合失調症のような状態となってしまった憐れな夫の物語。三つ目に、新興宗教にのめり込み娘と旦那を捨て教主たちの指示のまま彼らの後継者を探し奔走する憐れな女の物語。どいつもこいつもロクなヤツがいないし、どいつもこいつもロクな目に合わない。

描かれる物語はいずれも皮肉めいて荒唐無稽、釈然とせず不条理、ねっとりと喉に絡むように後味が悪い……という感じでかなり人を選ぶ雰囲気。3つの短編全てがどこか示唆的に感じられるのはきっと勘違いではないんだろうなと思う。

面白いのがどの短編も主要な登場人物はみんな同じ俳優を起用してるところ。要はスターシステムが採用されてる。加えてそれぞれの短編は基本的に個別の物語として独立している一方、ある一点の要素のみ繋がっていて、互いに関係が有るような無いような微妙な筋書きにもなっている。そんな微妙な筋書きとスターシステムが絡み合うことで事態はなおややこしい。画面に映るメンツはどれも同じで、けどストーリーライン上は関連が無くて、けど何となく繋がりがありそうで、けど設定上は完全に別人で……と観ている側を意図的に混乱させるような作劇。

それとは裏腹に画面の構図の取り方と色彩が本当にオシャレで目が嬉しくなる。ドロドロと薄暗い物語で好き勝手暴れる代わりに映像は清潔に整えるっていうコントラストが監督であるヨルゴス・ランティモスのセンスなんだろうなと思う。

他人にオススメできるかと言われるとかなり微妙なところだけど個人的には結構好き。

SONG OF EARTH

監督自身の老いた両親が営む素朴な生活模様と、二人が暮らす北欧の田舎の小さな集落と、フィヨルドの雄大な自然風景が淡々と映されるドキュメンタリー作品。

ドローンによる空撮を駆使した尋常ではなくリッチな映像が次から次へと視界に流し込まれるから、映画というよりは映像作品と表現した方がより適していると思う。ジャンル的にはナショナルジオグラフィックとかその辺に近いと思うけど、それらとは違って解説やナレーションが一切挟まらないところにはなかなかソリッドな印象を受ける。

「SONG」とあるように、映像だけでなく音声の面でもかなり気を払っているのが窺えたのも印象深い。針葉樹の梢を吹き抜ける風、軋む氷河、大地を這う雪解けの水とその先で流れ落ちる滝、花々の隙間を飛び回る虫、短い盛夏を迎え青々と茂る草木はあっという間に色味を失い、やがて凍り始める河川、降りしきる雪。画面の中に映る全てのものから発される全てを集音し、余すところなく記録して、その上に北欧の民謡を口ずさむ母の掠れた歌声と、詩を読む父のくぐもった声とを重ね合わせる。森羅万象、遍く自然界の音色、これこそが大地の歌であり、人間すらもその一部にしか過ぎない……ということなんだろうか。

はっきり言ってエンタメとしてはかなり退屈な部類の作品ではあると思うからそういう意味では人を選ぶかもだけど、割り切って鑑賞するには満足度が高い。自分たちの先祖が植えたトウヒの木の話を語った父親が、今度はその近くに自らもトウヒの苗木を植えるシーンが特にお気に入り。植え終わった後のあの晴れ晴れとした、どこか誇らしげな顔は一見の価値があると思う。

シビル・ウォー アメリカ最後の日

凄いもん観ちゃったな~と思った。

アメリカという国はとかく分断が激しい……と言われ始めてからもう随分と経ったけど、側から見ている限り状況は悪化の一途を辿り、どこに着地するのか皆目見当もつかなくなってきている。2度の(3度の?)色んな意味で苛烈な大統領選を経てなお煮詰まることを知らない社会情勢の中、これほど真正面から大きく振りかぶって「分断」を描く物語が飛び出してくるところには痺れる。

