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体たらく。
先ほどまで、Tシャツを前後ろに着ていました。表裏ではなく前後ろです。着用すれば違和感からすぐ気づきそうなものですが、半日くらいそのままでおりました。さきほどふと鏡を見て気づくまで、なんとも感じなかったのが不思議なくらいです。無地で比較的首回りがゆったりしたカットなので、100歩譲って気づきづらいともいえますが、それにしても、気づかないうちは気にならないのに、気づかないうちは気にならなかったのに気づくと気になってくるというのはやはり不思議であります。ものには使い方があります。つまりものの側から「私のことは、このように使いなさい」とガイドされるのです。封筒の上に郵便番号のマスがあればタテに使うのだとガイドされますし、椅子にくぼみがあればそこに尻を置くのですとガイドされます。道具の握りに溝や格子があればそこに指を添えれば力を入れやすいという具合です。そうしなくても使えますが、違和感が伴います。違和感こそが正しさへのメンターなのです。もののデザインにはさりげなく正しい使用法に導く働きがあるわけですが、人にはうっかりがあります。Tシャツの前後ろもそうです。どう考えても違和感を与えるはずなのに、人がそう感じないのでは、もうどうしようもありません。そこで思い出したのがオーディオの失敗です。わたしは音楽やオーディオが好きで、これは長い趣味となっています。ある時、待望のスピーカーが家にやってきました。小さな傑作品と、当時評判になった北欧産の木目の美しいスピーカーでした。オーディオの友人を招き、PLAY。音は出ているのですが、何かおかしい。オーディオの上流から見直します。CDプレーヤーからアンプへ。アンプからスピーカーへと。音楽信号の流れは一方通行ですから間違えようがありません。なにより音は出ています。このスピーカーは評判程ではないのか、個体の問題か、あるいは我が家との相性でしょうか。友人も共に、オーディオ装置の背面をチェックします。彼は大笑いしました。わたしは、片方のスピーカーコードの+/-を逆に結線していたのです。音は出ますが、ユニットは逆動作で押し引きしますので、聴覚上の違和感を与えるのです。正しく結線したその北欧の歌姫は評判以上の美声を聞かせてくれました。こんな体たらくでは、わたしのオーディオ好きも怪しいものです。