見出し画像

「普通」は虐待だ

別に、いまニュースで報道されているような、一つ間違えれば死んでしまうような虐待を受けていたわけではない。

だけど、今でも精神的には傷があるし、結果としては虐待だったんだろう。

「普通」を求められる「普通じゃない」子ども

自分は生まれつき片方の耳が聞こえない。
小耳症・外耳道閉鎖症という障害を持っているので、どうしても「普通」ではないのだ。

両親は、できるだけ「普通」として育てたかったんだろう。
でも、「普通」の人と同じ経験をしているわけではない。片方の耳が聞こえないと、コミュニケーションは円滑にはいかない。

一生懸命周りの音に気を付けないといけないので、聴覚過敏になる。

耳の形が違うと、それだけでいじめの対象になる。
空間把握能力が乏しいので、どうしても方向感覚は鈍る。

そんなことを気にせず遊んでくれていた小さなころの友達と、同じように接してくれる人間がいないことを悟ったときの絶望感は、きっと当事者にしかわからないだろう。

耳を隠すために、髪を長くしていて、おかっぱみたいにしていたのもからかわれた。
今の価値観だったら、もしかしたらオシャレだったかもしれないけどね。

NHK教育の「バリバラ」へのコメントで、おんなじ思いをしている人が、やっぱりいたと思って、安心した。
https://www6.nhk.or.jp/baribara/message/single.html?i=64&l=131

番組で取り上げていただきたい障害があります。それは、聴覚障害の外耳道閉鎖症です。私は先天性外耳道閉鎖症です。
私の体験した生きづらさとしては、音の方向感覚がわからない。聞こえない側から話しかけられても聞こえないので、グループで話すときは苦労します。小さな声では聞き取りづらいし聞こえないので、聞きとるために座る場所にも気をつかいます。
耳を出す髪型にしたいが、不安で出せない。中学生時代、耳を出さないことをからかわれた。会話で聞き返すことが多い。うまくことばを発音できない・・・等です。
私は片側のみなので、条件にもよりますが障害者手帳の交付は対象外です。障害があるのに制度上障害者になりにくい。サービスを受けにくい。制度の狭間に落ちている人も多いとおもいます。一般の人にも馴染みがある聴覚障害という枠に、制度上からこぼれたり、自分のことがストレスになったり、相手とのコミュニケーションがとりにくい、もしくはマイナスからスタートするなど、人生のちょっとした段差で(転びはしないけど)つまずくことは多いのではないかと思います。
外耳道閉鎖症の他の方の生活を知りたいです。

いじめなんてね、昔は「いじめられたほうも悪い」とか先生に普通に言われていた。
性格とか言葉遣いなら、日常生活を営んでいくうえで周りに合わせていくべきものだから、対処のしようがある。

でもさ、見た目とか、障害とか、どうしようもないじゃん。
結局は、「みんなと一緒」であることが正しくて、「異質」なものを排除しようとする動きであって、抗いようがない。

どれだけ「普通」に育てようとしても、社会は「普通」だとは認識しないし、排除しようとするものだ、と心に強く刻まれた。
だから、今でも誰かのことを本心で信頼することはない。

「普通」であれ、という呪縛

中学校では、小学校とは違う校区に行けたことで、そういった負の連鎖は断ち切ることができた。
でも、それは自分が「道化師を演じる」ことができるようになったからだ。

以前のnoteでも書いたけど、明るくふるまって、楽しいことを喋りまくっていれば、その間は自分の周りに誰かいてくれるから。

一日分の笑顔とネタをもって学校に行き、全てを使い果たして家に帰る。
中学は実家から離れて、父方の祖父母の家にいたので、本心で気を抜ける瞬間は全くなかった。

今でも会うことがある昔からの友達は、中学校の時の人が多い。
そういう意味では、人間的にいい人に恵まれていたのもあるだろう。

だから、ぎりぎりなんとかやってこれた。

でも、高校に入ったら、そうもいかず。
「道化師」を演じるのがつらくなって、自律神経が悲鳴を上げた。

笑ってよ 君のために
笑ってよ 僕のために
いつか真実に 笑いながら話せる日がくるから
~さだまさし「道化師のソネット」

「普通」でない自分が、「普通」を演じる辛さ。
そこにさらに精神的な障害がつき、アロマンティックな恋愛・性的指向もあり、それでどう「普通」に生きるのか。

家族は、自分に障害がないかのように接してくれるんだけど、それも含めて「普通」を無理やり意識させられてつらい。

「普通」を意識的に・無意識的に押し付けるのは、虐待だと思う。

道を外れて思うこと

そういえば、小学校の時は、剣道に行かされて辞めさせてくれなかった。
家の前で、周りの人が見ている前で素振りをさせられたこともあった。

別に、「普通」に見れば、周りの人も「頑張って練習してるなー」くらいの感覚だろうと思う。
でも、自分はただただ、周りに「辱めを受けている」ようにしか思えなかった。

父親は絶対の過程だったから、言い訳はできなかった。
父親に怒られたら、着の身着のまま裸足で外に放り出されたり、投げ飛ばされてガラスがはめられた戸をぶち破ったりしたし、板の間にずっと正座させられたりも当たり前だった。

母親も助け船を出してくれたが、だいぶ時間が経ってからで。
別に他人に危害を加えたわけでもないし、お金を盗んだわけでもない。あれは、やっぱり行き過ぎだったと思う。

親も、必死で「普通」に矯正したかったんだろう。
父親は、祖母から同じような教育を受けたが、あまり良い大学に行けず、弟ばかりがちやほやされていたのもあって、同じ轍は踏んでほしくなかったのかもしれない。

ただ、どこかで「普通」であることをあきらめて、レールから降り、
もっと「普通じゃない」人たちが集まる場所に早くからいけたら、もっと人生は楽しかっただろうなと感じる。

レールに乗って社会人になり、自分が「普通じゃない」からどんどんレールを外れていく、その過程を大人になってから体験するほど残酷なことはない。

親に、そこまで見越せというのも酷かもしれないな。
でも、もうちょっと手綱を緩めてくれていたら、と思う瞬間は多々ある。

漫画もアニメもバラエティも禁止で、お金がかかる趣味は、父親が趣味がないからなにもできず、薄っぺらいまま頭でっかちな学生だった。

あとは、興味もない洋画をずっと見せられるのが苦痛で、とうとう映画やドラマ自体が普通になってしまった。

唯一いえば、ニュースやドキュメンタリー、報道番組などばっかり見せられていたので、討論とか、レスバトルとか、ちょっとだけ強くなったのは父親のおかげかもしれない(笑)


子どもに、「普通は」とか言ってませんか。
子どもに、「常識」とか言ってませんか。
その「普通」、その「常識」は、本当に子どものためですか?

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?