この映画の特徴的な点は「行くところまで行くとこうなるぞ!それでもいいのか!」という警句めいたテイストをできる限り持ち出さないようにしているところ。所謂リベラル、wokeだなんて呼ばれる勢力が嫌われる最たる理由は「間違った人たちを公明正大な我々が啓蒙せねばならんのだ!」という説教クサい態度を隠す気がないところにあると思うんだけど、取り扱ってるテーマがテーマの割にこの映画にはその気配をあまり感じない。アメリカの分断そのものを取り扱うのではなく「分断が極限状態に達した国内でジャーナリズムが果たす役割とは?」「ジャーナリストという生き方が孕む狂気とは?」っていう少しズレた位置に主題を設定したところがなんとも絶妙なバランスを生んでいるのだと思う。

主人公たちは報道機関としてあくまでどちらの勢力にも与せず、作中で起きる出来事を「出来事そのもの」として俯瞰する立場にある。そんな主人公たちの視点を通じて舞台を眺める我々観客も、また同様に俯瞰する立場からドライな心情で作品に接することとなり、分断がもたらす危機を可能な限り真っ直ぐに見つめることが可能になる……という構図になっている。しかし裏を返せばその態度はどこか他人事であり、分断という今まさに差し迫っている課題に「相対している」わけではない。

作中の登場人物がそうであるように、観客である我々もそうである。

どこか遠い異国の地で起きた出来事をモニター越しに眺めて「大変だなぁ……」となるあの感じ。それはやはり、自分の身に災禍は降り掛からないという正常性バイアスによって認識が支配されていることに他ならず、観終わった後に作品を振り返るとそのことを否が応でも自覚させられる。これがアレックス・ガーランド監督の意図したものであるとしたら脱帽するしかない。

ここからは勝手な憶測になるけど、まず最初に物凄くリアルに米国内の現状を捉え、つぶさに観察し、深く吟味を重ね、しっかり自分事として飲み下したうえで、どうやってそれを映画的な演出や構成へと昇華させ物語として紡ぐのか?という視点で物語が練られていたんじゃなかろうか。現在の情勢から想起される未来をどこまで大袈裟に誇張できるか、あくまでフィクションになりきらないスレスレのラインはどこなのか……というチキンレースをしてたとも言える。

だからこの映画は未来のアメリカを予言しているのか?と言われると、別にそんなことはないような気もする。まあ、正直に言えば「そんなことはないと思いたい」になるわけですが……。

一番印象に残っているのは後半の山場の一つとして登場したジェシー・プレモンス演じる赤いサングラスをかけた軍人。既に多くの人たちが口々に語っているけど、実際この男が本当に洒落にならないくらい怖くて、特に「アメリカ人ではない」我々にとっては筆舌に尽くし難いものがあった。あの男の恐怖と緊張感を味わうためだけにこの映画を観てもいいと思えるくらいの価値を感じられたし、ジェシー・プレモンスの演技には賞賛以外なにも言うことがない。スクリーンに映るのはごく僅かな時間なんだけどそれに対して発せられる存在感は作中でも屈指で、ひょっとするとこの短いシーンの演技だけで何かしらの賞を受賞してもいいんじゃないかとすら思える。演者にかかる負担も相当だったらしく、一連の場面を撮影するだけで2日間を要したうえ、撮影終了後に地面に倒れこんで涙を流す俳優すらいたらしい。実際にあのシーンを観た後だと、そのエピソードも誇張したものではなく本当にあったことなんだろうなと思えてしまう。

物凄くヘビーで観るのに体力が必要な一本だけどオススメです。

ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ

前作を期待して観に行くと肩透かしを食らうことは間違いない。

なぜなら、この映画は徹底して「ジョーカー」ではなく「アーサー・フレック」を描こうと努めているから。この映画は凶悪なヴィランの物語ではなく、時代の要請によって秩序の破壊者、弱者の代弁者、新時代の旗手として祀り上げられてしまった一人の哀れな男の物語でしかないのである。

間違いなく観客の需要として存在していた持たざる者の逆襲憚という物語性を抑制し、理不尽な因果応報をまざまざと描く救いのないこの作品が喧々諤々の評価を巻き起こすのも無理はない。ただ初っ端からなぜか気の抜けたカートゥーンで始まったり、要所要所でミュージカル仕立てになっていたりと、「前作を期待して来た連中を篩にかける」かのようなシーンが随所に散りばめられており、個人的には割と早い段階で「こういう感じか……」と思いながら観ていた。

