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孫子をゆる~く読むコラム始計篇を読み込む②~詭道論~

前回のコラム(https://note.com/tabito_china/n/n5bd545e2ffb1)では始計篇における「五事」・「七計」について考えてみた。これは、戦争における基礎情報であり、セオリーであり、勝利における必須条件である。しかし、これだけでは勝つことはできない。五事・七計が整った条件のもと、それをより効果的に勝利に繋げる方法が必要となる。それが今回の「詭道」である。今回はその詭道論について紐解いていこう。

「詭道論」とは

 『孫子』は始計篇において、まずは5つの基本要素である「五事」、そしてそれを基に7つの彼我の比較を行った「七計」をもって戦力分析を行うべきを説いた。
 この「五事」・「七計」とは、いわば自国内で行う、いわば「内計」と呼ぶべきものである(実際には五事が完全な内計であり、七計は内計と一部の外的用件をあわせたもの)。しかし、これだけでは必勝の体制を作り出すことはできない。内なる計略を外から助けるものが必要である。
それこそが「詭道論」なのである。

始計篇第一

■行動の基礎となる「勢」

計利以聽,乃為之勢,以佐其外。勢者,因利而制權也。
「計、利として以って聴かるれば、すなわち之が“勢”を為して、以って其の外を佐すく。“勢”は、利に因りて権を制するなり」
(もし内計である五事・七計が有利であることが分かり、その状態で行動したのであれば、続いて“勢”というものをなし、それを外からの助けとする。この“勢”とは有利な状況を利用しながら、状況に合わせた臨機応変の術の事である)

現代語訳を加えているが、なお抽象的で分かりにくいかもしれない。
つまりは、国内条件が整っており、それぞれの条件で相手に勝っていたとしても、まだ完全とはいえない。それに追加して、現場における状況に適した思考・行動を行うことが、勝利を呼び込む、といっているのである。

この語の解釈において、『孫子の思想的研究』の著者であり、日本の近現代孫子研究の第一人者であった佐藤堅司氏は、山鹿素行による解説を最も優れたものとして絶賛している。素行は言う。
「この一句、孫子兵を談じて古今に超出し、万世これにのっとるゆえんなり。五事七計整う時は必勝なりと云上は、勢は論ずるに足らざると云うべきところに、“計利以聽,乃為之勢,以佐其外”という一句を以って権道機変奇道を臨戦の助けとすべしと論ず。ここにおいて内外整い、経権並行、常変相通、正奇相序、兵法全なり」

素行の意としては、本来「五事」、「七計」が万全であれば「必勝の状態」、「闘えば勝てる」といってしまっていいもののはずであるが、そこのこの一句を加えることによって、より現実的な勝利をもたし、戦の道すべてを網羅していると評すのである。

こうも理解できる。前回紹介した五事・七計はすなわちデータ、もしくは理論である。そのデータや理論をもとに行動する際には、かならず現実と照らし合わせ、もっとも有効な行動を選択していかなくてはならない。逆に言えば、いかにデータが万全でも、現実性を欠いた行動では、勝利は保障されないのである。
 そして、この“勢”において、次の一文が異彩を放つ。

■「詭道」の意味を考える~単なる「騙し合い」か?

兵者,詭道也。
「兵は詭道なり」
(戦とは詭道である)

 この「詭道」の解釈に、多くの学者たちが腐心してきた。
 もっとも古いものは魏武、すなわち曹操の注釈にある「以詭詐為道」、つまり「騙しあいである」という単純な解釈である。中国の注釈においても、これに沿ったものが多く、長く「孫子」=「詭詐術」と考えられてきた。
さらに、この解釈は日本へと伝わり、大江家所蔵の『闘戦経』においては「漢文、有詭譎。倭教説真鋭」として、孫子の思想そのものを完全否定してしまっている。

しかし、これは孫子のいう「詭道」のごく一部を述べたものであり、詭道そのものの根幹を突いたものではない。孫子の詭道は「騙しあい」という、小さなものではないのである。

これについて佐藤氏は「孫子の詭道に対する最もよき理解者は、やはり山鹿素行だった」と、山鹿素行の解釈を絶賛している。そこで、われわれも素行、そして佐藤氏の解釈に基づいて考えてみよう。

まず素行は「儒人、兵法の実を知らず。己の胸臆を以って武人の識量を度る。斗宵の器、何ぞ算するに足らん」と、それまでの詭詐術という理解を全面から否定する。ここにいたって、「孫子」は矮小な解釈から救いを得たといえるだろう。
素行はまず、北条氏長の注釈である「詭もまた道なり」を受けながら「詭もまた道其中に在りというべきなり(詭道の中にも道義が存在する)」と説く。これは不完全ながらも、詭道を詭詐術から独立させようという努力である。
そしてそれから数年の後、彼は「固本以正道、応変以奇(詭)道」と、詭道論の本質を明確に表現するにいたる。

すなわち、まず正道である「五事」・「七計」によって勝つための体制を作る。しかし、それだけで勝ったとしても損害が大きい。孫子の目的は、「自国の損害をなくした状態、もしくは最小の状態で敵に勝つこと」である。
そのために必要なのが「詭道」、正道の形にとらわれない臨機応変な変化をつけ、相手の隙を広げ、戦力格差をより大きなものとすることである。
続いてその具体例が挙げられている。

