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災害は忘れた頃に来るのが良い

先日、はじめて南海トラフ地震臨時情報が出されました。私が住む場所は、津波の到達範囲には入っていませんが、予想される最大震度は6弱とされています。ただ、まだしばらく先の話だろうと考えていました。


それが今回、巨大地震注意の情報が出て、いよいよ本格的に心配すべき時期に入ったと感じました。が、しかし同時にその一方でこうも思ったのです。


「いつかは必ず来る大地震なんだったら、なおさら意識させないでほしい。なるべく忘れさせていて欲しい。忘れている間に来るように仕向けて欲しい」と。


どういうことかと言いますと、この巨大地震が来る定かな日時などわかりません。1分後かもしれないし、はたまた30年後かもしれないのです。私は壮年ですので、もしかしたら死ぬまでに来ない確率もあるわけです。


もし仮にそうなった場合、ただ煩わされるだけ。その時間が損ではないかという気がするわけです。


では、ここでひとつ例を挙げてみましょう。


たとえば、あなたがコンサートを観に行ったとします。とても楽しみにしていた公演なのだけど、上演直前になって、うっかり戸締りをせずに家を出てきたことを思い出してしまいました。


チケットを払い戻しできないので仕方なく座席に着きました。が、やはり家に泥棒が入られたらと思うと心配で、まったく集中できません。ようやく上演が終わって家に飛んで帰ったら、入られた様子はまったくなく無事だった——


これって、お金と時間を損していると思いませんか? この場合、盗難保険に入っているのだからと考えてコンサートに集中するか、どうしても心配でたまらないならチケットを捨てて家に帰るか、です。


私は前者がもっとも良いように思います。お金も時間も損をしません。ただし、割り切る度胸が必要になります。


それができない場合、後者を選ぶしかないでしょう。チケット代金全額と行き帰りの時間を損することになりますが、集中できないのにその場にとどまるよりはまだマシでしょう。


地震に関しても同じことです。もしかしたら来るのが30年後になるものしれないものに今からあれこれ心配して、果たしていったい何になるのか? 長い期間、杞憂と戦ったという戦果だけが残ることになるだけだ、と思うわけです。


ちなみにこの考え方は仏教を学んだときに身につけたものです。仏教では、人が過去を悔いたり未来を憂うことを疑問視します。


では、何が最も大切かというと〝今この瞬間〟です。


いわば「明日は明日の風が吹く」みたいなものです。今、生きているこの一瞬がもっとも大切なもので、それに全精力を注いでいれば、過去や未来のことなんかどうでもいい、というよりも考える暇すらなくなります。


ではもし将来、何か事が起こったら・・・? それは未来の自分が対処する。そのためにも今、この瞬間を大切にして日々の生活を送ることが重要だ。そうブッダは説いたのだと思います。


ちなみにこれは、大地震や台風に対する備えなどまったくしなくていいという意味ではありません。非常食や防災セットを用意したり、家具を固定したり、避難場所を確認しておくことは意味があると私も思います。


ただ、それを済ませたら、地震のことはさっさと忘れて自分がやるべきことに日々、打ち込む。勉強や仕事だけでなく、遊びや娯楽に対しても——という意味です。そのように生活を送る事ができれば、あるとつぜん地震が来ても対処できるはずです。


ただ、一番むずかしいのは、これを頭では理解しても心が実行できるかどうか・・・なんですけどね!



P.S. もしかしたら仏教の専門家から見たら少し違うと思われるかもしれません。が、私はそもそも仏教徒ではないし、大筋では間違っていないと思います。

大事なのは、自分が生きていく上で指針にしているものが、実際に自身の役に立っているかどうかです。


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