2024年5月 観た映画感想文

タイトルの通り、2024年5月に観た映画の感想文です。
対象は映画館で観た新作のみ。
ストリーミングで観た分や再上映で観た過去作品、総集編作品、2回以上観た作品などは末尾にタイトルだけ備忘録として書いておく感じでいきます。
前月の分はこちら↓


殺人鬼の存在証明

ロシア製の重厚なサスペンス。
シンプルにめちゃくちゃ面白かった。

現地で公開されたのが2022年の4月らしいから、海を渡って輸入されるまでに丸々2年かかったことになる。
昨今の情勢を鑑みるにロシア映画を日本に輸入するのは色々と壁やしがらみがあるんだろうな〜と何となく予想できるものの、そんなしがらみを越えてくるだけの凄みを感じさせるような痺れる一本だった。
この映画を発掘して何とか上映にこぎつけた配給元の担当者には賛辞の言葉を送りたい。

かつて実在したアンドレイ・チカチーロという殺人鬼をモチーフにしてるらしいけど、作中で描かれる物語は実際に起きた出来事というよりも事実を脚色したセミフィクションとしての色が非常に強いと感じる。
作中にはいくつもの「仕掛け」が施されていた点は本格ミステリっぽさがあり、個人的にかなり気に入ったポイントでもある。

展開的には突拍子もなく感じられる場面がいくつもあったものの、どんなに唐突に感じられるシーンでも振り返ればちゃんと取っ掛かりが用意されていた印象が強い。
伏線の張り方、布石の置き方がとにかく丁寧で、鮮やかで、惚れ惚れとさせられる。
こういう丁寧な作劇というのは本当に観ていて気分が良い。

ただ「実話を元にした」という謳い文句を真に受けて観てしまうとかなり面食らう可能性がある。
実際用意された「仕掛け」の数々も冷静に考えてみればやっぱり「そんなことある?」と思わないでもない代物ばかり。

しかし有無を言わさぬスピード感で展開されていく、残忍で悪辣な凶悪殺人犯を巡る血みどろの物語には気圧されるばかりで、何の文句もつけようがない。
ハイカロリーな作品に頭からつま先までどっぷり浸かりたい時に最適です、オススメ。

好きでも嫌いなあまのじゃく

※かなりネガティブな感想になります※

最初から最後まで、人間の主人公と鬼のヒロインの言うことを全て肯定して何ら疑問を呈することなく受け入れる、最高に物分かりのいい人たちしか登場しないご都合主義の塊かのような作品。
正直観ていて苦しかった。
『ペンギン・ハイウェイ』や『雨を告げる漂流団地』を作ったスタジオコロリドの新作ってことで結構期待して観に行った分ダメージが加算されている側面は若干ある。

物語というのは大なり小なりご都合主義的であるのが必然だけど、この映画はあまりに度が過ぎている。
キャラクターたちに備わった行動原理が「とにかく主人公とヒロインの前途を阻害することなく、物事を円滑に進ませる」以外に存在しておらず、しかもその原理に忠実に動くもんだから人間味が一切感じられない。
もはやアイコンと表現した方が適しているのでは?と思ってしまうようなキャラクターたちの中で展開されるストーリーは当然のように歪で空虚に感じられる。
「なぜそう考えたのか?」「どうしてそうなるのか?」の視点からの深掘りや言及が作中で一切示されないのも辛い、さながら前述の行動原理以外の思考が存在しないディストピアである。

恐らく作品の核であろう「本当の気持ちを隠さず正直に相手に伝えることが大事だよね」というメッセージは至極真っ当だけど、キャラの行動原理がたった一つに収斂してしまっているという作品の特性上、残念ながらそのメッセージすら上っ面である。

加えて特に深い理由が無さそうな(もしかしたらちゃんとあるのかもしれないけど……)描写も多い。
鬼の種族が住む山奥の秘境から人里に降りてきたヒロインの髪色は人間社会の中では明らかに異質で浮いていたはずなのに、主人公含め他の誰かしらがその特徴的な髪色に言及するような場面は記憶の限りでは一切ない。
鬼の角が見える人と見えない人って話が差し込まれるから髪色に関しても認識阻害的な何かがあるのかな~とか、もしかしたら鬼の種族はヒロイン同様みんなこんな感じの髪色なのかな~とか思ったら、物語の後半で出てくるヒロインとその母親以外の鬼はみんな普通の髪色である。マジで何なんだ?おかしいだろうが。

