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中国SNSのソーシャルリスニングで大事なこと~文系さんのビッグデータ解析

中国消費市場のソーシャルリスニングに携わっており、「中国SNSからみた訪日インバウンド」や「中国消費者の化粧品の好み」などのレポートを作る日々を送っている。
そんな話をすると「アナリストだ」、「データサイエンティスト?」、「デジタルマーケッターだ」などと勘違いされるが、いずれも誤解である。
私は相変わらず「歴史研究者のなり損ない」で、「似非ライター」であり、「不合格リサーチャー」なのである。

ただ、そんなのがなぜ中国のSNSによるクチコミ分析(ソーシャルリスニング)をやっていけているかのように見えるのは、たぶん2つの点が上げられる。

おそらく、その2点は中国だけでなく、海外市場への参画、すなわちグローバルビジネスを行う上で重要ではないかと、ふと思ったりなんかしているので、書き留めておくことにしよう。

とりあえず、私が中国のSNSクチコミ分析(ソーシャルリスニング)において必要と考えているのは「歴史的視点」「歴史学的手法」である。

■中国消費市場を「歴史的視点」で見てみる

中国市場においてはけっこう重要な点なのではと思っているのが、「歴史的視点」。
すなわち、現在の消費者市場がどんな環境で、どのようにして形成されてきたか、というのを、その国の歴史(現代史)に沿って理解することは、グローバルマーケティングにおいて非常に重要であると感じる。

中国を例に取れば、本格的な市場経済に飛び込んだのが1990年代初頭。
1992年に鄧小平が「南巡講話」を発し、1993年に「公司法」が整備され、上海、深圳に証券取引所ができたあたりであろう。
ここから色々な企業が商品を作ったり、海外ブランドが本格的に参入したりと、中国の消費市場が出来上がっていった。

つまりは中国の消費市場というのはわずか30年程度のものなのである。

それが現在のように大きくなっていた過程を見ると、消費者の商品選びの感覚が変わってくる様子やローカルブランドが勃興する背景も、何となくだが理解できる。

簡単に言えば、「ブランド名」などの量的価値に満足した消費者は、自分を顧みて「本当にこの商品でいいんだっけ?」と思いはじめ、自分に合った商品を求めるという余裕が生まれる(選択肢が増える)ようになっている。

そうなる背景としては、もちろん「何もない時代」があり、そこから急速にいろいろなものが「入って」来たり、「自分たちで作る」ようになって至っため。

またさらに、今日本でも問題になっている中国の不動産バブル。
この背景も、ちょっと歴史的な変遷を考えるとある程度理解できる。
例えば中国には「固定資産税」のようなものが無い。なので、不動産を多く持っていれば「資産」だけが増える(税金として徴収されない)。
というのも、どうしても「社会主義国家」という建前上、「個人が多くの資産を有することを認めて、そこから徴収する」というのをあからさまに言えない時代があった(現在は“個人財産の所有”は法律に明記されている)。

また不動産も「国が配給する」時代が長くあったため、「資産として所有し、課税する」という法律が無かったわけである。
所得税も同様。
昔は国が国民の就職先を決めていたので、改革開放後も仕事場(中国語で会社の事を「単位」というのはこの頃の名残)と個人が必ず結びついていた。
国としては個人がどのくらいの給与をもらっていて、どのくらい徴収できるというのが明確だったのである。
しかし、今のようにオンライン上で取引できるようになると、個人の副業、すなわち国が把握できない収入が増える。

不動産賃貸料金なんかはまさにそれで、ほぼ「非課税所得」として物件所有者に入ってくる。
一応、賃貸に関わる税なんてのも、場所によっては決まってはいるのだが、厳密には履行されにくいのが現状。

とまぁ、現代中国の歴史的流れと社会背景を把握しておくと、SNS上でなぜそれが注目されるのか、投稿される際になぜこのワードが多用されるのかといった状況がよく理解でき利用になる。