かといって前作を無かったことにしているかというとそんなことは全くない。継承している要素ももちろんたくさんあって、どこからが妄想でどこからが現実なのか境界が曖昧になる感じなんかは相変わらず秀逸。冒頭のカートゥーンもアーサーが見た幻、妄想の産物に過ぎないと解釈するのが妥当なところだと思う。しかも今作ではそこにハーレイの虚言癖が相まって「何が真実で何が嘘なのか」まで絡み合い、事態は刻々と形を変えながら混沌の様相を呈していく。

そんな状況でもたった一つだけ変わらないものがある。たった一人だけ、主人公のことを「アーサー」と呼び、アーサーの友人としてあり続けようとする男がいるのである。妄想と虚実と狂乱で雁字搦めにされ身動きがとれないまま転げ落ちていくだけのアーサーにとって彼は一筋の光であり、パンドラの箱の中に残った最後の希望でもあった。

しかしアーサーは自分自身に差し伸べられたたった一つのその手を自ら振り払ってしまうのだから、何というか、本当に救いようがない。後に残るのはアーサー・フレックという男が徹頭徹尾、文字通りの道化でしかなかったという事実だけであり、それ以外のありとあらゆる全てが彼から失われる。にも関わらず、全てが終わった後のアーサー・フレックの顔はどこか晴れやかにも見える。(ここちょっとホアキンの演技が凄すぎる)

それから受けるべき報いを受け、「アーサー・フレックの物語」は幕を閉じる……数多に伝染し、いまだに広がり続ける「ジョーカーの物語」を後に残して……っていうオチも個人的には良かったと思う。めちゃくちゃ後味は悪かったけど……。

あとコレは明確に文句なんですが、作中に登場しないシーンを予告編やポスターに使うのは果たしてどうなんですか?まったく存在しないシーンってわけではなく、実際撮影自体はされていて編集の過程でカットされた部分を流用しているんだろうなというのは何となくわかるけど、あんまりフェアなやり方ではないよね。作品そのものは申し分ないんだから変なところで適当なことやるのは本当に止めて欲しいと思った。

2度目のはなればなれ

しみじみと良い映画だった。

第二次大戦で英国軍属としてドーバー海峡を渡りノルマンディの地で戦った退役軍人の夫と、戦争当時そんな夫の帰還を本土で待ち続けたその妻は、夫婦仲睦まじく老人ホームでの余生を送っていた。二人はあのノルマンディ上陸作戦から70周年を迎える日に開かれる記念式典へ揃って参加する予定だったが、ちょっとした手違いから夫だけが妻を置いて式典に向かうこととなる。そして、それは二人にとって、かの大戦以来の「2度目のはなればなれ」であった。

原題の「GREAT ESCAPER」は夫が妻からの後押しを受け、妻以外の誰にも行き先を告げずに老人ホームを抜け出して記念式典に出立したことを拾ってのタイトル。邦題も原題もどっちも素敵だな〜って思う。

この映画を観終わってまず最初に思ったのは、海外でも「第二次大戦をリアルに知る層がぼちぼち途絶えそう」って事実をやはり気にしているんだなぁということ。日本なんかだと長崎や広島の被爆者をはじめとした人々を俎上に載せるけど、これをイギリス版に置き換えるとノルマンディ上陸作戦になるというのは何だか異国情緒が感じられて興味深い。

かつて当事者だった人々の記憶と記録が途絶えつつあることと、昨今の世界情勢が急速に不安定になりつつあることとが関連づいていることは正直否定できないと思う。同時に、そんな今現在だからこそこの映画が生まれたとも言える。

時間は万物の薬とも言えるが、しかし戦争が生んだ深い傷と後悔は70年という長い時を経てようやくわずかに拭い去るに至る。誰も彼もがかつての同胞を偲ぶ際に「すまない」と謝罪の言葉を紡ぎ、その言葉を届けたい相手には決して届くことがないことを痛感する。それでもどこかで踏ん切りをつけて、傷と後悔を抱えながらも今ある幸福を噛み締めて、前を向いて、生きなくてはならない。そういう毅然としたメッセージ性を強く感じる温かい一本。オススメです。

花嫁はどこへ?