ひょっとするとヒロインの家系は鬼の中でも特殊な立ち位置なのかもしれないが、作中でその点に関する言及はもちろんされない。
結局ヒロインの髪色が特殊な色味になっている理由は(少なくとも作品短大では)何もわからない。いい加減にしろ。

終盤でアイキャッチ的に挟まるちょっとしたシーンも何か意図があるのかと思えば「場面を切り替えるためのトリガー」以上でも以下でもなく、さながらモノを箱詰めする時にすき間を埋めようと適当に押し込まれた緩衝材であり、物語的な理由はもちろん無い。
理由や意図が無い、あるいは一切感じられない、伝わってこない物語というのはこれほどまでに苦痛なのかと新鮮な思いにすらなった。

最後に主人公とヒロインのボーイミーツガールで爽やかな雰囲気を醸し出すけど、そもそもそこに至るまでの道中でもっと気恥ずかしくなるようなムズ痒いやり取りをしていた癖に、この二人は何を今さらそんな初心な態度が取れるのかと余計に白けてしまった。

ところどころ差し込まれる、TPSのアクションゲームみたいに人物を回転軸の中心にしてグル~っと画面を動かすようなカメラワークに関しては、アニメはおろか実写ですらあまり観たことなくて「おぉ~」と思った。
しかし正直それ以外で良かった点を挙げるのが今の自分には難しい。

映画に限らずエンタメは基本的に加点法で享受することを意識するタイプだから大抵の作品はある程度楽しめるという自負があるし、最近は段々と感覚も麻痺してきたのか仮によほど酷い代物に当たったとしても「これで飲み会のネタができたな」くらいに軽く受け流せるようになってしまっていたわけだけど、この作品はそのマインドセットの境界を越えてきた。
まだこんな自分にも映画を観て「苦しい……」と思えるだけの感情が残されていたという事実には驚きを禁じ得ない。
ある意味でこの作品に「忘れていた感情を取り戻させてくれてありがとう」と謝意を示さなくてはいけないのかもしれないとすら思った。

劇場版ウマ娘プリティーダービー新時代の扉

最高の作品です、本当にありがとうございます。
「ウマ娘」への入り口としてはこれ以上ない映画だと思います。

一度脚を止めてしまったアグネスタキオンとフジキセキというジャングルポケットの信念に宿る二人のウマ娘の時間を、ジャングルポケット自身が自らの生き様を示し、返すことで再び動かしてみせる物語、アツすぎる。
友情・努力・勝利の3拍子が完璧に揃った傑作少年漫画じゃん。

第一線から身を引いた後のタキオンやフジのような一見割り切っているかのように見えるウマ娘であっても、心の底では本能から喚起される「走りたい」という苛烈な衝動がいつまでも割り切れないまま燻り続けている。
そしてその衝動こそがウマ娘をウマ娘たらしめ、彼女たちが歩みを推し進めるための原動力となると同時に、その姿を目にする人々(他のウマ娘、作中でトゥインクルシリーズを楽しむ観衆、そして映画を観ている我々)の心すらも熱く滾らせる。
アプリ、テレビアニメ、漫画、RTTTを通してウマ娘というコンテンツの根幹には常にこの「衝動」がテーマとして据えられていたと思うけど、今作はそれが最も色濃く、直接的かつ真正面から描かれていたと感じた。

絵的にも物語的にもキャラクターの描き方が丁寧で、誠実で、指先ひとつの動かし方にまで個性を見出せそうなほど作り込まれていて、本当に凄い。
主要キャラだけでなく1つ2つ程度しかセリフが用意されていない端役のキャラであっても、言葉選びや動かし方には妥協が一切見られない。
これはひとえにどのウマ娘にも元になった競走馬が存在していて、彼ら彼女らへのリスペクトだけは微塵も欠かしたくないという制作陣の姿勢の表れなんだと思う。
首尾一貫したスタンスは流石の一言。

とにかく作品全体から「良いモノを作ろう」という溢れんばかりの情熱がひしひしと感じられて、ウマ娘っていうコンテンツを抜きに一本の映画としてとんでもない完成度だった。
語られる台詞、所作や動作、背景、音楽、演出、それら全てに明確な意図や狙いがあって噛めば噛むほど味がする感じ。
よくぞここまで詰め込んでみせたな~と称賛するしかない。

個人的に嬉しかったのはフジキセキがかなりしっかり描かれていたところ。

超然的で常に的確なアドバイスを送り道を指し示すような憧れの存在としてではなく、同じようにレースの世界で苦悩を重ねてきた一人の年長者としてジャングルポケットと等身大に接するフジキセキの姿には、これまであまり描写されることがなかったキャラの側面を垣間見ることができたと思う。
何よりキリッとした顔立ちで落ち着きがありいつでもクールな印象を与えるタイプのキャラが不意にふにゃっと笑ったときに見せる年相応のあどけなさにすっかり心を撃ち抜かれてしまった。

