好かれる人と魅力的な人はどこか違う
人に好かれる人になりたい。
誰もが一度は思ったことがあるのではないでしょうか?
「人に好かれる人」などというキーワードでググってみると、実に沢山の結果が表示されます。
まとめるとだいたいこんな感じで、同じようなことが書いてあります。
<人に好かれる人の特徴*1>
・誰に対しても誠実、裏表がない
・明るい、いつも笑顔
・悪口を言わない
・聞き上手・・・etc
そりゃそうね、と思いつつ、これ全部持ってる完璧超人は果たして本当に好かれるのか?という疑問が湧いてきます。
人に好かれることの必要性
さて、そんなひねくれた考え方をしている私は、言わずもがな、友人は少ないし、決して多くの人に好かれるタイプの人でもありません(笑)
学生時代はそれでも別にいいと思っていました。
実際のところ、何か変わったことをやろうとすると、どこかで誰かから反感を買うことになるのです。
だから、自分を認めてくれる一部の人にだけ好かれていれば問題ない、という考え方には一定の妥当性があります。
しかし一方で、今は個性が問われる時代です。それは、会社そのものよりも、サービスを提供するスタッフそれぞれの資質が問われるということ。
スタッフと顧客の1vs1のサービスでは、顧客に上手く好かれなければそのスタッフや会社は、次回以降選んで貰えなくなるかもしれません。
顧客に選んでもらえなければ成果になりませんから、同業他社(者)との差別化を図る上で、人となりは重要な要素の一つといえます。
例えば、コーヒーショップ。美味しいコーヒーを用意することも重要ですが、顧客が店を選ぶ理由はコーヒーの味以外に、立地や店の雰囲気など色々です。そしてその中で、スタッフの人となりも重要性の高い要素です。
魅力的なスタッフさんがいれば、その人に会いに行くことに需要が生まれるのです。
仕事の成果にまで影響を及ぼすことを考えると、やはりある程度は人に好かれる必要がありそうです。
では、人に好かれることを目的に努力するとすると、どこを目指すのが良いのでしょうか?
ここでタイトルにあるように「好かれる人」と「魅力的な人」という話をしたいと思います。
好かれる人(=良い人)
先に示した、人に好かれる人の特徴*1を改めて考えてみると、その共通点は「他人にストレスを与えない」ということな気がしました。
例えば、怒っていなくても無表情だったり、ムッとして見える人はそれだけで話しかけづらいし、悪口を聞くと「自分も陰で言われてるんだろうな」って思わざるを得ません。
こんな人たちと関わると間違いなくストレスがかかります。
こう考えると、これらのサイトで書かれていることは、「他人にストレスを与える行動」をとらない人は好かれる、と言っているに過ぎない気がします。
他人にストレスを与える行動をしない人というのは間違いなく良い人です。
人によって考え方に相違はあるし、どんな人でもぶつかることはあります。疲れる時・悩む時、それぞれあると思います。
そんな時も、空気を読んで、周りに気を使って、言いたいことも口に出さず、笑顔を振りまく・・・
そんなことができるんですから。でも、他人にはストレスを与えない代わりに、当の本人にかかるストレスは尋常じゃないですね、きっと。
とすると努力の方向性として”良い人”を目指すのは、間違いな気がします。
自分が自然体で”良い人”になれるのであれば、それでもいいかもしれませんが。
魅力的な人(=魅力が表れている人)
対して本当に目指すべきなのは「魅力的な人」になることです。
魅力的な人っていうのは多分、自分の魅力が表れている人。
魅力っていうのはその人ごとに違っていて、誰しも必ず持っている物だと思うんです。
そして、魅力的な人なのかどうかは、それが表れているかどうかの違いじゃないか?と思うんです。
例えば、テレビで知性の溢れるコメントを出すコメンテーターには魅力が溢れてます。
ここぞというタイミングで冴えたコメントを出すには様々な知識と経験という裏付けがあるはず。
やはり知識人は魅力的を満たす条件の一つです。
でも知識があっても、ただウンチクを語るだけでウザがられるタイプもいます(笑)
後者は、せっかくの知識を魅力として表せていないと考えることができます。
詰まるところ、努力の方向性として、自分の魅力を見つけて、それを体現できるようにするのが良いのではないでしょうか。
魅力的な人になるには
では肝心な、魅力的になるためにはどうしたら良いか、という点です。
その答えは私の中にもないのですが、魅力的に感じる人とお話しをした時に共通して感じることがあります。
それが、発言や所作に、自分なりの考え、想い、気持ちが乗っていることです。
つまりは自分を曝け出すこと。
特に、魅力的な方ほど、ダメな部分を曝け出すのが上手いのです。
我々はどうしても格好つけてしまうことがあると思います。
でも、それ以上にダメな部分もさらけ出して、格好悪くても努力して。
そんな姿に人々は魅了されるのかもしれません。
そして、格好悪い思いを突き抜けた先に得られたものが、自分なりの色を示して、その人の魅力になるのではないでしょうか。