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発刊順:53 暗い抱擁

発刊順:53(1947年) 暗い抱擁/中村妙子訳

気高い美女イザベラには幼年時より婚約者があった。しかし、冷酷な野心家ゲイブリエルの荒々しい抱擁の中で、傷つき、この歪められた男に救いの手をさしのべなければならないことを悟った。イザベラは、ゲイブリエルの求めに応じ、婚約者もなにもかも捨てて駆け落ちすることを決心した。彼女は暗闇に包まれた、測り知れない未知の恐怖に怯えながら、男のために新しい人生の道を歩き始めた・・・。

早川文庫の裏表紙より


メアリ・ウェストマコット名義の「愛の小説シリーズ」4作目。
物語の語り手は、交通事故で下半身不随になったヒュー・ノリーズ大尉。
 
突然、ある女性がノリーズの元へ強引に訪れ、「ジョン・ゲイブリエル様に会ってください」と訴える。ジョン・ゲイブリエルは、ヒューが若かりし頃に出会った人物で、彼が愛したイザベラを永遠に連れ去ってしまった憎しみは今でも消えない。会いたくないと言っても引き下がらないその女性は、ゲイブリエルは「クレメントおやじ」だと打ち明ける。

「クレメントおやじ」とは、リチャード獅子心王と聖者ダミアン、それにアラビアのロレンスをまぜた人物を想像してみることだ。勇敢な闘志であると同時に有徳の聖者、さらに少年の冒険心と無謀さを兼ね備えた人物であり、戦時中には、悲惨な境遇にある子供達を救い、拷問に責め苛まれている人々を救い出すなど、桁外れの行動力をもった英雄であり伝説の人物となっている。

 その伝説の人物と憎きゲイブリエルが同一人物とは信じられないヒューではあるが、死に際に一目会いたいというゲイブリエルの意志に逆らえず、再会する場面から物語は始まる。
 
田舎の選挙戦を巡る騒動を軸に、ジョン・ゲイブリエルやイザベラ、ヒューの義姉テレサ、町の人々などそれほど多い登場人物でもないが織りなす人間模様が面白い。
 
イザベラは、人間味がまるでなく、欲も我もなくまったくの「無」。まるで天使とか神に近い存在として描かれている。
「キリスト的至上の愛」がテーマと書かれているが、キリスト教の教えを知らないので、イザベラの行為は究極的なそれなのかどうか…。


テレサが唯一素敵な人物で、身体が思うように動かせず不自由なヒューに対してもとても公平に接しており、客観的でクールな視点を持っている。

「あなたは時を念頭に置いて考えているのね、ヒュー。でも時なんて、何の意味もないわ。たったの五分だって一千年だって、意味深いことでは同じよ。ほら、『薔薇のたまゆらも、いちいの花も…』って詩にもあるじゃありませんか。
あなたは人生に対して自分のデザインを設定して、ほかの人の人生をその中にいれこもうとするたちね。でもその人その人のデザインというものがあるのよ。だからこそ、人生は単純じゃないんだわ。そうしたデザインが絡み合い、重なり合っているから。・・・」

自己中心的で口が悪く、下級階層出身のため貴族階級には妬みを持つ一方、とてつもないカリスマ的な魅力があり、保守党の選挙戦で勝利するジョン・ゲイブリエル。
勝利した途端、すべてを投げうってある行動を取り、失踪する。
それらの行動は理解しずらいものではある。
 
ジョン・ゲイブリエルがいかにして、英雄「クレメントおやじ」に変貌するのか・・・。
一種ミステリ調ではあるが、はっきりとは書いていないところがいくつもあって、読者の想像力を掻き立てる。


NV79 昭和62年4月 第4刷版
2022年12月16日読了

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