努めて表に出さないようにしているだけで、フジキセキも葛藤とか後悔とかちゃんと抱えてて、自分なりに折り合いをつけたりつけられなかったりしてるんだなぁ……と、見方がグッと深まった気がする。

あとダンツフレームちゃん可愛いね。(特にお腹が可愛い)
ポッケ、タキオン、カフェの個性強めな3人を上手いこと繋ぎ合わせるムードメーカー的な役回りとしてもよく映えていて良いキャラだと思った。
もしかするとある意味この映画ってダンツがいないと成り立っていなかったのでは……?という気すらしてくる。
元になった競走馬も苦労人気質なところがあるらしく、やはり丁寧なキャラメイクを感じられる。
今作が初登場の新ウマ娘だということを忘れてしまいそうになるほど場に馴染んでいるところとか、よくよく考えたらとんでもないことやってんだよな……。

つまり、初見であってもすんなり入り込めるよう、ひいては「ウマ娘」というコンテンツはおろか競馬に関してすらまったく知らなくても楽しめるように作られているということ。
サラッと書いたけどこれはやろうと思ってもそう簡単にできることじゃない、本当にすごくすごいです。

唯一のネックだった「映画公開時点で主人公のジャングルポケットがゲーム内にプレイアブルキャラとしては実装されていなかった」という点に関しても最近実装されたためついに完全無欠となってしまいました。
映画館で観ることに価値があるタイプの作品、オススメです。

後章 デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション

前章がかなり面白かったから後章の公開を今か今かと待ち望んでいたんだけど、個人的には釈然としない、何とも解釈の難しい結末だったな~というのが正直な感想。

最悪の結末は逃れたけど最悪ではないだけで事態は何も解決されてない、みたいな感じ。
原作者が浅野いにおだし元より丸く収まるとは思ってなかったけど、それにしたってこの何とも言えなさはなかなかのもの。

ただ間違いなく面白い映画ではある、退屈は一切しない。

未曾有の事態で社会全体に計り知れないほどの甚大な被害が生じたにも関わらず、主人公たちはどこかドライな様子で「いつも通り」に振る舞っていたところに釈然としない思いを感じた。
けどそれって現実世界の人間でも大規模災害が起きたあとによく見られる態度だよな~と思う。
悲劇を前にした人は泣き叫ばなくてはならないのかというとまったくそういうことはなくて、悲劇は悲劇として横に置いて一旦は目の前のことをやっていかないといけない……で、そうやって目の前のことにフォーカスしていると自然と「いつも通り」の態度になってしまう。
「でもまあ人間ってそういうもんだよね」っていう原作者の価値観が一連の描写から垣間見える気がするよな~と感じる。
だから多分、表に出さないだけで主人公たちも無関心ではないのだと思う。

描かれる物語は突拍子もなく現実味が皆無な一方、その中に詰まった人間の描写はものすごく写実的なのかもしれない。

前章ではSF的要素を前面に出しつつもそれを巡る人間模様について重心を置いてた印象があった。
後章も人間模様に重心が置かれている点は同じだけど、前章に比べるとSF的要素が引っ込んで人間模様の比重が更にドカッと増えたように感じた。
個人的にいまひとつハマりきれなかった理由はこの辺にあるかも?

ただあまりにもSF要素を前面に出し続けるとどこかのタイミングでどうしたって「説明」をしなくちゃいけなくなってしまうだろうし、そうなるとSFの醍醐味の一つである「訳の分からなさ」が霧散してしまう。
そしてこの「訳の分からなさ」がこの作品の核であるというのもまた事実で、これを取り払ってしまうというのは正直野暮。

ただ難しいのは「訳の分からなさを取り払う」っていうのもそれはそれでSFの醍醐味の一つであるという点で、どっちを取るかは結局個人の好みでしかないんだよな〜と思う。

どうやら原作漫画と比べるとガッツリ変わってる箇所も多々あるようで、特に物語の結末に関しては完全に映画オリジナルらしい。
漫画の方も触れてみたらもう少し自分の中で消化することができるのだろうか……。

ストリーミングで観た作品など

◆劇場用再編集版『ウマ娘プリティーダービー ROAD TO THE TOP』
◆機動戦士ガンダムSEED FREEDOM(2回目)


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