特に中国における「95后」や「00后」の消費をより理解し、何がこれまでと違って、どこに行こうとするのかということを考えるには、中国の現代史とそれに伴う一般市民の社会生活の変化が頭に入っていないと理解できない。

個人的に言えば大手スーパーでも、陳列されているシャンプーのふたを開けてニオイを確かめて買っていたが(それで何が確認できるか分からないが)、それが「盲盒(blind box)」のような「中身の分からないものを消費する」ようになったのは、非常に大きな変化だったりする。

国が発表したりアナリストが述べている数字ばっかり見るのではなく、歴史的な視点を持つことで、「今、こうなってますね」、「今これがトレンドですね」だけじゃなく、「なぜトレンドなのか」、「なぜこうなったのか」という背景も推察できるので、いわゆる解像度というものが一段階上がるわけである。

■歴史学的な手法とは何か

ではもう一つの「歴史学的手法」とは何か。

中国ソーシャルデータを解析しているのだが、はっきり言って私は「データ」というものを信じていない。

なぜなら「データも人が作ったモノ」であるからだ。

もちろん中国消費者の無意識行動を可視化するうえでは役に立つのだが、今はそうした情報が「意図的に」流れてくる時代。
なので、そのデータを読む際にはまず「疑う」ことから始めているのだが、勝手にこれは歴史学における「史料批判」という手法と共通していると思っている。

特に中国のデータに関しては「政治」的な色が出やすい。

政治的な報道1つでネガティブ色が急に強まったり、逆に方向展開したりするときがある。

例えば「島問題」。
デモだのなんだの言っていた時期は日本のイメージは最悪だった。
しかし、国のトップ同士が握手を交わし、それに対し国内メディアが好意的になった瞬間に「訪日観光」が爆発し、「爆買い」が生まれた。
握手からほんとうに数カ月での出来事だった。

さらに言えば日中間はどうしてもベクトルがかかりやすい。
容易に相手の事を「好きだ」と言ってしまうと、前後左右からハイエナのようにとびかかってくる連中が多い。
そのリスクを防ぐために「嫌いを装わないといけない」なんて事情もある。

そうした極めて濃厚なベクトルがたんまりかかっていて、それが和えられて供される情報なのである。
そうした「かかっているベクトル」の材料をある程度見極めて、そして利用する際にはそれらを引きはがして行かないと、本当の意味での消費者のツボ(いわゆる「インサイト」)を引っ張り出すのは難しいと言える。

しかも引きはがし方やかかっているベクトルの性質を間違えると、とんでもない方向に飛躍してしまうケースもある。

その作業はどんなにデジタル化されても、図書室でかび臭い書籍を山と積んで、あっちこっち眺めまわして、椅子の上でぼ~っとしながら「ああでもない、こうでもない、ひょっとしたら別の何かなのか?」などと考える歴史学者の超アナログ手法と大差はない。

また自身の実体験を、ゴチャゴチャに収納されている戸棚から、1個1個引き出しを引っ張り出してかき回して探す、などという、超超非効率なこともやらなければならない。

なので、その実、非常に地味~なお仕事で、一歩間違えると発狂しそうな作業なのである。

■最後に~何が言いたいかというと

「グローバルビジネスですね!」
「データアナリストなんですか!」
「マーケッター、かっこいい!」

全部誤解である。

「中国事業、いいじゃないですか」
「中国ビジネス、素晴らしいですね」
「中国とのお仕事、幅が広がってスゴイ」

現場にいると、そんなことちっとも思えない。

今従事している「中国SNSビッグデータ解析によるマーケティング戦略の開発」というのは、ハッキリ言って地味で泥臭く、なおかつ精神健康上よくない、あんまり人にはお勧めできないお仕事である。

ただ、そういうことをやって、なんとなくデータと思考がつながったりすると「ふ~ん」とちょっと悦に入れる。
そうして作ったレポートに有名企業のトップマーケッターの方から「面白い内容でした」と言われたりすると、ちょっと嬉しい。

そんな小さな幸せだけでやっている仕事でもある。

本当に、ささやかな、美しくはない業務なのである。

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