■定石とは異なる臨機応変の体制を作るのが「詭道」

故能而示之不能,
用而示之不用,
近而示之遠,
遠而示之近。
利而誘之,
亂而取之,
實而備之,
強而避之,
怒而撓之,
卑而驕之,
佚而勞之,
親而離之,
「故に能にしてその不能を示し
用にしてその不用を示し
近にして遠を示し
遠にして近を示す。
利によって之を誘い
乱にして之を取り
実にして之を備え
強にして之を避け
卑して之を驕らせ
佚して之を労し
親して之を離す」
(それゆえに出来るのに「出来ない」と見せ、近いのに遠くにいると見せ、遠くにいるのに近くだと思わせ、利益をもって敵を誘い、混乱させて敵を討つ。敵が充実しているならばそれへの備えを固め、敵が強ければいったん避け、辞を低くすることで敵を驕らせ、落ち着いていればそれを疲れさせ、団結しているならばその団結を乱すのである)

より具体的な「臨機応変の術」である。すべてが対義語によって校正されていることが一目で分かるだろう。
すなわち、常道(セオリー)に対し、逆説をぶつけることで、チャンスを作り出す、という思考だろう。
もちろん、その際には常道である五事・七計において優位に立っている(総合的に相手を上回っている)ことが必要だろう。

攻其無備,出其不意。此兵家之勢,不可先傳也。 
「その無備なるを攻め、その不意を出ず。これ兵家の勢、先に伝うべからざるなり」
(その無防備な場所を攻め、相手の不意をつく。それが兵家のいう“勢”であり、出陣前には行うことができないものである)
 
孫子の基本的な思考は「無理なく勝つ」という点に尽きる。それゆえ「敵の弱いところを付く」のが勝つための条件なのである。

しかし、これは日本、特に近代においてクラウゼヴィッツの『戦争論』といった、ドイツ流軍事理論を追及し始めてからは省みられなくなってしまった。
それはクラウゼヴィッツの求めるのは「敵のもっとも強い部分を殲滅させることで勝利を得る」というものであり、孫子の思考の逆を求めていたことになる。

その結果、日本は日露戦争の奉天攻略(208高地含む)や太平洋戦争における真珠湾攻撃に見られる「敵主力殲滅」を主力に戦略を立ててきた。
前者においては、明治指導者の卓越した政治手腕と戦略目的が融合した結果、薄氷を踏むものではあったが勝利を収めた。しかし、後者においては敵撃滅に集中するあまり、補給の軽視、自己分析の欠如、さらには希望的敵観測という愚を繰り返し、最終的には無条件降伏を受諾するにいたる。

この両者、いずれが「正しい」というのは一概には言えないものだが、『孫子』ではその回答を明確に出しているように思う。すなわち「臨機応変」。
敵の備えている場所を打つのが正しいケースであれば、敵もそれを予測するだろう。その際は主力撃滅を奇策として用いればよい。その逆も然り。こうした手段を、状況に合わせて用いることが、孫子の「詭道」をなすこととなるだろう。

■始計篇のまとめ~事前準備×臨機応変のルール

夫未戰而廟算勝者,得算多也。未戰而廟算不勝者,得算少也。
多算勝少算,而況於無算乎!吾以此觀之,勝負見矣。

「いまだ戦わずして廟算にて勝つもの、算を得ること多きなり。いまだ戦わずして廟算にて勝たざるもの、算を得ること少なきなり。算多ければ勝ち、算少なければ勝つ。況んや、算の無きなりや。吾、之れの観をもって勝負を見るなり」
(戦う前の作戦会議において勝つ見込みが得られるのは、前段階での勝利条件が相手を上回っているからである。また、勝てないのであれば、それは勝利条件が相手より少ないためである。その条件が充実していれば勝ち、なければ勝てない。ましてや勝算が何も見込め無いのでは話にならない。私はこうした比較分析によって勝敗を見る)

かつては、国主の祖先を祭る廟で作戦会議を行うのが慣習であった。これには、祖先の力を借りるという意味合いもあるが、孫子はそこに科学的な情報分析、作戦立案を求めた。

ここで強調されるのは、やはり「事前準備」である。何でも「仕込み」の有無が成功の鍵を握る。戦でも同様で、戦場について勝敗を考えるのは愚将の挙であると孫子は言う。戦がスタートする前の段階で「勝つ条件を整えておく」こと。

かつて日本は太平洋戦争において「戦わずして滅びるならば、戦って滅びたほうが良い」などという愚にも付かない理由から日米開戦に踏み切り、最後は「神風」などという意味不明なものを頼りにした。

対して日露戦争における執行部はロシアの戦力を分析し、イギリスを引き込み、最終段階ではアメリカに仲介を頼む。その条件を整えるための旅順攻略、奉天占領、日本海海戦であった。
何事も、「運」に頼って勝利を得ることなどないのである。

二回にわたって孫子の第一編である「始計篇」について簡単にまとめてみた。
最初に述べたように、この篇は孫子全体の思考が詰め込まれている篇であり、孫子の基礎とも言うべき内容である。
それを読むと、孫子では如何に「事前準備」に重きを置いていたかがよく分かると思う。
往々にして人は狭義の「詭道」に目が向き、周囲を驚かせる方法での勝利を期待するが、孫子はその前に五事・七計を置き、セオリーに基づいた分析の重要性を説く。そして、その「実行段階」として、柔軟な思考を求めるのである。




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