インド映画ってやっぱりドンチャン騒ぎのアクション映画が話題になりがちって印象が強いんだけど、この作品みたいにヒューマンドラマ方面にも良い映画が実はいっぱいあって、個人的にはそっちも結構好きなんだよね。

インドには結婚にまつわる習わしの一つとして「花嫁は嫁ぎ先への旅路の道中、特別な民族衣装を着てベールを被る」というものがある。この特別な民族衣装とベールってのが日本でいうところの白無垢みたいなもんで、もちろん細かい差異はあるにせよ、一見するとみんな同じものを着ているかのように映る。それにベールで花嫁の顔をすっぽり覆って隠してしまううえ、衣装も体型を曖昧にするゆったりとしたサイズだから、本当によく見ないと違いが分かりづらい。

では、もしも嫁ぎ先へと向かう道中で新婚カップルが複数入り乱れちゃったりした日には、ひょっとすると花嫁の取り違いが起きてしまうのでは……?

そんな結婚を巡るインドの風習や文化を逆手に取った一発ネタみたいな設定からこの映画は始まるんだけど、そこからよくあれだけ話を転がしたもんだと感心した。

この映画の何が良いって、主要な登場人物のほとんどが気持ちのいい性格をしてるところが良い。人の温かみが感じられて心地いいんだよね。中でもとにかく主人公の新郎が本当に良いヤツでね〜。人によっては優しくて誠実であることだけが取り柄のどうしようもないお人好しに映るかもしれないけど、そんな彼だからこそ成し遂げられたことがいっぱいある。

自分のうっかりミスで取り残してしまった自分の花嫁の行方に気を揉みつつ、けど巻き込んでしまったもう一人の花嫁の事情も汲んでそっちのケアもしつつ、地元の悪友や態度の太々しい警官たちに協力を仰ぎつつ……と右に左に大忙し。彼はお人好しだからその全てに全力を注いで消耗することもあるんだけど、一方で彼がお人好しでいてくれたからこそ物語は大団円を迎えるというのもまた事実なんだよな。シンプルに素敵な映画です、オススメ。

リトル・ワンダーズ

何かもっとファンタジー色の強いジュブナイルなのかと期待して観に行ったんだけど、正直思ってた感じの作品ではなかった。

主人公の子供達がちょっとクソガキすぎて普通にイラついてくるのと、せっかくの一夏の大冒険なのにそこから生まれるワクワク感があまりに乏しかったのが特に残念。観ていると段々物凄く高級なお皿に冷凍食品を乗せて提供されてるような気分になってくる。

予告編を見る限りだと全体の雰囲気はもっと明るいもんだとばっかり思っていたけど、まったく見当違いだったのも何だかな〜って思った。これについては広報の仕方に問題あるのでは?とも感じる。

何の説明もないまま「これはそういうもんだから」って感じで「ドラゴンボールのスカウターっぽい謎のSFアイテム」とか「魔法を使える人」が唐突に登場したり、風邪気味のお母さんが「ブルーベリーパイが食べたい」と言い残して物語の発端を与えたあと30時間くらいぶっ続けで寝ていたり、何かところどころ勢いで押してるだけの雑な展開が多いのも気になる。物語や展開の全体に言えることだけど、ファンタジーに寄せたいのかリアルに寄せたいのかを判然とさせないまま両方の良いところを拾おうとしたのが結果的に仇となって、何もかもが中途半端になってしまったのかもなと思う。

あとターゲット層としてどこを狙ってるのかが分からないから、観客側もどういう気構えで観たらいいのかが分からない。子供向けにしては展開も雰囲気も薄暗すぎる。大人向けにしては先述の通り物語に意図的なのか?ってくらい粗が目立つうえ、何より物語の骨子がジュブナイルすぎる。結局何もかもがボンヤリと印象の薄いまま進んで終わりを迎えるから「で、結局コレ何だったの?」っていう後味になってしまう。

1本真っ直ぐ通った芯があったらな〜という可能性だけは感じられたものの、この映画自体のクオリティは正直凡庸だったと言わざるを得ない。

ストリーミングで観た作品など

◆グラディエーター

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集